「まぁ、ふ、ふふ、あれだ。ということは海兵になったほうがご都合が良いだろう?それで手っ取り早く昇格したいんだが」

誰もが思ってても口に出さないことをあっさり言うのはこの女くらいだろう。サカズキは呆れた溜息と、苛立ちを交互に沸き起こすという中々ない貴重な体験をしつつ、ぎこり、と椅子を軋ませた。






パン子さん奮闘記☆







場所を移動し、ここはサカズキの寝室の隣の部屋である。当然サカズキはきっちりと身支度を整えて普段どおりの格好。は先ほどこの女と現れた時は就寝時の軽装だったのだが、サカズキが一度無言で睨み飛ばしたのが効いたか、こちらもきちんとした格好をしている。今日の服装は先日プッチから取り寄せたワンピースである。淡い色がよく似合っているのだが、それを口に出すような男でもない。
そのはサカズキともう一人のを不安そうに眺めながらソファに大人しく座っている。

「貴様がまともな言動をするとは思っておらんが、せめて冗談は休み休み言え」
「戯言は多いがな。今のは本気だぞ?」
「ではなお更性質が悪いな」

ふん、と、切り捨てたのはどちらか。はひたすらおろおろとこのやり取りを眺めていた。なんというか、怖い、おっかない。サカズキの機嫌がますます悪くなるのもいやだが、この目の前の女性、これでも一応、自分なのだ。地平線とか因果律とか平行世界とかいろいろ考える事はあるのだけれど、一応、別の世界の「」である。本人はその名をあっさり捨てて今は名もない生き物になっているのだが、それでも本質的なもの、魂とでもいうのか、、なのだ。

この今、目の前で繰り広げられている光景、サカズキと「」のやり取りだということになる。それは、何と言うか、おっかない、怖すぎる。

はもういっそこの場から逃げ出して遠い海にいるドレーク海賊団のサリューの膝にでも飛び込んでしまおうかと、それは完全な現実逃避なことを考える。そんなことをすればそれこそ冗談抜きでサカズキが激怒してドレーク海賊団に軍艦でも向けられる。ドレークの胃がまた痛む。いや、それは別にどうでもいいのだが、サリューに迷惑がかかるのでその案はすぐに却下した。赤旗の胃が破れようが痛もうが吐血しようが、そんなことはどうでもいいのだが、サリューが困るのはダメだ。うん、ぼくって良い子!と白々しく思いながら、それでも現実に戻ればドSなサカズキと、ドSの女王が目に見えないブリザードを吹き荒らしている。

「貴様、己の立場を顧みろ。悪意の魔女が、世界の敵が海兵になるだと?我らの掲げる正義の根底にある、絶対悪、原罪たる貴様を?そんな馬鹿なことがまかり通ると思うのか?」
「いや、ほら、そこはこう、気合と根性で?」

あとはノリでとか?などとしれっと言う、その女。その青い目にからかう色はなく、寧ろ、真剣そのもの。だからなお更タチが悪く、嫌がらせとしてこれほど上等のものもない。サカズキ、本日二度目のぶちっと、血管の切れる音。

普段であれば、が何か妙なことを一言でも言えば即座に蹴り飛ばして黙らせるのだが、今のところこの女に対してはそれをしていない。遠慮、なんてそんなものを持つサカズキではなく、ただ単に、もう一人のの存在をまだどうするべきか思案中だからである。下手に騒動を起こしてこの状態が人の眼につくのはまずい。

いや、この女がどうなろうとそれはサカズキの知ったことではないのだが、この女は「」なのである。世界の敵、この世に悪意を引く女である。サカズキの見たところ、どうもこちらの世界のとは成り立ちが違うようだが(はっきりとした確信はないが、ぼんやりと感じる違和感。この女には己の冬の刻印が使えぬのではないかと、そんな予感があった)世界の秘密を知っている生き物に変わりはない。

「大人しく自分の世界に帰れ」
「ケチだなぁ、別にいいだろ。減るもんじゃないし。長い人生一回くらい海兵になることもあるだろ」

一回くらいはやっておきたかったしなぁ、と軽い口調で言う。鼻歌さえ聞こえてきそうな、その軽薄さ。サカズキに対しての遠慮や配慮などない。であれば、今この光景をおっかなびっくり眺めているであれば、こんな発言はまずしない。己の立場を状況を十分すぎるほど理解している、生き物だ。弱々しい目で自分を見上げていても、それでもその目はサカズキには到底体験できぬものを見、感じ、過ぎ去ってきてきた、生き物。時折の傲慢さや無垢さゆえの残虐性を見せることはあるが、基本的に、悪意の魔女が世にどう影響を齎すのかを理解し、行動を謹んでいる。

だというのに、今目の前にしる赤い髪、長身の女にはかけらもそんな配慮が感じられなかった。己の欲、思考に忠実すぎる。そして軽薄に過ぎる。

「世の秩序を乱されてたまるか。悪意の魔女は鎖で繋がれ処されるが道理だ。海兵に志願するなど、身の程をわきまえろ」

部屋の温度が変化するほどの冷酷な声、びくり、と身を震わせたのはソファに座っていただった。あからさまに脅え、そしてぎゅっと、脣を噛んで俯く。その様子に、もう一人の、サカズキが殺気を向けたはずのはニヤニヤと笑った。

