刹那慕情、堪えて億年。それでも一層募るばかりならばそれは、退廃に帰すように仕向ける他ない始終。思い、想えば戯言も臨死した真理となるように、ある種の道理、同一性を守って繰り広げられる、夢。

殴られた個所の痛みなどどうということもない。よく使う言葉であっさりと言えば「へいき」なこと。絶えられぬようなことは、この世界にはないとは思う。全ては嫌か、そうではないかと、その程度なのだと、悟りか、諦めか、それとも切望か。詳細など求めるような、自傷癖はない。ぼうっと暗い淵から首を出して手招きするような過去の心傷を今更引っかいて血を出して、膿みでも出そうというのか。

そんなことよりも、今、目の前にいる女性。普段どおり表情の乏しい顔、けれどもどことなく、何か堪えられぬ感情を漂わせる、女性、の方がは気になった。

、へいき?」

問えば彼女、「あなたの方が心配です」と、心底真面目な顔で、眉なんぞ寄せながら言う。やさしい、ひと。




 


緑の指

 

 

 

 




殴り飛ばされた自分が、の目の前に現れたのが悪いのだと、心底は思っている。よりにもよって、レルヴェ・“准尉”が“大将”赤犬サカズキに口答えするなんて。命がよくあったものだと、本当に、は怖かった。カタカタと、自分が傷つけられた程度では恐れなど感じることは一切ないのに、自分が原因で、彼女に何事か起きるかもしれないということが、恐ろしかった。

サカズキは、何も言わずに立ち去ってくれたが、本当に、何もしないでいてくれるだろうか。しない、とは思う。サカズキは容赦ないし、酷い生き物だけれど、それでも、その暴力が向けられるのは自分が罪人だからだ。悪いのは、自分だからだ。は悪くない。だから、サカズキは何も、しないだろう。したら、それは理不尽な暴力になる。非道になる。だから、大丈夫だろう、とは思う。

己になんぞ構うものじゃあない。よしなさい、とそう言って年老いた老婆のような声でも出してやれば、多少は彼女、諦めてくれるのだろうかと期待する。全く、厄介な、なぜ自分の体は少女なのだろうかとさめざめは嫌になる。もう少し手足が長くて、背もあったら、こんな小さな子供の身でなければ、憐憫など感じさせることもなかったろうに。

いかに魔力を培ったところで、もう二度と、は成長しない。時が止まってしまった。時折戯れに髪を切り、爪を切ることもあるけれど、それは全て、「元に戻ろうとする力」が働いて伸びるだけ。傷を負っても回復するのは、そういうことだ。何も、特別なことなどありはしない。

ぼんやり雪洞、思いながら、自分の手当てをしてくれる女性海兵を眺めた。きれいなひと。うつくしい生き物。キラキラと月のように輝く、ひと。短い時間の中でえきっと、必死に叫び、必死に耐え、泣き、そして笑って、微笑んで、囁いて、生きる生き物なのだろう。眩しいなぁ、と小さく呟けばがそのハニーブラウンの瞳を向けてきた。琥珀の色とよく似ている。樹脂の中に閉じ込められた蟲を思い出した。自分も蟲のように彼女の柔らかさに囚われて永遠になってしまえばいいのに、など、想うにはあまりにも過ぎたこと。

「どうか、しましたか?」
「うぅん、なんでも」
「少し痛かったですか。申し訳ありません」

にへら、と笑って答えると強がったと思われたか、謝罪される。困ったように眉を寄せて、がそっとの頬に触れた。びくり、と、震える体。は掌をぎゅっと握って、何か知らぬ、底知れぬ恐怖をやり過ごした。

「ねぇ、。ぼくを守る必要なんてないんだよ」

やさしいひと。どうして、こんなにやさしい。は笑う、にへら、と、小さく笑う。どうしようもないこと、どうして、なぜ、こんなに、慕情がわきあがってくるのか。どうなるのか、知れているのに。どうしたって、は。

