ひょっこりとボルサリーノが部屋に顔を出してみれば、真っ赤なソファの上で、てっきり不貞腐れているだろうと思っていた少女、見当たらない。おや、と、心配する気はさらさらないのだけれど、いるだろう、と思っていていなければ疑問には思うもの、黄猿、「どこ行ったんだろうねぇ」なんて独り言を呟いて、海軍本部、大将赤犬サカズキの執務室をぐるり、と見渡した。
部屋の主は当然いない。それは確認している。何しろ、本日海軍本部はその話題で持ちきりなのだ。一応、秘密だなんだと言われているのだけれど、そのあんまりなネタ、いやはや、それは失礼か、その、まぁ、一件、人の口に戸は立てられぬ、という言葉があるのを良いことに素早く広まってしまった。
「ん〜、いないねぇ」
数少ない同僚の一人として、ボルサリーノはセンゴクから直接その話を聞かされていたのだけれど、聞いた直後に例のあの、おかっぱの可愛い子が「ちょっとそこで聞いちまったんだがよォ、俺は世界一口の堅い男」だなんだの口上と一緒に教えてくれた。広まるの、早いねぇ、なんてのほほんと、思うことはそれだけだ。
「どこ行っちゃったんだろうねぇ、くん」
サングラス越しにいつもの笑い、ちっとも笑っているように見えないのは、それはもう、ご愛嬌だ。
赤犬、只今お見合い真っ最中編
「何してるの?ボルサリーノくん」
手に林檎やら薔薇の花やらを大量に抱えたが戻ってきたのは、ボルサリーノがソファに座って軽く転寝をしてしまった時だった。
「ん〜、あぁ、おかえり」
近付く気配は、ぼんやり気付けたような気はするが、さして警戒する類のものでもない所為か目覚めなかった。こうして声をかけられて、ボルサリーノは軽く欠伸をして目を開く。
ソファに座る自分を眺める、蒼い目。きょとん、と、ここにボルサリーノがいることをいぶかしむ幼い顔。これで自分の倍以上生きているというのだから、グランドラインは摩訶不思議。
「こんなところで寝てたら風邪ひいちゃうよ?」
「わっしを心配してくれるんで?」
「死ねばいいとは思ってるけどね」
にっこりと、笑顔の応酬、容赦ない。、基本的に海軍の人間に対してはいつもにこにことしていて棘の一切がない、が、しかしボルサリーノにはどうも、容赦がない。一応、悪魔の実の能力者、しかも自然系の序列上位にいる光の悪魔であるボルサリーノは、本来最も『パンドラ・』に焦がれていなければならぬ。だがどういうわけか、海軍本部大将黄猿、今のところ例の「飢餓」に襲われたことが一度もなかった。
「随分たくさん持ってるねぇ〜。どうしたの?」
まぁ、それはいい。ボルサリーノはまだ半分ねぼけているような心地、とりあえずとりとめのない話をして頭を動かそうと、の腕に抱えられている色の鮮やかな品々を指差す。
「貰ったの。何か知らない海兵さんまで今日は親切だったけど」
誕生日とクリスマスが一緒にきたみたい、と、笑う。彼女の誕生日をボルサリーノは知らないが、今日ではないことは解った。
「皆心配してくれてるんだよ。くんは大事にされてるねぇ」
のんびりといって、よしよし、とその太陽のような色の頭を撫でる。が嬉しそうに笑った。ボルサリーノに「死ね」だのなんだの平気で言う生き物だが、それでもこうして「子ども扱い」されることが嬉しいらしい。ほんわかと、これ、傍目から観たら叔父と姪っ子とか、そういう微笑ましい図に見えるんじゃないかと、思いながらそれはそれで、なんだかなぁ、と思う。
「わっしも、てっきりくんが落ち込んでるかと」
「どうして?」
「サカズキくんが取られちゃってもいいのかい?」
今頃見合い中のサカズキ。いつものようにフードと帽子は、さすがにないだろうが、海軍将校、であるというので軍服着用はそのままかもしれない。折角なら自分も同席すればよかったとボルサリーノ、ぼんやり思う。どんな顔をして見合い相手の女性と言葉を交わしているのだろうか。
「ぼくはサカズキのものだけど、サカズキはぼくのじゃないよ?」
「おや、そうなの?」
「そうなの」
だから取られちゃうっていうのは変だよ、と、笑う。無理をしているようには見えなくて、けれど全く平気そう、には思えなかった。それでボルサリーノ、ひょいっとを膝に抱き上げて、顔を覗きこむ。自然系、けれど餓えに苦しむことはないが、しかし、それでも、なんでもない、とはいえない。
「でもねぇ、サカズキくんも仕方ないんだよ?やっぱり海軍大将さんだしねぇ、しかも今回は世界貴族のお嬢さんときたら、いつもみたいにばっさり断れないんだよォ」
「慰めてくれてるのか、ぼくに殴りこみをけしかけたいのか、どっち?」
「そうだねぇ、どっちも面白いねぇ」
のんびり、どこまでもニコニコと言う。はむっと、分かりやすく不機嫌そうに眉をしかめて口を尖らせた、可愛い仕草、幼い、子供のように見える。
