のんびりうららかな日差しを受けて、デッキブラシに寄りかかりながらうとうととしていた、パチン、と手を叩く音で目を覚ます。

目の前、がつい瞼を閉じるまえまでは壊れていた手すり、がきれいにやすりをかけられカンナ、ばっちり隙間もない、というほど見事な修繕。

「あ、直ったんだね」
「おはようございます、お嬢」

だからその呼び方は何なのか。はふわり、とあくびをして、ヨサクとジョニーの賞金稼ぎコンビを見上げる。何かを直すことのできる人は好きだ。ひょいっと立ち上がって、、見事に修復された箇所を眺める。

「すごい、二人とも上手なんだね」
「へへへ、あっしらにかかりゃこんなの朝飯まえで」
「そうそう、お嬢。ゾロの兄貴たちは先にバラティエに行っちまいやしたよ。お嬢を起こそうとしたんですがね、夕べも遅くまで起きてたからってナミの姉貴がそっとしておいたんです」

確かに見渡せばゾロ、ナミ、ウソップがいない。どうやらいつまでも帰ってこないルフィにしびれを切らし、ランチの傍ら様子を見に行くと、そう言ったところだろう。はナミの気遣いに内心はしまった、と舌打ちした。、あまり眠るのは好きではない。夢を見ると昔のことを思い出してそれが嫌だからできる限り起きていようと、そういう時がある。眠い時は容赦なく眠いのだが、まぁこの体もいろいろ決まりがある、と簡単にいえばそういうこと。それで、昨晩は「たぶん嫌な夢を見る」とそういう予想ができたから眠らずにずぅっとぼんやり星を眺めていたのだが、それをナミに気づかれていたとは。

これからここで旅をする以上、なるべく自分の正体は隠さなければならない。は嘘をつける生き物ではないから、嘘をつかずに隠す、というしかない。それはなかなか難しいが、しかし気をつければなんとかなる。

とりあえずナミとは同室なのだし、今後は気をつけておかなければ、と思い、ヨサクとジョニーを見上げる。

「二人はいいの?おいしいんでしょう、このお店」
「いや、自分たちは恩人の皆さんの食事中にこの船を守るという役目があるんで」

舟番ということか。麦わら海賊団、現在を含めて五人しかクルーがいないのだから本来ならそのうちの一人が残って船の番、楽しい食事も一人だけおいてけぼりをくらうとそういうはずだったのだが、ヨサクとジョニー、早速お役に立っている。

「目を覚ましたらお嬢も来いってナミの姐さんが言ってましたぜ」
「うーん、でもぼく別にお腹すいてないしなぁ」

というか、、別に一週間くらいは水だけで生きていける。その気になれば一ヶ月は軽いのだが、その変わりに髪質やら肌の質がガタ落ちになるのでそんなサバイバル体験はしたくない。ほかのレストランならいざ知らず、あのゼフのいるレストランで「食事の必要ないけど食べにきました☆」なんていうのは、あんまりやりたくない。

蹴り飛ばされないだろうが、材料の無駄だと知っている人にわざわざ料理を出させるのは外道である。

困ったように笑って、「二人の作業もっと見てたいな」と提案。嘘ではない。船が直るところを見るのはとても好きだ。船大工仕事。そういえばあのルッチも今はアイスバーグのところで大工をやっている。普段いかめしい、殺気やらなにやらばかりのおっかないと評判の男がシルクハットに白シャツという奇妙な姿でマジメに仕事をしているのがには面白かった。ガレーラには半年にひと月必ず滞在することを決めている、ちょうどあと半年後くらいにはまた行くつもりなのだけれど、運よくルフィたちの船が半年後くらいにそこにたどりつけばいい。まぁ、都合よくそんな展開になる、とは思ってはいないけれど。

トントン、と他の壊れた場所を修理し始めるヨサクとジョニーの背を眺めていた、そこで視界にちらっと入ったものに顔を上げる。

「あれ…?」
「どうしたんすか?お嬢」
「うぅん、なんでもないんだけど……」

の視線の先、は丁度バラティエの裏口。先ほど何やら銃声、悲鳴、店内で騒ぐような気配があったのだが、無事に治まったよう。ナミは、まぁゾロたちが一緒ならば心配はないだろうと別に慌てるではなかった。が、ガッシャン、とレストランの裏口からたった今放り出された人間が気になった。

どうも見覚えがあるような気がするのだが、思い出せない。

(えっと、んー……なんだっけ?)

