別々の物語を今日も生きていく
扉の前でうろうろと行ったり来たり、を繰り返すきっちり着こんだスーツに正義を背負うコート。それは自己主張なんですかと日々疑問に思われる顎のXの字はいかめしく引き結ばれている口元で余計にその存在を強くしている。普段冷静沈着、無言実行が主な海軍本部少将殿。多くの海兵たちの憧れとなるそのストイックな正義に対する姿勢、そして悪意の魔女の悪戯に翻弄されながら辞表を一度も書いたことのない心の強さ、普段の涼しげな面ざしが、今はそわそわと気も落ち着かぬ様子。
「あ、あのぅ、少将どの。そんなに気になるのでしたら部屋に入られては如何でしょうか」
うろちょろされて目ざわりです☆なんてことはないが、しかし、先ほどから行ったり来たり、をされて部屋の前に立つ海兵も困惑するしかない。それで一言言ってみれば、ぱたり、と、ドレークの足が止まった。
「入って無事に済むと思うか……?」
「は?」
「前回心配して部屋に入ったとたん上からタライが落ちてきた。その前は突然床が“迷宮”への落とし穴になり、なんとか這い上がってもベッドにつく前に“リバース”で入口まで戻された」
「は、はぁ?」
その前はジャヤに飛ばされて危うく海賊たちの餌食になるところだったと、こんこんと語るドレーク少将。冗談を言っているようには見えないのだが、その内容はどこまでも冗談のような信じられぬもの。が、しかし、海兵の護っているこの扉の向こう、部屋の主にはそのようなことは朝飯前、ということも知っている。何しろ、海軍本部の奥に位置するこの部屋、には、魔女が住み着いている。どんなこともあっさりとこなし、どんなことでも、興味を持たぬらしい、世界の敵というその人。海兵はこの二週間ばかり扉の前に立って、中の魔女が出てこないようにと見張りを大将から命じられただけなので、いったいどんな魔女がいるのかは知らないが、ドレーク少将のこの警戒のしよう、やはり悪意の魔女とは恐ろしい生き物なのだと、ごくり、と喉を鳴らした。
彼にこの部屋を見はるように命じた大将赤犬は現在革命軍との睨み合いのため本部を離れ新世界へ赴いている。どうしても3ヶ月はかかるといわれる任務ゆえ、彼はあと二カ月以上はこの扉を死守しなければならない。いったい中にどんな化け物がいるのかと、一度覗きこもうとしたら、氷の大将殿がのんびりとやってきて、覗こうとした海兵の手を止めた。その時あのダラけ切った正義がモットーの大将殿、ぼそりと呟いた言葉、彼は忘れない。「死にたくなかったら、覗かないほうがいい」って、なんだ。
この部屋への入室が許されているのは大将・中将・少将の肩書きを持つ者のみとされているが、赤犬が彼にこの部屋の番を命じた時に渡された紙によれば「クザンを入れるな。ロブ・ルッチが来たら追い返せ。ドフラミンゴは塩を撒いておけ、絶対に近づけるな」とのこと。見た瞬間彼は心の中で叫んだ。そんなのは自分ごときに一回の海兵には無理だ、と。
そして赤犬が本部を去り三日目に、どこでどう不在を聞きつけたのか薔薇の花束を持ってエニエスロビーの最強の番人、かの有名なロブ・ルッチがやってきた。当然のように部屋に入ろうとするロブ氏を彼は思いっきり消え入りそうな声で制して(やっぱりそれは無視さえて)それでも赤犬とロブ氏のどっちが怖いかといえばどう考えても赤犬殿だ!!と即答できる海兵、ここはぐっと勇気を振り絞り「た、大将赤犬から面会禁止とのご指示を受けております!」となんとか叫んだ。もちろんその次の瞬間、思いっきりロブ・ルッチに睨まれて、海兵、田舎のおっかさんに会いたくなったのだけれど、それはそれ。なぜかその直後にバタバタやってきたメガネの美女と鼻の角ばった青年にズルズル引きずられていった、ロブ・ルッチ。それで海兵、ロブ・ルッチは乗りきれた。
次の日にやってきたのは大将黄猿どのだった。手にはメロンを持っていた。なぜメロンを魔女に与えるのかはわからなかったが、しかし温厚な表情とおおらかな人柄は知られている黄猿を拒む理由はないと海兵は(昨日の恐怖と比べつつ)どうぞどうぞと黄猿を部屋に通した。
そして直後上がった、なんだか幼い少女の悲鳴。え、何、と慌てたのだけれど、部屋の中は覗けない。それで暫くガッシャン、ドッシャン、と何かがぶつかったり割れたりする音がしたと思えば、シーンと静まり返って何の音もしない。いったい何が起きているのかと海兵がおろおろしていると、「いやぁ、楽しかったねぇ」とニコニコ、本当に満足そうな顔をした黄猿が手ぶらで出てきた。そのスーツがちょっとばかし焦げているのが海兵には気になったが、何があったのかなど怖くて聞けない。