何か言おうと一度口を開きかけたが、しかしボルサリーノがあまりにニコニコしているので躊躇い、ふいっと、そっぽを向く。
「別に、サカズキの奥さんがあのいけ好かないバカ共の末裔だって構わないよ」
「サカズキくんの奥さんだったら、やっぱり従うのかい?」
が気付いているかどうか知らないが、今回の見合い、その意味が強い。大将赤犬サカズキや、同じく大将の青雉クザンには年がら年中見合い話が舞い込んでくる。大将という地位や、その能力、そして本人達の外見も悪くはないのだから引く手あまただ。
だが、今回のサカズキの見合いはいつものものとは少々異なる。
通常、世界貴族は同じ貴族同士でしか結婚しない。(尊い血だのなんだと、まぁ、いろいろあるが、それはボルサリーノにはどうでもいい。「世界貴族」が「守られるべき」であれば大将である自分はそうするまでのこと、と、それだけだ)だが、その例外にサカズキは選ばれた。理由など容易い、サカズキが「パンドラ・」の主であるからだ。
世界の罪人、世界の敵、悪意の魔女と、呼び声の高い生き物、は全ての者から憎まれる義務を持ち、しかし、全てから守られる権利を持っている。世界中で誰もがひれ伏さねばならぬ世界貴族を唯一「害」することが許されているのも、だけだ。何故か、それをボルサリーノは知らない。知ってはならぬことと、そう教えられている。そして特別、知ろうとは思わなかった。
唯我独占を誇る世界貴族からすれば、それは脅威らしかった。彼らとの間にある「何か」が、世界貴族を慄かせる。ボルサリーノも何度か、ロズワード聖を跪かせて足蹴にするを見たことがある。(そのたびにサカズキがを蹴り飛ばして止めさせているが、そこにセンゴクがいても、五老星がいても、サカズキが動くまで誰も何も言わなかった)
そのをどうにかできるのは、サカズキだけだ。冬の刻印を扱い、そしてが「選んだ」生き物。サカズキだけがをどうこうすることができる。それを、それが、世界貴族たちからすれば、唯一の防衛手段、なんとしてでも手に入れたい、事実となった。
大将赤犬を、世界貴族の側に引き込む、そして、その事実を持って世界の敵、パンドラ・を下位に置く。
「サカズキが従えって、言ったらね。いっそ侍女、メイドの真似事をしてやったっていいよ?」
「うーん、くんのメイド姿か〜、おっかないねぇ」
「どうせぼくより先に死ぬ生き物だ。コキ使われても、なんとも思わない」
一度は奴隷市場に売られたこともあるらしい、この生き物の昔。薄く笑って平然と言う、その口元は魔女のつきのように歪む。見た瞳の仄暗いこと。これが魔女の悪意というものかとしみじみ思った。
「用は、サカズキくんが一緒に死んでくれればいいって、そういうこと?」
「ちょっと違う、サカズキが死ぬ時に、ぼくも死なせてくれればいい。そういうことだよ」
にへら、と、顔を上げたとき、浮かんでいた笑顔の美しさ。かわいらしい少女の道化の面相、これで既に400年を生きている生き物なのだというから、本当に、世界というのは歪なものだ。
「まぁ、もちろん?サカズキの奥さんがあのアホ共だったとしても、ぼくはその奥方以外に従う気はないからね。他と顔を合わせれば、跪かせて足でも舐めさせるよ」
「おっかないねぇ」
そしてそのままひょいっと、はボルサリーノの膝から飛び降りた。とん、と、着地する音まで聞こえたような、まぁ、気のせいだろう。そして何をするのかと眺めていると、何もない左手をくるり、とまわして、いつのまにかデッキブラシを握っている。
「ボルサリーノくんがいろいろ言うから、なんだか寂しくなってきちゃった」
「マリージョアにでも行くんで?」
「今行ったら沈めちゃいそうだし、赤旗でもからかって遊ぶよ」
「かわいそうにねぇ、ドレーク少将。あ、元、か。海軍を抜けてまでくんの悪戯に合うなんて」
少し前から新聞世間を騒がせている海賊の名、は玩具と同じ程度の感覚であっさり呼ぶ。一時期は海軍本部では名を出すことも躊躇われていた、多くの若い海兵たちに打撃、トラウマを与えた事実も、にはどうということもないらしい。
「いいんだよ、そこに愛がたっくさん詰まってるから」
「わっしなら全力で逃げ出したくなる愛だねぇ」
「ボルサリーノくんに向けることは一生ないから安心してね」
にっこり、ニコニコ、容赦ない。本当に、ボルサリーノ双方、容赦ない。がちん、がしっ、と、デッキブラシと、ボルサリーノの蹴りのぶつかり合う音。速度は重さの蹴りをデッキブラシ一本で容易く受け止めるのはどんな冗談か。
ふふふ、うふふと魔女の笑い響く中、このまま硬直状態続けば少なくとも、ドレーク元少将だけは救われるとボルサリーノは頭の隅で思った。
Fin