「私は、目の前であなたが怪我を、傷を負うことを見過ごせません」

掌を、握られた。白い手。女性の細い手。ほっそりとして、しなやか。けれど剣士、彼女は戦うひとであるから、全てが繊細な華奢な手、ではない。ところどころに竹刀ダコもある、爪はささくれているところもある、けれど、それこそが、うつくしいのだとは思う。己とて剣は使える。(できぬこと、生憎とあまりない。それは当然だ。800年も生きている。できぬことがある方がおかしい。ひとが10年でできることを50年かけてできるようになったのだとしても、それでも、子供のこの体である限り、人は「出来すぎている」と眉を寄せるのだけれど。出来ぬほうが、おかしい)だが傷が直ぐ癒える己に、その生きる証が留まることはない。

「うん、そうだね。それは正義だ。目の前の小さな花が踏み荒らされるのに心を痛める、正義だね」

はそっと、の手を払った。振り払う、というには自然すぎる、離れ。目を伏せて、小さく笑う。正義、それこそが、正義なのだと、思う。目の前の小さな生き物を、愛しいと思い、守る心。嵐の夜に子供が泣くのなら、明けまで抱きしめて慰めてやれるような、心。それこそが。

「でも、ぼくには、」
「あなたが何者であろうと。構いません」

必要ないのだ、と、告げようとした言葉を遮られた。礼儀の良いお嬢さんにしては、珍しいこと。焦るように、ではないが、それでも素早く紡がれた言葉。は目を丸くして、じっとこちらを見詰めてくるきれいな生き物を見た。やや痛んだ髪、毛先の繊維が細くなりキラキラと太陽の光を受けて透ける。

「大将赤犬の仰られた言葉、生憎と私には解りません。あなたが罪人という、その意味、あなたが悪であることで成り立つ正義の、理由。知る日が来るのだとしても、理解できるとは、思えません」

意思の強いお嬢さんだ、とは思っていた。ぼんやりと、けらけら笑い人(彼女の上司)をからかいながら追い見た姿は凛としていて、あぁ、これが女性というのだろうなぁとどこか上から判じるように思っていた。しかしそれはどこまでも「海兵」という枠の中でのこと。珍しいほどの強さでもない。多く、数多くの生き物の中でよく見られる、あくまで「常識」の中で括られる程度のものであると、思っていた。

は今、己の目の前にいて、ただじっと、己の蒼い目を恐れることも、興味を持つこともなく、ただ見る明るい髪のひとを見た。

このひとが何か、もう一言、何かいう前に、己は彼女の口を、意志をふさいでしまわなければならないのに、そう、思うのに。身動きが取れぬ。待って、いるのだろうか。

「けれど、ただ一つ解ることもあります」

そんなの葛藤など知らぬ、一度目を伏せ、己の心を確認・核心・確信するように革新した事実を告げるように、沈黙して、少し。風の音、木漏れ日の下、上の木々がざわめく。きらきらと、光が揺れての髪が輝く。影になった己の髪は、燃えるように赤いのだろうか。それとも、あの夜の滅亡の炎をすっかり彼女の光で浄化されて本来の色に戻ってくれたのだろうかと、そんな、夢を見る。

「私は、私の、レルヴェ・の掲げる正義は、あなたを傷つけることで成り立つことではありません」

ゆっくり、しかしはっきりと告げられた言葉。誰も、彼も、告げられなかった、言葉。

「は、はは……ははっ……」

引きつった、声がの脣から出る。喉の奥を引っかいたような、無理矢理絞りだしたような、声。この生き物、この、娘、このひとは……!!!

