ゆっくりと揺れ動く天井から吊るしたランプ。煌々とした明かりが眼に入ってまぶしいと顔をしかめ、手のひらで視界をさえぎる。ロー、寒いと口の中で呟いた。寒いのは慣れているが、ぞくりと身のうちから湧き上がる寒気、血の足りなさゆえの温度の低下は慣れやら何やらでどうこう回避できるようなものでもない。とりあえずは生きていたらしい。ほっとするよいうよりは、納得した。まだ死ねる時でもないと、そういうらしい。
「ベポ」
「ここにいるよ、キャプテン」
常にそばに置いている仲間の名前を呼べばすぐに返事が返ってきた。ローは起き上がろうと腹に力をこめて、激痛が走る。が、それを顔に出すような男でもない。なんでもないように起き上がり、白い熊を眺める。
「どれくらいだ」
「三日寝てたよ。ご飯食べれそう?」
血が足りない。寒気がする。体を起こせば血がめぐってくらり、と眩暈。さすがにこれはいささか応えた。生理的、ともいえる反応。額を抑えて小さく呻くと、ベポが心配そうに顔を覗き込んで来た。きゅうきゅうと、心配すると妙な音が喉から鳴る。真っ黒い眼が本当に心配しているとありありと見て取れて、ローは腹に力を込めた。
は?」
「部屋にいるよ」
「怪我してた。治りそうか?」
「ドクターが、足の腱が切られちゃってるから、さすがにそれはって。――ねぇ、キャプテン。ちゃんのことなんだけど」
何か言おうとするベポを抑えて、ロー、ベッドから降りた。これでも一応は医学の人間。今動くのがあまり良いことではないとわかってはいる。だが、そのままスタスタと歩いて部屋を出た。の部屋はローの部屋の隣である。
バタン、と少々乱暴に扉を開くと、明かりもつけていない暗がりの中でぼんやり、の真っ赤な髪が浮かんで見えた。窓の近くに腰掛、じぃっと外の海を眺めている、小さな背中。ローの訪問に気づき、振り返る。
「余計なことは考えるなよ」
「ぼくが何をどう考えようと、君には心の底から関係ないよね」
相変わらずそっけもないの言葉。ふぃっとローから視線をはずし、また外を眺めている。ローがこのような状態だからと、船は近くの入り江で停泊中。波の音が静かに聞こえる。の部屋の窓からは満月が覗いて見えた。か細い背中に近づいて問う。
「俺が死んだ方が良かったか」
ぴくり、と、小さな背が震えた。






そのよん!





