「いや、悪いね」

軽く言ったのがまずかったのか、それともを抱きかかえているのが悪かったのか、とにかくクザン、赤犬の執務室に入るなり、かなりの本気で蹴られた。

自然系、序列の上位、氷の悪魔。普通の蹴り程度ならどうということもない。しかし、並以上の生き物、覇気を必要以上に使いこなして操る男の、蹴り。防御の一切も出来ぬままに、クザン、顔を顰めた。つぅっと、口から血が垂れる。アバラの数本は覚悟していたが、内臓も少々、やられたか。ガードするよりも、腕の中のにダメージがないようにと、それだけを考えたのもまずかった。

「おれぁ、怪我人なんだけどね?」

げほり、と、咳をする。悪魔の実を口にして随分、こうして血を流すのは随分と久しぶり。それにしても、あんまりなサカズキの対応。クザン、眉を顰めて一応の文句を言ってみたが、それは、やはりにべなく返される。

「黙れ」
「必死だったんだよ、本気のパン子ちゃん止めるの。お前さんが傍観してるからこんなことになっちまったんじゃねぇか」

サカズキの本気の怒気と、それに、クザンの少々本気の怒気。室内に冷気と熱量がぶつかり合う。

その激しい気配を感じ取ったのか、半分身体の凍りついたがぱちり、と目を開いた。パキパキ、と、氷が剥がれて、いく。白い肌が一層白くなり、その青白い顔のまま、はぼんやりとサカズキ、クザンを見る。

「おろして」
「本調子じゃないでしょ」
「氷のこと程度なら、へいき」

言葉に嘘もないだろう。クザン、自分の能力がに害を与えられるなど、そんな妄信はない。それでも自分で氷漬けにした手前、案じる思いがないわけでもなかったので、自分がサカズキに殴られると分かりつつも執務室までを抱えて運んだ。ゆっくり降ろすと、、ふらふらとしながらも、しっかりした足取りでサカズキに近付き、見上げる。

「ただいま、サカズキ」




不思議な炎に焼かれているのなら



全部スパンダムが悪いと、もし責任転嫁が出来るのならクザン、本心からそう思わせてもらいたかった。あの権力主義者、確かに頭は良いが常識とかそういうものを綺麗に海に投げ捨ててきただろう、あの男、全く、どういうわけかととっても「仲が良い」らしい。でろでろに甘やかす七武海の面々や海兵たちとは違い、きっちりとオトモダチのお付き合いをする。そのスパンダムが、よりにもよって、サカズキですら隠していたデュエス・ドレーク少将の造反を、手配書添えてに教えやがった。

の気に入りの海兵、ドレーク少将。まぁ、裏切った、海賊になった、くらいで騒ぐではなかっただろう。しかし、居合わせたロブ・ルッチの言葉によればスパンダム、それはもう見事な嫌味と、それに、嫌な話し方。(ロブ・ルッチがそういったのではなく、そのまま語った言葉をクザンに報告した、そのクザンの感想である)

『あの女は、置いていかれたらしいぜ。酷いことしやがるよなァ』

その時が何を思ったかは、それはクザンには計りかねること。だが、普段であればそのままスパンダムのところから真っ直ぐに海軍本部に戻ってくるところを、誰にも、何も告げずに失踪した。いや、デッキブラシに乗ってどこかへ言った、と、それはわかっていたが行き先を、誰にも、ロブ・ルッチにすら告げなかった。

これは大問題である。慌ててスパンダムがルッチに命じ、ルッチ、大それたことにならぬよう、赤犬ではなく青雉に、つまりは自分に連絡を取ってきた。正しい判断。さすがはロブ・ルッチ。自分、スパンダムの保身より、第一にパンドラの男。連絡を受けてクザンは自分なりの手段でを探したが、何をしに消えたか、などわかっていること。海を流れる海賊をどうにかしに行った、ふらふらどこにでもいける魔女。すぐに探し出せるはずもない。結局しようなく、クザンはサカズキに事情を話した。未遂、であればまだマシだろう。ロブ・ルッチから報告を受けるのではなく、青キジが告げる、ということにもまた意味がある。

