ゆったりとした質の良い着物を纏い、脚の置き方、手の添え方など一切が洗練された動作。教育の行き届いた淑女だと関心し、それは些か傲慢かと打ち消す。普段どおりの格好、ではないが、それでも海軍としての軍服を纏っている以上、思うことは其の程度だ。美しい女なら、海軍でも多くいる。黒檻やら、魔剣やら、もう死んだが蜜柑の好きだった将校、海軍ではないが、七武海の一人など絶世の、がまさに相応しかろうとサカズキすら思うもの。それにエニエスにはあれの本体もある。今更、うつくしいこと、が美徳になるなどと、そんな妄信はない。
「それで、大将赤犬のご趣味は?」
そっと、扇子に隠された口元は見えぬ。蜜のように甘い声、帳で響けば優美なものだろうとそう思える声が囁いた。ししおどしの音が妙にこっけいに響く、マリージョアの、料亭。まさか会議以外でここを訪れるとは思わなかったが、しようのないこと。
問われて答える言葉が生憎思い浮かばなかった。趣味、そんなもの、あったか。犯罪者どもを海に沈める以外に己のすべきことなどない。答えずにいると隣の元帥が咳払いをした。何か答えろと、促される。思い当たらぬのだからしようのないことだ。だが、ややあって、しぶしぶ答える。
「薔薇の扱いを少々」
まぁ、素敵なご趣味で。と相手の女性が微笑んだが、隣の元帥、上からは見えぬ位置、正座して見えぬ畳の上の足をぐいっと、抓ってきた。
赤犬、只今お見合い真っ最中
(くだらん)
早く、本当に、さっさと切り上げて帰りたい。なぜ自分がこんな茶番に付き合わねばならぬのか。こんなことをするために大将になったわけではない。こういうことはクザンがやればいい。あの男なら喜んでひょうひょうと、女を口説くだろう。普段だらけ切っているくせに、そういうときばかりに張り切る男だ。
全く、この時間にどれほどの悪を根絶やしに出来るのか、どれほど強く正義を守ることができるのか、考えるだけで惜しいもの。しかし、恩あるセンゴク元帥と、頭の上がらぬおつるの「薦め」では普段のようにばっさり断ることもできない。なまじ相手が世界貴族のご令嬢。
「まぁ、あとは若いお二人にまかせて、我々は退散すると致しましょう」
仲人、らしい黒服がぽん、と手を叩き笑う。その傍らにいるのは勲章を多くつけた世界貴族。今回のサカズキの見合い相手の父親らしい。見覚えはある。ロズワード一家の血縁者だ。厳格そうな面差し。控え、サカズキと向かい会う子女ははにかんで目を伏せた。
「いやはや、申し訳ありませんな。×××聖、この男は軍人でして、無骨なところがあるようで。お嬢さまを楽しませられるかどうか」
同じく勲章をつけた、こちらはサカズキの隣にいるセンゴク元帥。愛想笑いを浮かべているが、その頬、少々引きつっている。帰ったら一番に怒鳴られるだろうな、とサカズキは他人事のように思う。だがまず、無理なのだ。自分が子女と見合いなど。無理だとわかっていることをさせられて、それを成功させるのも大将としての矜持のひとつだが、しかし、こればっかりは無理だろうと、サカズキはすでに諦めている。執念深いだのなんだといわれる赤犬がここまであっさり何かを諦めるなど珍しいこと。
「静かな方の方が、頼もしく思えますわ」
センゴクの言葉に、顔を伏していた令嬢が小さく微笑んでサカズキを庇った。花が綻ぶような小さな笑顔。良家の子女、男を立てるということが当然に出来ている。センゴクがほっと息を吐いた。どこまでが演技なのか、サカズキには判断が付かない。
「そう言っていただいて安堵致しました。お気遣いいたみいります」
そして仲人、両付添い人が立ち上がる。かこーんと、シシオドシ。襖の閉まる音を訊きながら、サカズキは相手の令嬢をもう一度見た。といって自分から何か話すことはない。何を、話せというのか。
「お庭に、出ませんか」
控えめな令嬢の声。断る理由もなかったので頷くと、ほっと、微笑んだ。