「正直、君が死のうが生きようがどうでもいいんだけどね」
暫くの沈黙の後、髪をゆらしてが振り返った。ため息を一つ吐き、本意ではないことを口にさせられた不快さをありありと出す。まっすぐにローを見つめてくる顔はどこまでも、幼い顔をしていて、その実、酷く年老いた、途方もない時を散漫と過ごさせられた理不尽さ、を持つ隠者のような顔をしている。
「ぼくは、ぼくが原因で他人に何事かがあるということが、嫌なんだよ」
静かな声。どこまでもどこまでもローを拒絶してくれる、絶対零度の響きがあった。夜の帳の落ちきった。海の水面が見て取れる。星の煌き、満月はどこまでも丸い。それらを背後にして、は眼を伏せる。思うこと、思い、わずらうことが多くある。いや、気にしない、と一笑に出来るだけの強さが、己にはないだけだとヒトは言うのかもしれないが。しかし、それでも、はわずらう。自分の所為であの海兵は死んでしまった。ローは死ななかったが、死にかけた。この男は、この海賊はいずれ世に名を残す大器を持っているだろう。その、今は蝋燭の先程度の小さな光、いずれは大嵐を照らす灯台以上の光になるだろう、その男を、自分は死なせそうになったのだ。
別段ローをどうこう思う心ではない。個人としての感情だけであれば、悪い噂の耐えないトラファルガー・ローなんぞ死のうとなんだろうと構わない。いや、むしろ、己はこの男に死んでくれとさえ思うのではないだろうか。そう、思っているような気がする。ハートの海賊団はすきだ。わりと、好んではいるのだ。だが、ローは、死ねばいいと思う。どうせこの男は、(歴史に名を残すとしても)ろくなことはしないだろう。世のためヒトのために今のうちに死んどけ、と足蹴にしてやりたくもあった。だが、には妙に、それであっても、トラファルガー・ローは死んではならぬと強く思う心があるのだ。己はこの男を憎んでいるのだろうかと、そうは思案していたのだ。うっそりと浮かぶ満月、眺めて考える。己はローを、憎んでいるのだろうかと、そう、考えていた。そこへローの訪問。ぶしつけじゃあないかと、そう眉をひそめた。それ以上のものはない。はずだ。しかしローの動く姿を再度見れたと、その時その、一瞬、己の中に、泥の沼となって沈殿していたはずの心の奥底からぼこり、と、何かが湧き上がったような、そんな、錯覚がなかったわけでもない。それが、眉をひそめた理由なのだろうか。
は波でわずかに揺れるランプを一度見、その見事な細工に惚れ惚れとした、とでも言うようないささかわざとらしいかもしれぬ仕草。そのままローへ視線を戻して、きっぱり、はっきりと、己の意思は強く鋼のようであるとそう主張するかのように声を硬くして、響かせた。
「ぼくは、全てを思い出す。どうしてあの海兵がぼくを連れて行こうとしたのか。どうして、死ななければならなかったのか。全て、何もかもを、思い出すつもりなんだよ」
主張などむなしいだけと、出した本人がそうよくわかっているからか、声は強い意志をはらんでいるように聞こえる。その結果に満足したが一瞬気を緩めた途端、ずぶりと、ずぶずぶと、心臓が、脈打った。何かが、目覚めるような心持。うっとりと眼を細めると、ローが、ローが、ローの表情が変わった。
「止めろ」
何を制止されたのかには判断がつかなかった。己が己を取り戻そうとすること、だろうか。いや、違う。そうではない。そう、そんな容易いことではない。ローの言葉、何もかもをただがむしゃらに「止めてくれ!」と叫ぶ、秘密基地を無残に大人によって踏み荒らされる子供の悲鳴に、似ていた。虫の羽でもぐときに似ている。は己の心がいっそう、湿った、鉛のように重く、しかしどこまでも自由になっていくのをぼんやりと感じた。何かが、己の中でこれまで当然だった、何かが、取り戻されようとしている。それが少し恐ろしくもあり、また、心地よくも、あった。うっとりと眼を細めて、は己に向かう男を、ぼんやりと、まぁ、よくもまぁ、こんな眼が出来るものだとさめざめ客観的に思いながら、目を細めて、呟く。もれた笑い方は、己のもの、なのか。
「ふ、ふふ、ふ。このぼくに、指図するんじゃあないよ、“死の外科医”」
「止めろ!」
びりっと、空気が震えた。すぅっと、眼を細めてどこまでも傲慢に言い切ったはやや驚いて、眉をしかめる。一瞬、確かな、殺意がローから感じられた。怯んだその途端にローの手がこちらに伸びての肩を掴んだ。この、己が北の、寒々しいばかりの海賊風情に気安く触られた。どこまでも無礼な小僧だと、は思い、ぱしん、と、ローの腕を払ってそのまままだ楽に動く方の足で腹を蹴り飛ばす。丁度傷口に当たったらしい、ローの顔が顰められた。小さく口からうめく声に、ははっと我に返った
「ロー!!!?」
今、今の、今の己の感情、行動、は、何なのか。慌ててローに近付くため、腰掛けていた窓枠から降りた。が、うまく力の入らぬ片足がバランスを崩し倒れる。床に激突する前に、その体を受け止めたのは、やはりローだ。
「ロー…ぼく、ぼくは、ねぇ、何?」
咄嗟のこととはいえ、己、今、確かに「攻撃」しなれた行動を取っていた。反射的なものだった。だが、ただの蹴りなら、いくら怪我をしているとはいえローがあからさまに顔をしかめることなどない。完全に悪意を持った一撃となっていたことにはただ驚き、自分を受け止めた男を見上げる。しかしロー、何も言わぬ。見上げた顔は汗をびっしり書いていて、息も荒い。心臓の音がドクドクと脈打っているのが密着していてよくわかった。
病み上がりだったのだ。しかも、今とても無理をさせた。は再び後悔の念に襲われて眉をよせ、ずるり、と、しゃがみ込んだローに抱き込まれたまま唇を噛む。
「ごめ、」
何か言おうとしたをひょいっと、ローは床におろして、そのままスタスタと部屋を出て行ってしまった。怒らせたのだろうかとが不安に思い、パタンと閉じる扉を見つめる。
自分は、どうしてこんなにみっともないのだろう。人に、迷惑ばかりを掛けてしまう。どうして、どうして、こんなに、何もできないのだろう。
じんわり、と、の目に涙がにじんで来た。
船を、降りよう。そう思った。自分が、ここにいることはきっと良くない。どうして海兵が自分を連れていこうとしたのかわからないが。おそらく己は、海兵に連れて行かれる理由がある人間だ。そういう危険性のある生き物が、海兵とは敵対して道理の海賊団にいてはまずい。いや、海賊団だって海兵に狙われてはいる、が、自分が狙われているという事実とは何かが違う。そういう気がした。
だから、船を降りよう。
足の怪我を理由にしてもいい。船員たちだって、ベポたちだって、ローを死なせそうなった己を、本当に心の底からいつまでも歓迎はできないだろう。いや、本来己は、この船の船員ではなかった。おまけだった。どこまでもどこまでも、みそっかすだった。危険のないようにいつも守られて。気遣われていたが、それは、親愛ではなかったのだ。違う、そう、ではないのだ。己は、お客様扱いされていたのだと、そういう言葉があっさり、しっくりと当てはまる。
誰も彼もが、には優しかった。だがそれは、好かれていたからではない。嫌われていた、わけではないだろう。だが、彼らの“仲間”ではなかった。
眼頭が熱くなり、目を閉じればそのまま涙がこぼれ落ちそうなほど、たまっていく。こぼれれば、もう、声を押し殺して泣き出してしまいそうだとわかっていて、、上を向いてぎゅっと、歯を食いしばった。
(泣くな、泣くな、泣くな)
己に泣く資格も、理由もない。彼らは、に良い扱いをしてくれたではないか。とても、とても優しかった。楽しかったではないか。それだけで十分、その事実をありがたく胸に抱いて、笑顔でいられるではないか。なのに、なぜこんなに、悲しいと、そう思ってしまうのか。それは、あまりにも、身勝手だ。
自分は彼らの名前さえ覚えていないのに、それでも、あぁ、それでも己は、は、ハートの海賊団になりたかったのだ。みんなに仲間と思ってほしかったのだ。そのことが、今唐突に、ありありと気づかされた。
それなのに、己は彼らに何も返せず、そして、自分から進み出て仲間にしてくれ、と言うこともできなかった。すべてはもう遅い。もう、遅いのだ。己は、自分は、彼らにとって「よくないもの」かもしれないという疑いを持ってしまった。自分だけではない。船員たちだって、そう判じるだろう。そうなれば、己は、たとえこれからさき、これまでと変わらず彼らがそのように接してくれたとしても、しかし、壁が見えてしまう。互いにはっきりと、敵意が芽生えてしまいそうになる。
だからなおのこと、は船を下りねばならない。
「……っ」
己の思いに気づけば、次々と思いだされる。この船で過ごした暫く。夜に眠れないともっさり帽が眠そうにしながらも一緒に夜空を見上げてくれた。以外に星座に詳しくて、あれこれといろんな物語を教えてくれた。PENGIN帽の背の高いひとは、航海中が退屈していると遊んでくれた。白クマは、寒い夜に一緒に寝てくれた。そんな彼らと、もっともっと、話をすればよかった。もっともっと、一緒にいればよかった。
滲んだ涙が、ついに耐え切れずにほほを流れた瞬間、しんじられないほど大音量が、船中に響いた。