だがしかし、サカズキ、動こうとしなかった。その気になればがどこにいるのか、何をしているのか、何を思っているのかくらい容易く分かるはずの男。書類を処理しながら「そうか」と、ただそう、短くいっただけ。それにクザンは自分いらだった。「へぇ、いいの?」ケンカ越しと自覚しつつもそう言い放ち、それで反応を待ったらこの男、机からこの海の地図を取り出し、おもむろにペンで印をつけ、投げ付ける。
「私はそんなくだらんことに付き合う暇はない。貴様が行け」あんまりに、あんまりな言葉。ぐっと、堪えクザン。後で罵声うんぬんはいくらでも出来る。今は、とりあえずを、ドレークを恐らく、「どうにかしに」行っただろうを、どうにかするのが問題だった。

そして地図を受け取り自転車必死に漕いで(いや、本当、レースでれるんじゃね?)ドレーク海賊団の船まで行き着いた。海のど真ん中、の悪意が溢れていた。夜、夜、夜の忍び寄るその海で、何とかを止めたクザン。しかし、怪我をさせぬためにクザン、あえて悪魔の実の能力でを封じた。大将である自分、の、いや、悪意の魔女と本気でぶつかれば、おそらく、を殺してしまう。確かに、強い力の持ち主だが、悪意がなければただの生き物だ。クザン、自分がの悪意を向けられるに足る人物と慢心はしていない。

そうして、連れ戻った、氷付けだった体は何事もなかったように元に戻り、サカズキを見上げた体が一度ふらり、と揺れ、倒れた。

!?」
「当然だな」

慌てるクザンとは対照的に、何処までも落ち着き払ったサカズキ。冷たい床に崩れ落ちた。クザンの能力では傷一つつけることもできなかった、その体、首からだらり、だらりと、鮮血が溢れ流れる。白い床が赤くどろどろとした液体で水溜り。それ以上の冷たい眼差しで見下ろす男、汚らわしいものでも吐き捨てるように一言呟き、そのままの頭を蹴り飛ばした。呻くこともせず、の小さな体が壁にぶつかり、ずるずると落ちた。

「サカズキ!!!お前っ」
「黙れ。これは、悪意を放ったのだろう?」

批難するクザンの言葉を遮る、低い、声。喉の奥から搾り出すような、あまりにも悲痛な声だった。はっとしてクザンはサカズキを責めようと舌に乗せていた様々な言葉を飲み込む。

「どう、いうことだ?」

この状況、この、の状態。クザンは何も出来なかった。ドレークだって、まさかを切ることが出来たわけもあるまい。実力もそうだが、あの男だって能力者。不可能だ。しかし実際、は、血を流し倒れている。

「冬薔薇によって、これは殆どの力を封じられている。手品程度のものなら出来るだろうがな、赤旗のところで使っただろう悪意の類は、本来使えぬほどのもの」

冬の刻印、冬薔薇。古代の能力の一つ。サカズキが対価を支払い会得したその能力は海の魔女を封じることが出来る。いや、それだけではない、恐らくその能力が完璧であればあの魔術師、千年の叡智の塊すら、縛り付けることが出来るそうだ。と、それはベカパンクの言葉。冬薔薇は、魔女の全てを封じる。本来の継承者ではないサカズキでは能力を完全に封じることはできなかったが、茨で縛ることは出来ているのだ。無理に使えば、つまり、ドレークの船で、なんてことはないように、あっさりと力を使い振るっていた。しかし、その最中にも全身には剣が突きつけられ、茨で縛り上げられていたと、そういうことだ。

「お前、それがわかってて、を行かせたのか」
「だったら、何だ」
「お前なら止められただろ!!縛ってでも、なんでもして!こんな状態になるよりマシに、止められただろうが!」

ドレークの船でが何をするかなど、サカズキであれば容易くわかったはずだ、だから、この男はに暫く「赤旗」の存在を隠していたのではないのか。置いていかれた「彼女」と暫く接触できぬように、ガレーラに追いやったり鷹の目に預けたりと、していたのではないのか。

「言ったところで、聞かんだろう」

必死の回避、も、スパンダムが台無しにした。それはもう、起きてしまったことでどうしようもない。それに対してのサカズキの思うことは特にはなく。ぽつり、と、呟く言葉。クザンが眉を顰めた。

「お前が言えば……」

はサカズキを選んだ。己の、全てにと、そう、選んでいる。それは周知の事実。それが「すきだから」や、そんな可愛らしい感情からではないものだとしても、それでもはサカズキの言うことであればなんだって聞くはずだ。