そんな連中に比べれば、常識と節度と規則の塊のようなディエス・ドレーク少将のなんとまともな訪問者のことか。むしろどうぞどうぞと入室を促したいほど。しかしドレークはどこまでも迷うように唸り腕を組み、そしてため息をひとつ吐いた。
「骨は残るだろうか」
だから部屋の中に何がいるんですか。
◆
パタン、と扉を後ろ手で静かに閉めて、ドレーク、何の発動も感じられぬことに違和感。ほっと息を吐くよりその反応ってどうなんだろう自分、と思わなくはないのだけれど、しかし、ならば不安は的中したことかと大股でベッドに近づく。
一ヶ月、が部屋から出なかった。別に赤犬とて軟禁はしているものの、食事や散歩の自由まで奪う外道ではないはずだ。(いや、ドSだが)普段の、赤犬が不在ならばとここぞとばかりに水の都や、あるいは双子岬でも訪ねている。それがこうも大人しいのは、何かあるに決まっている。
それで不安に思ってこうして部屋を訪れた。
「……」
まっ白いシーツの上、額に汗をびっしょりと掻き、苦しげに呻く小さな少女。いつもキラキラと輝いていた目は熱に浮かされ朦朧とし、髪は艶を失っている。乾いた唇は、しかしそれでも赤いのだ。
ドレークはため息を吐いた。今回が赤犬に同行せず部屋に閉じ込められたのは、が風邪をひいたからだ。ただの病ならはめったにかからない。いろいろな免疫やら何やらが極端に衰えている次期なのだということはぼんやりと聞いた。
の身には巨大な力が宿っている。普段は赤犬によってそれが封じられてはいるものの、自身の体が弱れば、身の内の力がの制御を越えて、あふれ出しともすれば島の一つは消しさることができるそうだ。
時折の病の時はサカズキが傍らにいてその身の制御を手伝うことで事なきを得ているのだが、今回のように、赤犬がどうしても世界の正義のために不在にならなければならない時は、がたったひとりでその苦しみに耐える。
が楽になろうとすれば、あふれた力がこの島をも沈めるのだろう。だからは、自分が苦しみ、苛まれて痛みが強くなっても、何とか力を制御している。逆にいえば、が苦しめばなんとでもなるということだ。病で十分につらいだろうに、その上の苦行。先日黄猿がを訪ねて、さらに悪化したのだろうということは想像に難くない。
「……なぜ、俺を呼ばなかった」
かちゃかちゃと、が自力でそろえたらしいタオルや洗面器を準備して、ドレークは水でタオルを濡らす。の傍らに膝を落とし、汗ばんでいる額をそっとぬぐった。
小さく呟く言葉は、吐いた刹那、自分でそんな傲慢なことを言ったことに驚く。
にとって、ディエス・ドレークなどただの、海兵、いや、ただの、生き物だ。長い歴史、この魔女が耐えてきた長い年月の中、通り過ぎていくだけの生き物。赤犬や、ロブ・ルッチのようにの中で意味を持っているわけではない。そういう自覚がドレークにはあった。
自分は、から見ればどこまでも、取るに足らぬ存在だ。彼女のまわりには、歴史に名を残すに十分な人間ばかりがいる。海兵、政府の役人にとどまらず、大海賊の船にも堂々と乗り込み遊ぶような生き物だ。そんなから見て、ドレークという海兵は、どこまでもどこまでも、つまらない生き物なのだろう。
「……」
そっと、ドレークはの頬を叩いた。いくら食事をあまり必要としない、味覚のないでも、栄養を摂ることができるのはやはり食物からだと聞く。一ヶ月何も口にしていない状態が良いとは思えず、ここは無理にでも何かを食べさせなければならない。そう思ってを呼べば、朦朧としていたの目が、しっかりとドレークを見た。ほっと息を吐いて、ドレークは表情を緩める。
ピシリッ、と、ドレークの頬が切れた。ヒュンヒュン、と釜井達。周囲の調度品に亀裂が走る。かと思えば、バジッとあちこちで放電が起こり、何かがはじける音がした。
魔女の気が緩んでしまったのだろう。の目、まだ半覚醒といったところ、夢の中にでもいるようなまなざしでドレークを見つめ、ぽつり、とその唇を震わせる。
「………ごめん」
小さな言葉。これまでドレーク、に謝されたことなど一度か二度しかない。しかも「え、そこで謝るのか!?」というような、ロクでもないことで使われただけ。今、この時のように、心から、悔いている声、顔、目ではない。