どん、と、の体を突き飛ばした。少々乱暴になってしまったことに一瞬後悔する。けれど、今ばかりは気遣いなど、できそうにない。そのままゆっくり立ち上がって、樹に背をつける。両手で顔を抑え、カタカタを震えが収まるのをやり過ごした。

「危うい、ねぇ、あんまりにも、危ういよ……、レルヴェ・嬢。自分が何を言ったか、ねぇ、ね、わかって、る、の?」

この世界に、誰か、ただ一人でいいと、そんな夢を見た。遥か昔。もうずっと、前。アマトリアが死んで、ダンテが死んで、バージルが死んで、それでも一人きり。たゆたう千の夜。二度と願うことは出来ぬと、見切りをつけて、海に沈めた、夢。海に沈めた悪魔の種はいずれ芽吹いてを慰めてくれたけれど、その夢だけはいつも、薄暗い海の底に沈んだまま、海上を彷徨うをどんより見上げて、恨めしそうにしているだけだった。

けれど、それが、今、こうして誰かが、現れて、くれるのか。込み上げるものは喜びか、それとも、恐怖か、一瞬には判断できそうにない。はぎゅっと体を抑えて頭を振った。喜んではいけない。そんなの、だめだ。この世界で、自分を、ただの小さな生き物と、いや、罪人である可能性を知って直、それを「そんなこと」と一蹴にしてくれる生き物を、待ってはだめだ。望んでは、だめなのに。

「私は、私の信じるままにあるだけです。あなたが罪悪感を覚える必要などありません」

突き飛ばされたにも関わらず、不快にも思わずにを見上げる。小さなは普段彼女を見上げてばかりだった。

「かくありたいと、思う私がいる。それは私の目指す私であり、いずれ成るものでしょう。世界の正義がどこであれ、私には、レルヴェの信じる正義があるのです」

それは、どちらの人のことを言っているのか、にはわからなかった。解らぬこと、などあまりないのに、わからなかった。あの人が死んでしまって、彼女はレルヴェになったのだと、聞いたことはある。忘れぬために、失くさぬために継ぐのだという意思は、わかる。Dがそうだったように、ヒトは名に縛られ、けれど名を尊ぶ。

けれど、駄目、だ。

ここは海軍本部、そして己は赤犬のもの。今はこうしてのどかな中庭でのどかに手当て、などされている穏やかな時流れているのだけれど、そうでは、ない。人の目、人の耳が、完全にないなどと、そんな妄信はにはない。あの男、何を考えているのかにはさっぱりわからない。ただ殴り、蹴る、恐ろしいだけの男、それでも、己と生きて、死んでくれると誓ってくれたあの、男は、どんな時だって自分を野放しにすることはない。今だって、誰か、見張りくらいはつけているのだろうと容易いこと。敏い方ではない。は剣士、海兵、己よりは何倍も気配等に敏いだろうが、それでも、彼女はまだ准尉という程度。サカズキが己に付けるのは大佐以上であるのだから、本気で気配を隠されていたら、知れるはずもない。

はぎゅっと目を一度伏せ、強く、強く、脳裏に浮かんだ映像を打ち消す。想像することすら、いけない。望んでは、ならない。真っ白い小さな家、綺麗な薔薇の庭。暖かい、太陽の光をいっぱいに受けて、ただ、幸福を。そんなもの。望むなど。

振り払って、ぎゅっと、掌を握り締め、爪でぐいぐいと食い込み血が流れるほど強く、意識を保つ。そしていつものとおり。

「ぼくは、へいき」

にへら、と、笑う。が眉を顰めた。それで、いい。明日には、ディエス中佐をからかいに行こう。階段の上から狙い定めて、背中を蹴り飛ばしてやろう。そうしてけらけら笑って、がちょっと困って、ディエス中佐がにちょっかいをかけないでくれ、とでも、いつものように言ってくれたら、やっぱり、いつものように大人しく引き下がろう。それで、いい。



(目の前の景色が滲んでいく)




Fin




 

あとがき

物凄くステキな小説頂いてしまって、衝動にかられるままに書きなぐった始末です。

もう本当、共演が楽しくしょうがないんです。すいません。









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