「お前らよく聞け!!!
がついにおれのモンになったぞ!!!!」





あんまりに嬉々としたローの叫び声が船全体によく響いた。そりゃあもう上機嫌な船長の声。こんなにはいしゃいじまった船長は旗揚げの時以来だと後にスキャット帽がよく語る。と、それはまだどうでもいい。とにかく、そのローの絶叫にも似た、雄叫びなんですか、とでも突っ込めるほどの大音量の妙な報告聞いた途端、ぶじっと、の中で何かが切れた。
「ぎゃぁああああああああ!!!!何叫んでんだあのバカぁああああ!!!!」
先ほどまでのシリアス展開をどうしてくれやがるんだこのヤロウ、と、叫びたいのはだれの本音か。それはまぁ、それである。とにかく、、がばっと、力の入らぬ片足は何故か傍にころがっていたデッキブラシで無理やり支えてこらえて、立ち上がり、「おれの、おれの名を呼んだぞ!!!」「お前ら!今日は祝いだ準備しろ!!!」などとまだ馬鹿なことを叫んでいるローのもとへ急いだ。
絶対に、絶対、一発殴る。
病み上がりだからなんですか。というか、怪我人はこちらも(度合はさておき)同じなのだから許されるはず!と、一般的な思考を持っている人間が聞いたら「違うから」と首を振るだろう妙な主張を胸に抱きつつ、、先ほどまでの涙はすっかり引っこんで、あぁ、もう、こんな船はマヂで下りてやると強く胸に誓ったのだった。


and that's all?

 

物語の核心から遠ざかってますネ・・・。