見事なワノ国の庭である。石が多く、それがまだ良いものだとサカズキは関心しながら眺め歩いた。薔薇などない。池には赤い恋がいるが、蜥蜴はいなかった。林檎の木でもあるかと探したが、そんなものがあるわけもない。
「申し訳、ありません」
ぽつり、と、少し後ろから小さな声。とぼとぼとした足取りの令嬢が俯きながら、謝罪の言葉。天竜人、と自らを称する連中。謝る言葉など使えぬと噂もあったが、人間なのだ、そんなことは容易い。それでも実際に聞くとサカズキも少々、驚く。
「なぜ、謝罪を?」
「煩わしい、でしょう?世界を守る大将殿、父上が無理を言ったから、こんなことに付き合わされてしまって」
恐縮しきって頬を染める、令嬢。それを眺めて、サカズキは目を細めた。なるほど、世の男というものはこういう姿、様子に心を乱されるのかと、傍観。
「あなたもそれを望んだのでは?」
切り捨てるような、低い声。びくり、と、令嬢が震えた。それにほだされるような心は生憎持ち合わせていない。なにが、なぜ、どうして、なのか、そんなことを、悟れぬようなら、大将になどなれなかった。
「そんな、わたくしは……」
「たとえあなたが私の細君になったとしても、あれを従えるなど、不可能だ」
心の底から、ばからしいことだと思う。サカズキ、恐らくと天竜人の確執をこの世の誰よりも承知している。伊達に冬薔薇を手に入れてはいない。
隠していたわけではないが、黙ってはいた。予想よりも随分と長い時間、が自分のもとにあることを世界貴族は認識していなかった。誰が告げたのかはどうでもいいが、サカズキが、大将が海の魔女を捕えた、と知った時、世界貴族は何を思ったのだろうか。
「世にある何もかもから、支配されぬ生き物。それを手にいれようと策を練られるよりは他のことに気を回されては如何か」
全く、あれを己の下に置こうなど、彼らには過ぎたことだ。サカズキは世界貴族を敬う心など欠片もない。彼らはただのシステムの一つ。が、あの生き物が罪人であることが世界の原理に必要な事と同じように、そこに感情を伴わせることなどない。侵されるべきではない血の末裔、英雄は敵がいてこそ成り立つもの。そのをどうこうしようなどと、血が薄れてきた何よりの証拠だ。
「無礼な!!」
かっと、女の手がサカズキの頬を叩いた。長く伸ばされた爪が頬に当たり、肌が裂けた。避けることは、できない。ぴりっとした痛み。それを見て女の目が見開かれ、口元に笑みが浮かぶ。
「跪きなさい」
高圧的な口調、気配までがらりと変る。なるほど猫をかぶっていたのは互い様ということか。人を買い所有する貴族、こちらの方が“らしい”ものだ。
「いかに海軍本部大将といえど、所詮は下々民の分際で、このわたくしに逆らうのですか。身のほどを知りなさい。誰のお陰で政府があると思っているのです」
万人に知らされている史実、であるのなら二十人の王たちの「おかげ」とそういうことだ。なるほど、己の今の生を感謝しろと、それは道理のようにも聞こえる、が。
正直な話、本心から「自分が今ある原因」に感謝しろ、というのなら万人が跪くべきはこの星そのものであるし、もっと規模を小さくするのなら、太古、直立した猿人を敬うべきだろう。第一、20人の王たちがいなくとも、人が滅びぬ限り世界は終わらない。今とは違う世だっただろうが、それで、自分が生まれてこなかった、ということもない。
とうの昔に死んだ者、とうの昔にあった事実をいつまでもありがたそうに頂いて飲み込む必要などどこにあるのか。
それでも、そう思っていても、跪かぬ理由にはならない。
サカズキは方膝を地に着け、そのまま頭を垂れた。見下ろす令嬢の気配がさらに傲慢なものとなる。白い手の持った扇が、容赦なくサカズキの頭を叩いた。
「そう、それでいいのです。お前たち下々、下賤の者どもはわたくしたちがなければ生きてはいなった。その事実を噛み締めなさい」