あの蛇のマーク、血色悪そうな顔。短ランですか、というような服に二色のバンダナ、の男。極悪そうな面。風体から海賊、だろうというのはわかるのだけれど、の知人、ではない。いくらでも知人の顔と名前を忘れたりはしない。たぶん、手配書か何かでさらっと見たことがある、という位なのだろうけれど、すぐには思いだせなかった。そういうのは気持ちが悪いもの。うーん、とは少し考えてひょいっとデッキブラシに跨った。

「え、お嬢。どこか行くんですか?」
「ちょっとレストランにヤボ用。二人にお土産持ってくるね」

見送る二人に手を振って、ひらりひらりと、バラティエの裏口に降り立つ。うつ伏せになっている男を見下ろし、首をかしげた。

「あれ?じゃねぇか。お前メシ食いに来たのか?」

やっぱり誰だか思い出せないと気持ちの悪い思いをしているの図上に、船長の声。

「あ、ルフィくん。ふふ、ゼフくんにちゃんと謝ったの?」
「おう。でも一年雑用やれってさ。困るよ、おれぁすぐにグランドラインに入りてぇのに」
「ぼくも一年ここにはいられないなぁ」

だろ?なんて笑うルフィにも笑い、それでひょいっと、ルフィの隣に飛ぶ。それで二人して寝転がっている男を眺め、は問うて見た。

「ねぇルフィくん、ところであれなぁに?」
「あぁ。海賊だってよ。金がねぇってんで追い出されたんだ」

なるほど、ここはレストラン、配給所ではないのだから、料理を頂く以上対価が必要となるのは道理である。それにしても、フルぼっこにされた、というのは聊かやりすぎのような気はしなくもない。

「なぁお前!腹減ってんのか」

倒れたままぴくり、とも動かぬ男にルフィの間のびした声がかかる。すると、腹の音を盛大にならしながら、男が呻いた。

「う、うるせぇ……腹なんか減ってねぇ……!」
「ふぅん」
「全く説得力ないよね」

ルフィと、男の言葉、込められた怒気をあっさりやり過ごして互いに頷く。まぁ、思いっきりお腹は鳴っているのだけれど、からすれば、まぁ、人間それでもあともう少しは生きられるとそういう程度。別にどうと思うこともない。それでぼんやり、あとどれくらいで男は餓死できるのかでも占おうかと指を折っていると、ガチャリ、とまた裏口が開いた。

「あ、さっきのコック」

と、ルフィの声。
出てきたのはにおい、湯気の立つピラフをボードに乗せて、水とスプーンまで完璧に用意した、まかない料理持参のスーツ姿。キラキラ太陽を受けて光る金髪が眩しいとは一瞬眉を寄せる。

そのコック、手に持っていた食事を、倒れている男の目の前に置く。それでパタパタにおいをかがせて食べさせない、のであればとんだ外道だが、それで何でもないように、自分は近くに座り込んで煙草を吹かす。

「食えよ」

そう短く言うだけ。おや、とは目を開いた。隣ではルフィがじっと、その様子を見ている。
倒れた男、ごくり、と喉を鳴らしたものの、ぐっと歯を食いしばって料理から顔をそらせた。

「煩ぇ…!!向こうにいけ!!!俺は、俺は…落ちぶれても、施しは受けねぇ……!!」

匂いでさらに鳴る腹をぐっとこらえながら、男がつぶやく。中々強情で海賊らしいとは関心し、あれ?でもさっき無銭飲食しようとしたっていうのは、それは男の矜持にはよいのだろうかとそういう疑問。まぁ、海賊だからいいのだろうか。