「……関係ないな」

しかしサカズキは目を細め吐き捨てる。

「は……?」
「私が縛りつけ、殴り、蹴り飛ばし、腕を足を切り落として茨と鎖で繋いでいたところで、あれは逃げ出し、赤旗の所まで行くだろう」

そこまでするんですか、と、そういう突っ込みは浮かんでくるが、しかし、あのサカズキが、を従わせて「当然」と言うサカズキが、その言葉。クザンは一瞬信じられずに間の抜けた顔をしてしまった。だが、冗談を言うような男ではない。

「だから、私はレルヴェ・サリューとの接触を絶たせたかったのだ」

ぽつり、と、珍しいサカズキの本心。はっとしてクザンはサカズキを振り返る。いつもどおり、フードと帽子に隠れて表情の見えぬ男。だが、机に当てられていた手が、白い手袋を嵌めたその手がぎゅっと、小さく握り締められた。

壊れて、しまうのではないか。ぼんやり、クザンは思った。この二人、この、バカみたいにお互いを思いあっていて、それでも、お互い同じ思いを向けているわけではない、二人。あぁ、そうだ。クザン、気付いた。違う、のだ。違った。違う、あぁ、そうか。違うのだ。

(サカズキがを思うように、はサカズキを思いはしない)

気付けば、これまでのサカズキの行動の全て、あぁ、そうか。クザンには全て「道理」のように思えてきた。必死に、必死、だったのだ。この男、なんて、あぁ、馬鹿、と罵りたくなるほど、必死、だったのか。

「クザン、お前ももう、あれに関わるな」

ついっと、顔を上げてクザンを見たサカズキ、それは普段のもの。大将赤犬サカズキの、堂々とした様子。少々右思想よりの海兵らを魅了してやまぬ、絶対正義、行過ぎた正義の謗りを受けても己を貫く、将校のもの。先ほど一瞬だけ感じられた、危うさなど、どこにもない。クザンは溜息を吐いた。

「それは俺の勝手、」
「あの女が、目覚める」

冷静沈着、怒らせれば沸騰はするが、それでも、その怒りすら普段静かな、絶対零度のようなもの。(あ、能力は違うが)その男が、煉獄の火のような、怒り、いや、憎悪を湛えて吐き出す言葉。クザンの体も強張った。誰のことか、名前を出さずとも分かる。サカズキは、トムという造船技師が死んでから、がサカズキを選んでから、その女の名前を呼ぶことをしなくなった。あの、女。あの、今もエニエスで薔薇に囲まれて眠り続けている、魔術師。
目覚めさせてはならないと、准将に上がった海兵は元帥から直々に教え込まれる。あの、女。

憎悪の生涯の魔術師、パンドラ・。全ての燃え落ちた灰と悲劇を褥とし、言葉は呪いの歌となって死を招く。故に、500年前に封じられた。どうしようもない犠牲を払って、とある一族を滅亡させてまで、封じたのだ。はパンドラの影法師。意思を持ち、彼女の変わりに海を彷徨う。彼女の変わりに全てを見、彼女の変わりに全てを経験する。魔術師の魂、海の魔女。彼女の目覚めは、の消滅を意味した。

「あの、さ」

知られてはならぬもの。隠し続けなければならない、もの。何が、どうだとか、そういうことを、誰にもいえない。彼女の、こと。
しかし大将だから。自分は、これでも、大将だから。世界の、政府の、一角だから。何かしら、できるのではないかとクザン、そう、思う。

少なくとも、サカズキ一人が、どうしようもなくなる思い、重い、想いを抱えてどうしようもなくを縛ることでしか守れなくなる、そんな、必要はないのでは、ないだろうか。

「ちょっと本気で話しようぜ。何が、起きてるんだ?」

底知れぬ恐怖がひしひしと、海底からうめき声を上げながら昇ってくるような、余寒、予感。それでも一瞬、身のうちの悪魔は確かに歓喜していた。クザン、悪魔を体から引きずり出し、そんなことを喜ぶ己と切り離せるのなら、氷の能力などなくなっても構わないと本気で思った。

悪魔が芽吹く、そのこと。魔女の悪意が広まること。が経験、夢を見続けること、それが、どうなるか。そういえば、考えたことが、なかった。

「何が、起きるんだ?」

問うクザンの言葉、らしくもなく、声が震えていた。失うことへの、恐怖。久しく覚えて、ない。




Fin

 

共演で発展したお話なのですが、共演じゃない・・・ので、こちらに置いておきます。
大晦日に何書いてんの自分!?