「酷いことを言うんじゃあないよ。がかわいそうじゃあないか。お前の言葉はそのまま、への罵声になっているんだぞ?」
「だったらどうした。何の問題がある」
「ふ、ふふふ。そうか、それは、まぁ、そうだろうなぁ」

堂々とにやつく女などサカズキはこれまでお目にかかったことがない。下品、とさえ言えるその態度に苛立ち、しかし、その女性、さすがは王国の末裔であると関心した。先ほどからを思い出せばその動きの一切、そして今のにやついたしようのない顔にさえ、品というものが備わっているのだ。傲慢、尊大、ではあるが、下種な連中のそれではない。絶対的な勝者のみの品格、生まれ持った気、そしてしっかりと身に染みた教養の持ち主だということが、サカズキの目にはわかる。本人は隠し切っているのではなく、そのしっかりとした基礎の上に堂々と胡坐をかいて好き放題にしてしる。どうしようもない生き物だということに変わりはないが、それで、サカズキ、妙な確信が芽生えた。


「な、なぁに?サカズキ」

名を呼べば、顔を上げて返事をしたのは小さな方のである。長身の女も小さなも、サカズキがどちらを呼んだつもりなのか理解している。

「クザンを呼んで来い。この時間であればまだ寝ているだろうから叩き起せ。死なんかぎり何をしても構わん」
「え、ぼくが?」
「行け」

目でドアを指し追い遣る。は納得のいかない顔をした。背の高い方のとサカズキを二人だけにさせることに何か不安を覚えたらしいが、サカズキはさっさとを追い出したいのだ。容赦なく言ってそれ以上は口を開くつもりもないと態度を出せば、が眉を寄せながらも大人しく出て行った。

「可愛そうに、泣くぞ?そんな態度を取られたら」
「貴様は“”ではないな?」

女の戯言を無視して簡潔に問う。女の青い目が細められた。

「おれの道理では、おれは“”だったんだがなァ。こちらの世界ではまず、“”のその定義が違うようだ。あの子は、“なん”なんだ?」

すぅっと、細められた目は細いが、何度か見た覚えのあるの“魔女の月”と例えられるような鋭利さと狂気は秘めていない。この女はどこまでも正気で、そして何もかもを知り、受け入れてきた生き物の眼しかしていないのだ。

「あれは王国の魔術師、パンドラ・だ。本体はエニエスに封じられているが、その魔術師の魂は水の民と呼ばれた一族の娘、魚人と人の混血の少女の体を得て、動いている」
「おれも一応はそういう設定なんだがな?」

設定とは何だ、設定とは。と、突っ込みたかったが黙っておいた。背の高い女はふん、と腕を組む。

「まぁこちらの世界でネタバレしたところで問題はないから言うが、おれは一応もとの世界では、この体は死体ということになっている。お前の言ったとおりな?だが水の一族やら魚人の娘なんぞ知らんぞ。何しろ、おれの、この体は正真正銘、自前だ」
「……800年前のままなのか?」
「そうだよ。400年幽閉されてたんだが飽きてな。脱走したんだが、身代わり山羊でもいれば多少時間も稼げると思って人形を作って残した。政府、いや、まぁ当時の五老星か?まぁ誰でもいいが、とにかく誰かが「パンドラは魂を分離させ海へ逃げた」とかそんなことを言い出して、おれは晴れてパンドラ・の影法師のポジションになったわけだ」

簡単にさらり、と言ったが、それが真実かどうかは知れぬ。いや、この女が心身ともにパンドラ・であることは事実だろう。だがその細部、飽きただのなんだのの辺りは、誤魔化しているのだろうとサカズキはわかった。だがそこを追求したところでどうなるわけでもない。

「“”というのは王国で兄弟子様が呼んでくれたおれの愛称だよ。正直名前なんぞどうでもいいが、こちらを使っていれば政府はますますおれの影法師説に確信を持ってくれてなぁ」

いやぁ助かったと、あっけらカンと言う女。政府・海軍どころか自分の人生もなめているような、飄々とすた態度である。しかし言い切って、それから急に真面目な顔をした。

「それであの子のことだ。あの、は、何なんだ?」

青い目が容赦なくサカズキの瞳を見つめる。と同じ青い目だ。だが違う、絶対的に、違うのだ。暴かれてはならぬもの。知られてはならぬこと。知ってしまえばもう、知る前には戻れない。

「貴様に話すつもりはない」

ばっさりと切り捨てた。女の正体の話を聞くだけ聞く、それは理不尽な言葉かもしれないが、最初からそのつもりである。余計なことは聞くなと、暗に含ませたのだが、空気を読まぬおこの女、ふん、と、鼻を鳴らした。

「おれとは違うな。根本的なものというか、あれは、あの気配は、」

ひゅんっ、と、女の体が吹き飛んだ。

壁を突き破り、それでもその勢いは止まらぬ、破壊された壁の先、向かいの建物にぶち当たって、落下していった。蹴り飛ばした張本人、サカズキはそれを冷たく見下ろして、再び机に戻る。

パタパタと廊下から小さな足音、だらけきった男の気配がしてくるまで、サカズキはカリカリと書面をしたためていた。



Fin




 

パン子さんやりたい放題ですネ。