「とっととこのメシを下げやがれ……!!!」
「四の五の言ってねぇで食いやがれ。俺にとっちゃ、腹すかしてるヤツは誰でも客なんだよ」

男の言葉を遮って、コックの男が呆れたように言う。二人ともとても口が悪いとは思うが、しかし、中々面白い見もの。今後の展開、どうなるのかと眺めている、ルフィも同じように、黙っていた。

「悪いな、俺は客じゃねぇ」

それでもなお、意地を張るらしい男。一言一言しゃべるたびに体力を使うもの。その度にぎゅるぎゅるとたちの位置までにもはっきり聞こえてくる腹の音。

一瞬イラッと、金髪のコックが眉を上げた。そこでは、男の眉毛が左側だけぐるぐるっとしていることに気づき「なにあれ!」と妙にテンションが上がった。それで自分のくるくるっとした横毛を指で巻いてみて「おんなじだね」と親近感。まぁ、それはどうでもいい。

一度顔を顰めたコック、ふぅっとたばこの煙を吐いて、それで、ぽつり、と口を開いた。

「海は残酷だな。この広い海で、食糧や水を失うことがどれほどの恐怖か、どれほど辛いか」

誰よりも、そのことを承知しているという声で言うコック。

(ふ、ぅん?)

はそれを眺めて、さめざめ、そういえばゼフが足を失った事件を思い出す。そして再度ふぅんと頷いて、手すりに頬杖を付く。

「誇りに死ぬのも構わねぇが、食って生き伸びて、見える明日もあるんじゃねぇのか」

ぼんやり、言うコック。別段説教とうをしているという恩着せがましさは感じられない。それを受けて、男の目が見開かれた。何かを想い、そして決意するように一度目を伏せて、それでガバッと起き上がったと思うと、皿を抱え込み、そのままスプーンでがぶがぶと掬って食べ始めた。最後の矜持は残ったようで、それでも食べている姿は見せられぬと背を向ける。

がふっ、がつっと口にかきこむ音。それに嗚咽が混じってきたのは、そのすぐのこと。男は「めんぼくねぇ……めんぼくねぇ」と繰り返しながら、涙のまじったピラフを口に運ぶ。

「ダメだと……もう、ダメかと思った…死ぬかと、思った……!!!」

広い海、この男がどんな災難を受けたのかは知らない。それでも、海で最も恐ろしい死に方は餓死だと以前レイリーが教えてくれたのを思い出す。溺れて死ねるなら、それは海に抱かれてのこと、戦って死ぬなら、それは名誉のうちのこと、だが何もかもが乾いて死ぬこと、それは、どれほどに恐ろしいかと、あの冥王どのさえ言っていた。だから、海賊たちの「仲間への処刑方法」である無人島への置き去りにしてみても、自殺用に一発だけ弾の入った銃を置いていく。それほどに、恐ろしい死に方なのだと、そういう。

どんな強者とて、生き物である以上は何かを口にして生きなければならない。ひとしく、それは誰にも平等のこと。は「ふぅん」と、その時も、そしていまも、大した感慨は持てずにただ眺めた。

空腹を感じたことなど、にはこれまで一度だって、ない。
だからその恐ろしさは、想像することでしかわからない。

じぃっと、その二人のやりとりを眺めていると、傍らのルフィが声を立てて笑った。

「ははっ、いーコック、見つけたぞ、

うん?とルフィの方を向けば、よく「名案なんだがな」と楽しそうに言って来たシャンクスと同じ顔のルフィが、笑顔でコックを見下ろしていた。

はだいたい想像がついて、溜息を吐く。

もしあのコックが、ゼフの「助けた」子供なら、いくらルフィといえど、海賊船に引き抜くのは難しいのではないか、そう思う。だがまぁ、一度そうと決めたら他人の事情お構いなし、という、いいのか悪いのか判断つきかねる性質のあるルフィであるから、まぁ、なんとかするのだろう。