ドレークは言葉に詰まってしまった。そして、反射的にの頭を撫でる。
何を言えばいいのかわからないのに、しかし、がなぜ謝るのか、それはすぐに分かっていた。
「……お前が謝ることではない」
震える小さな少女の頭を撫でて、ただそっと、呟く。何度も何度も、はうわごとのように「ごめん」と繰り返す。傲慢、尊大、何もかもを見下し、何もかもを見守ることで生きてきた、普段のあの勝気すぎる少女からは想像も出来ぬ、弱々しさ。おそらくは、これが本来のなのだろうと頭の隅で思いながら、ドレークはの瞼を覆うように手を置いた。
(……謝るのは、俺の方だ)
が自分に負い目を感じていることは、気づいていた。普通、悪意の魔女の警護、世話をするのは海軍本部の准将から、それも赤犬の選び抜いたごく限られた海兵だけだ。しかしドレークは中佐という異例の身分でを知り、そしての傍に立っていた。
それがどんなことになるのか、おそらくは知らなかったのだ。ドレークも、ただ小さな少女と出会ったことが、どれほどの意味を持ち、己の人生を変えてしまったのかなど、わからなかった。
(だがもしも、出会わなければ、俺は)
少将にあがって暫く、ドレークは時期に海軍を辞す決意をしていた。それは今すぐではないし、しかし一年後でもない。に出会わなければ、自分はその判断をしただろうか。この数日、そのことをドレークは考える。
准将にあがる前に、自分はこの世界の正義の製造場所を知ってしまった。准将、将校クラスになって、絶対的正義を身に完全に刻まれる前に、この己は悪意の魔女を知ってしまった。それが、には現在、魘されるほどに悔いていることらしい。
ドレークはそっとの頬を撫でた。
幼い子供。小さな、小さな、どこまでも、いとけない無垢な魂。それでもこの子供は世に憎まれ、万の悪意にさらされ、奥の敵意の中で息をする。どれほどに周囲が彼女を甘やかそうと、身の内を苛む剣の鋭さに何の変化もないのなら、そんなことは意味のあることなのだろうか。
「……謝るのは俺の方だ。俺は、お前になにもしてやれない」
きっかけはの存在だったにせよ、ドレークは、やるべきことを見つけてしまった。己でなければできぬこと、ではない。だが、己がやらねばならぬと強く決意することだ。
赤犬のように、を守ることも。鷹の目のように、を甘やかすことも。青雉のようにと遊んでやることも、もう何も、できない。
自分には、自分のやるべきことがる。そこにが入るスキはない。いや、の存在を考慮しては、何もできなくなるとわかっているから、だから、ドレークはを見捨てるのだ。
「お前の苦しみも、お前の憎しみも、お前の痛みも、何もかも。俺は知ってしまったのに、それでも、俺はお前に何もしてやれないんだ」
の中でディエス・ドレークの存在はそれほど重要なものではないだろう。ただの通り過ぎていく一時の生き物、でしかないだろう。しかし、それでも、ドレークはを「愛しい」と思っているのだ。そして、ただの通り過ぎていく生き物は知らぬだろうのことを知っている。
それなのに、ドレークはを見捨てるのだ。
「手を取って、ほんの一時でもお前の願いを叶えてやれれば、どれほどお前が救われるのか知っている。だが俺は、お前を置いていく」
ぎゅっと、の手を握り、祈るように手で包み込んでドレークは呟く。ドレークが手を取ればの顔が安らいだような気がした。眼尻に浮かんだ涙に眉をよせ、ドレークは目を伏せた。
幼い。愛も知らぬ、ただ当たり前のように長い時間を生きる。人が正気を保てるのは400年が限度だという。はそれよりも長い時間を生きていて、今も無邪気に笑う。それが、その心がどこか壊れてしまっていて、あどけなく笑む穢れのない眼が、どう狂気に染まっているのか、ドレークは知っている。
護りたいと思う。守りたいと、思っている。だが、守れないとも知っている。だから、どうしようもなかった。
ドレークは目を開き、濡れたタオルでの額、頬、首を拭く。すぅっと、荒かった呼吸が落ち着いて、ゆっくりとの目が閉じてきた。
その目の青さを覚えていようと目を細め、ドレークはそっと、の額に口づけた。身勝手な己に腹が立つ。を選ぶことができないのに、それでも自分は、まだこんなにも。
(それでもおれは、お前を愛しているんだ)
Fin
いやぁ、リハビリで書いたんですが……なんじゃこれ。
(2009/5/10
23:27)