高圧的に言い放ち、そしてその細い手を差し出す、令嬢。お手を取って口付け、忠誠の証でも、と、そういうことだろう。サカズキは手を取った。大将である以上、拒むことのできぬこと。ただの動作に意味はないと、わりきれるので、どうということもない。
「……」
令嬢の目が優越に染まった。その瞬間サカズキはぴたり、と、動きを止める。
気候が乱れた。がらり、と変化。雨の匂いがする。嵐の、予兆だ。今晩、近海の海が荒れるだろう。
サカズキの脳裏に、青い目の少女が浮かぶ。
嵐がくれば、あれが恐ろしがる。恐ろしいものなどないと平然と嘯きながら、それでも雷や炎を怖がるのだ。あれは。
海が荒れればデッキブラシでどこぞに行くこともできぬだろう。それでも自分は数日は帰らないと言ってある。恐ろしいものが来るのなら予期して逃げるだろう。誰のところに行くのか考えるまでもないが、別段咎めるつもりはない。あれはディエスを気に入っていた。海の屑となったが、ドフラミンゴや鷹の目のところへ行かぬだけまだましだ。だが、ちゃんと避難できるだろうか。
「何をしているのです、さぁ、早く、」
動きの止まったサカズキを令嬢が急かした。サカズキは手を離し、立ち上がる。すくっと、身を起こせば背の高いサカズキが、世界貴族の令嬢を見下ろすこととなった。
「――――承知しております。尊き天の竜の方々、しかし、ゆめゆめお忘れめされぬよう。彼らの作った“世界”を、“正義”を“今”守り、持続させているのは誰か、ということを」
言い放つと、令嬢の顔が一瞬で真っ赤になった。屈辱を受けたと、そういう表情。それからわなわなと脣を震わせ、きつくサカズキを睨みあげてくる。
「傲慢な!!!このわたくしに、世界貴族に口答えをするのですか!!!」
「口答えなど、私程度の身には過ぎたこと。ただ、借りにも私の妻となるつもりがおありのようでしたら承知して頂きたい。私は、」
「赤犬!!!」
何か言おうとした言葉が、後ろから叫ばれたセンゴクの声で掻き消された。怒声、ではない。何か急を要するというその声にサカズキは振り返る。こちらに歩いてくるセンゴクの顔、緊張していた。
サカズキは元帥に礼を取って言葉を待つ。センゴクは世界貴族の令嬢など目に入らぬように、真っ直ぐにサカズキに向かい、眉を顰める。何かあった、と、そういうことだろう。
「至急本部に戻ってくれ」
堅い声でそれだけ言う。サカズキは目を伏せた。仔細は聞かずとも分かる。のこと、何かしでかしているのだろう。考えられる原因は、自分の不在を黄猿かドフラミンゴあたりに揶揄されて不機嫌になったとか、そういうこと。
「何をしたのです」
「黄猿とケンカなんぞはじめおった。今ガープが間に入っとるが」
それでもまだ止まらぬらしい。よほどを怒らせたか。それでも本部を沈めることこそないだろうが、稀有な光の悪魔、最高戦力をそんなくらだぬことで失うわけにはいかない。
「承知致しました」
どうにかしろ、と、それが命令。さっと踵を返して、サカズキは歩き出す。散々無視されて貴族令嬢が何か最後に叫んでいたが、それはもうあずかり知らぬこと。あとはこの見合いを実行させたセンゴク元帥の始末の範囲だろうと、仕事を投げる気はないが、優先順位の差。軍靴を鳴らしてさっさと歩く。
雨が来る匂い。
帰ったらまずあれを蹴り飛ばし縛り付けて、嵐の音の聞こえぬ場所に閉じ込めておかなければと、自分の執務室は防音が他よりも優れていたかと、思い出しながら、サカズキは歩く。その足取りにに迷いも焦りもない。真っ直ぐにただ進む、きりっとした将校のその姿。歩みを止めるのはどんなものか。
「おや、そこ行く海兵のお兄さん、港の恋人に土産なんてどうだい?」
すたすた歩いて誰も声などかけられぬ畏怖堂々としたその姿、ひょいっとのん気な声をかけたのは道に布を広げた行商人。赤い布の上には透明なガラスの小瓶が並ぶ。香水入れ、生花と香水を中に入れた、アンティーク。
ぴたり、と、サカズキの足が止まった。
Fin
いや、もう、お前ら本当に結婚しちまえよ。