「よかったな!おまえ!飯食わせてもらえて!!」
「死ぬところだったものね。あ、ちなみに食べなかったらあと六時間で死ねてたんだよ」

はっはは、と笑いながらコックと海賊の男に声をかけるルフィに便乗してもニヘラ、と笑い続ける。正確には、あと二時間で意識が遠のき、完全に死亡するまでの時間が六時間、ではあるのだが、そういう詳細はいいだろう。

「おいコック、お前仲間になってくれよ」

金髪のコック、初めてルフィのの存在に気づいたよう、顔を上げて「は?」と条件反射というだけの、声を上げた。まったく前置きも何もあったものではない突然の申し出、困惑されるだけだろうにルフィは構わずに続ける。

「おれの海賊船のコックになってくれよ」
「は?」
「ルフィくん、それ唐突すぎるよ。まずは名乗る礼儀からしないとさ」

とたしなめながらも名乗る様子は見せぬ。それで堂々と「仲間になりなよ」とこちらも言う。金髪のコックと海賊、二人で心底わからぬと顔を見合わせた。その様子が、少し面白い。





「おれァ、ルフィ。で、こいつは。おれの仲間だ」
「麦わら海賊団っていうんだ」

餓死寸前の男も食べ終わって、水もしっかり補給。ごちそうさまでした、と手をそろえてきちんと言って、金髪のコックが満足そうにうなづいた。そういう光景を眺めてから、とルフィの自己紹介。

「お前たち海賊なのか?」
「あぁ、そうだ。まだできたてだけどな」

海賊旗なんて一昨日つくったんだよね、とは自分から口にするのもなんだと思って胸中で頷き、手すりに座り込むルフィにならって、自分も同じように座ろうとしたのだけれど、その前にサンジ、と名乗ったコックがそれを留める。

「レディがそんな危ないことするんじゃねぇ。それにスカートだろ、お嬢さん」
「ふふ、そういえばそうだった」

ひょいっと、サンジはの体を持ち上げて、自分の前にちょこんと下ろす。それでルフィを見上げるような形になるが、まぁ、お嬢ちゃん、ではなくてお嬢さん、子供扱い、ではなくてレディ扱い、というからよしとしよう。

「で?なんでまたこの店に砲弾なんて撃ち込んだりしたんだ?」
「んー、あれは事故だ、正当防衛の流れ弾なんだよ」
「なんだそりゃ」

確かに言葉としては妙だが、まぁ、事実である。はうんうんと頷いて、まぁ本当に、あれはとっても不幸な事故だったと片づけたい。

「まぁ、なんにしても、この店に妙なことはしねぇこった」

ふぅっとたばこを口から放して、サンジがしみじみという。

「ここのオーナーはもともと名のある海賊団のコックでな」
「へぇー、あのオッサン海賊だったのか」

先ほどあったゼフを思い出してルフィが頷く。だからあんなに強いのかと納得もできているらしい。は、いや、本当にシャンクス、ルフィに常識くらい教えこんであげればよかったのにとしみじみ思った。海賊は、何も知らぬ状態から始まるからこそ面白いもの、とは思う。それこそが冒険、海賊のロマンだとそう言えるのだけれど、しかし、ルフィはあまりにモノを知らなすぎる……!!

(赤足のゼフっていったら、すっごい有名だよね。ルフィくん…なんで知らないの)

いや、シャンクスのあの性格を考えれば、別に名のある人間だからどう、というわけでもなかったゆえのことかもしれない。しかし、いや、本当、最低限の海の知識、マナーとかそういうのくらいは教えこんでやった方がルフィの今後のためだったのではないだろうか。

まぁ、は見ていて面白いから、別に今のままでもいいのだけれど。

「そのクソジジィにとってこのレストランは宝みてぇなもんなんだ。その上、あの男に憧れてここ集まったコックどもは、海賊ばりに血の気の多いやつらばっかりだ」
「本当、騒がしいもんな、この店」
「まぁな。これが日常だ。最近じゃ海賊とコックの乱闘見に来る連中もいる。おかげでバイトのウェイターもビビって逃げ出しちまったよ」
「ふぅん、あ、それルフィくんに一年も働けってことなんだねぇ」

一応ここの時給は高かったはずだから(海上だし)ウェイターも集まるものではないかと思ったのだが、まぁ、命が人間一番大切である。ただの一般人(しかもアルバイト)が毎日命のやりとりですか?というような乱闘騒ぎ、それは逃げだしたくもなるだろう。

ふんふん、とがうなづいていると、ルフィがひょいっと、サンジの顔を覗き込んだ。

「なぁお前、仲間になってくれよ」
「それは断る。おれはこの店で働かなきゃならねぇ理由があるんだ」

きっぱりと、サンジの否定の声。固い意志は良くわかる。それでも苦笑いを浮かべ、ひょいっと、これからいろいろ、まぁ、ルフィの押せ押せ展開になるとはわかったので、自分はどいて、成り行きを眺めている死に損いだった男の方へ行く。

先ほどまでは確かに死相も見えかけていたのだけれど、今はきちんと回復。さすがにすぐに回復するわけはないが、血行も良くなっているように見えた。そして背後でルフィの「嫌だ!」と、まぁ、始まった。

「なんだ?」

死に損いのその男、幼い子供にあどけなく見上げられ、首を傾げる。きょとん、とは目を丸くしてから、「うーん」と低く唸った。

「ぼく君のことどっかで見たような気がするんだけど……思い出せなくって」
「?おれはアンタにゃ見覚えがねぇが」
「あ、うん。会ったことはないと思うんだけどね。きみ、有名人?」

正直に答えてくれる、とはも思わぬがそれでも聞いてみた、男一度ごくりと喉を鳴らし、それで、目を伏せた。それがどんな意味なのかには判断できない。

男はぎゃあぎゃあと騒いでいるサンジとルフィの方へ顔を向け「話割ってすまねぇが」と、そう前置きをした。

「俺はクリーク海賊団のギンってモンなんだが。あんたらも海賊なんだろ?目的はあんのか?」

問われてルフィ、一度ニッと笑う。そういうときのルフィの顔がは一番好きだ。

「あぁ、おれはワンピースを目指してる。グランドラインに入るんだ」

キラキラと宝石箱をひっくりかえしたって、こんなに輝かないというほどに、眩しい笑顔に明るい声。受けてはにっこり、知らず自分も笑んでしまう。

しかし、ギン、と名乗った男の顔が曇った。

「コックを探してるくらいだから、アンタたちまだそれほど人数揃っちゃいないんだろう?」

あとルフィがまだ若いから、という点には触れない。子供が海賊団、でもバカにせぬらしいところ、へぇとはそこで一つ好感を持った。

「あぁ、今こいつで六人目だ」
「なんで俺が入ってんだよ!!」

当然のようにサンジもカウントするルフィ。も、もうそのつもりである。良くも悪くも、ルフィは狙った獲物は逃がさぬところ、本当にある。ゼフのところの、まぁ、厄介な子がサンジであるのなら引き抜くのは難しいと思うのだけれど、しかし、ルフィを納得させる方が難しい。

「グランドラインだけはやめときな」
「なんで?」

真剣な顔、声でひっそり言ったというのに、ルフィの表情さほども変わらぬ。
ギン、一度言うかどうかと迷うように言葉を区切り、乾いたくちびるを湿らせてから、ぎゅっと、膝の上の手を握りしめた。

「あんた、まだ若いんだ。死に急ぐことはねぇ。グランドラインなんて世界の海のほんの一握りにすぎねぇんだ。海賊やりたきゃいくらでも海は広がってる」

まぁ、それは正論である。はルフィの反応を待った。これでルフィがあっさり進路を変えるようであれば己はこれまで、いつでも他の船に乗り換える気は、まぁあるのだけれど、しかし、そうはならぬと、そう分かっている。

「んー、そうか。お前、グランドラインについて何か知ってんのか?」

これから己の目指す進路、興味は当然あるもので、ルフィも普段のように流しせずに、問うて来た。グランドライン、グランドライン、にはなじみのある世界。この死に損ったギンという男はいったいあの海をどう表現するのかと、それが少し、気になった。

ギン、食事を終えてやや血色の良くなっていたはずのかおを、青白くし、ガタガタと震え始める。

「いや……何もしらねぇ、何もわからねぇ。だから、怖いんだ」
「何もわからねぇのに?」

不思議そうに、きょとん、とギンを見下ろすルフィとサンジを、は「ねぇ」と呼んで注意、こちらに向けてみた。

「ん?なんだ、
「ぼくさっきから思いだそうとしてさっぱりなんだけど、クリーク海賊団って、なんだっけ?」

このギンという男の顔、どこかで見た覚えがあるのにさっぱり思い出せない。有名な賞金首、億越えのグランドラインの海賊ならそうそう忘れぬのだけれど、こうしてグランドラインを恐れているから、そうではないのだとそれはわかる。だが、ならなぜ自分、この男に見覚えがあるのか。

それで、先ほど男が名乗った「クリーク海賊団」について、やっぱり聞き覚えはあるのでどういうことかと思い、知っているかも知れぬサンジに期待してみた。

「子供に聞かせる話じゃねぇよ」
「ぼく一応ルフィくんの仲間で海賊なんだけど」

ナミはまぁ、いいとして、どうしてこう、人は自分を子供扱いするのか。は頬を膨らませて、サンジを見上げる。確かに、体はとても小さい、幼い少女のものではあるけれど、これで自分、とっても長生きしている。子供扱い、されて時折にはうれしいものだけれど、こうもあからさまに、いろんな行動制限になると、ちょっとイラっときてしまうものだ。

それで顔をしかめていると、「さて」とギンが腰を上げた。

「そろそろ行くよ。あんまり長いしちゃ、迷惑かける」
「おう」

サンジもたちあがり、裏に止めてあるギンのボートまで一緒に歩いた。、いろいろ納得はいかなかったのだが、まぁ、クリーク海賊団、という名前は引っかかったのだし、調べておこうとその程度。ルフィも一緒に歩き出したものだから自分もついてとぼとぼと行く。

「でもまぁ、おれぁ行くぞ、グランドライン」

よっと、ボートの準備をするギンの背にルフィが声をかける。忠告、してくれたことはわかるが、それでも変わらぬ、という言葉。は「それでこそ」と内心笑んで、先ほどのうっぷんが晴れる。

ギンは少し困ったように笑ってから、それでも海賊としての礼儀をわきまえた男らしい、潔く、己の意見の聞き入れられぬことを認めた。

「他人のおれにあんたの意思を止める権利はない。ただ、忠告しておきたかったんだ。それにサンジさん、本当にありがとう。あんた、命の恩人だ」

あのメシは最高に美味かった、というギンにサンジもほころばせる。作ったものが「おいしい」と言われることが作り手にとって最高のものだという。そのことはにもわかり、ぼんやり二人のやりとりを眺めた。

「また、食いにきてもいいか」
「いつでも来いよ」

今にも死にそうだった男と、それを助けたコック。こうして過ごした時間はほんのわずかなのに、の目には二人の間に「情」ができていることが奇妙だった。命の恩人、であるからなのか、それとも、また別のものなのか、それはにはわからない。

「おいコラ雑用小僧!!てめぇそんなとこにいやがったのか!!」

さてこの二人はどうなるのだろうかと興味津津に見ているの背、に懐かしいどなり声。げ、とルフィが身を竦めたのと同じタイミングでは振り返った。

「あ、ゼフくん」
「?……?なんでこんなところに……」

まさかがいるとは思わなかったらしい、珍しく驚いた顔をしたゼフは一瞬呟き、それで先ほどパティの追いだした客と、サンジ、それに食後らしい食器を順に眺める。

一瞬、嫌な沈黙が流れた。サンジはひょいっと、何でもないように肩をすくめ「行け」とギンを促す。どうということもないという態度ではあったが、これがまずいことだということはギンにもわかる。ぎりっと唇を噛み、すまなそうにうつむいた。

「…悪いな……俺なんかにタダ飯食わせたから……」
「何、気にすんな」

すたすたとサンジは空の食器を手にとって、それをそのまま海へ投げ捨てた。「え、それ不法投棄」といろいろ突っ込みが浮かんだけれど、さすがにここでそれを口にするほどKYではない。黙ってその様子を眺め、ゼフを見る。

昔から、義理人情にはなかなか熱い男…ではなかったけれど、己の芯のある海賊だった。年代がレイリーと近いからか知らないが、それなりにも交流のある海賊(サカズキに捕まるまでだが)で、まぁ、この状況、悪いようにはならぬだろうという確信もある。

食器を沈め、唖然とするギンに笑いかけ、サンジ、たばこに火をつけた。

「怒られる理由と、証拠がねぇ。だろ?」









やはりサンジの行動は咎めずゼフは、ただ「働け!」とルフィとサンジを叱っただけ。それでぽつん、と裏口に残されたは、懐かしそうにゼフを見上げる。

「やぁ、ゼフくん。20年ぶり?」
「なんでテメェがこの海にいる?嘆きの魔女」

そういえば海賊の伝説ではの通称は「嘆きの魔女」であったかと、久しぶりに思いだした。北の出身者は「北の魔女」海軍海兵は「悪意の魔女」とをそう呼ぶ。だが最近、を「そう」だと知っている海賊と、そしてをそう呼ぶ海賊と出くわすことがなかったので少し忘れていたものだ。

「ちょっとね。きみが雑用言いつけた麦わら帽子の子の船に乗ってるんだ」
「酔狂なことだ。何か企んでるのか」
「企んでいるのはぼくじゃあないよ。ふ、ふふふ。ちょっと、ね」

含み笑いひとつ。もう海賊ではないゼフに隠すことなど何もないが、しかし、海賊ではないゼフに話すべきことでもない。それでただ笑って過ごすだけでいると、ゼフがため息を吐いた。

「どうせならメシを食ってけ」
「いいの?」

ゼフはに味覚がないことを知っている。そして食事が本来の人間ほど必要でもないことを知っている。食べものの価値をきちんと把握している男からのそのすすめ、驚いていると、に背を向けたゼフ、懐かしいものを語るような声を出した。

「お前を見てると、海賊だったころが昨日のように思える」

何年、何十年と、変わらぬ。ゼフが少年だったころに見た姿と、今こうして老人である時に見ても、は何も変わっていない。時間の流れが嘘のよう。まだ己には足があり、そして海賊団、仲間が当たり前のようにいるように、そう思える。

はふわり、とデッキブラシで浮かび上がり、ゼフの傍らに寄った。

「ねぇ、ゼフくん。後悔、してるの?」
「っは。そんな日は一日もない」

の長い人生でも、己の足を食ってまで生きながらえた男はいない。ゼフと、ゼフの助けた子を襲った悲劇の詳細、別に承知しているわけではないのだが、もしも、一般的に普通の人間がその場に自分自身がなったなら、まず子供を殺して食べるという選択肢を取るか、それか餓死というだけだろう。それでも、ゼフはどちらでもなく、生き残った。己の足を食べたというのは確かに驚きではあったのだけれど、それよりもには、ゼフが死ななかった、という方が不思議だったのだ。

海難事故により、ゼフの仲間は皆海に沈み、遭難しているその時にその事実を知ったのだという。なら、仲間を失い、それで生きる意味が船長にあるのだろうか。絶望、しなかった。傍らに、己と同じ夢を持つ子供がいたからか?いや、違うとは思った。他人が他人を生かすことはあるが、自分を生かすのは、どこまでも自分自身でしかないのである。

ゼフは、まだ生きる目的が、夢があったから、生き残ったのだろう。

「この海上レストランは俺の夢だった。こうして構えて、もう随分経つ。後悔なんて、ひとつもねぇ」

きっぱり言い放ち、こつん、とゼフがの頭を小突いた。はゼフを見つめ、にへら、と笑う。

先ほどのクリーク海賊団、それにギンという男。どうして自分が覚えているのか、気になった。だが、ゼフがいるこの海上レストランに影響がなければ、まぁ、何の問題もないと、今はただそう思う。



Fin