通り過ぎる科学者たちは、一様にそそくさとを避け早足に去っていく。ぼんやり眺めながら、は自分を蹴り飛ばしたサカズキのことを考えていた。
あの日、一時は逃亡に成功した。が、その次の夜に、今ではもう「一夜」の戦いと過去になった、その夜、今は大将となった三人が、サカズキの冬薔薇の感知能力を使いを追尾し、そして、は捕えられた。容易く捕えられたわけではない。冬薔薇に縛り上げられていたとはいえ、それでも本来の継承者ではないサカズキの施した薔薇は、多少の隙があった。島を沈めて海を消し世界を呪えば逃げ切れただろう。だが、は捕えられた。疲れたのだ。諦めた、のだ。何もかもが、もう、疲れた。ロジャーは死んでしまって、そしてサカズキにより「あの男」も死んだ。なら、もう、暫く、何も感じないようになって、眠れればいいとそう思った。諦めがひとを殺す、といつか紅い目の男が言っていたけれど、本当だ。は、もう疲れてしまっていたのだ。
エニエスロビーに連れて行かれてすぐに、はマリージョアへ移された。何のことはない。の本体、王国の魔術師パンドラが幽閉されているのがエニエスだ。あの、歪に歪められた「朝」の世界。光に溢れ、闇の一切ない正義のおこりと言う、白々しい、場所。そこにパンドラ=が、もう四百年ばかり幽閉されている。いくらサカズキの冬の刻印を刻まれたとはいえ、とパンドラの接触は、何が起こるかわからないもの。警戒されるのは、しようのないこと。
それはいい、どうでもいい、どうだって、いいのだ。
長い廊下を歩き、ぴたり、とは立ち止まる。外の広場では海兵たちが訓練に勤しみ、汗水流して世界の平和を守るために日々己を厳しく律している。
は、パンドラ・は、この世界の正義の脆さを知っている。この世界の悪の所在も知っている。それでも、訓練に勤しむ彼らをぼんやり眺めれば、この世界が続けばいいと真摯に思う。正義の根底、悪の土台、そんなものはどうだってよかった。ただ、この世界に幸福を思える人がいれば、それが世界全体の半数を超していれば、何も変化など起こらずとも良いと思う。正義の根底が覆されるような、史実など暴かれる必要など、ないと思う。
「くん」
不意に背後からひとの気配。振り返ると同時に、は顔を顰めた。
「ボルサリーノくん」
夜
振り返れば室内だというにサングラスを外さぬ、中年男性。海軍将校の正義のコートを羽織、縦じまの入った仕立ての良いスーツをきっちり着こんだ、大将。あからさまに嫌そうな顔をしたを見て困ったように頬をかく。ちっとも困ってはいないのはそのにっこり歪んだ目を見れば判ること。
「そんな顔しないで欲しいんだけどねぇー。センゴクさんが呼んでいるよ」
「態々大将黄猿が使いっぱりし、結構なことだね。あ、行く気はないよ」
「お〜ぉー…あ〜、それは、困ったねぇ。わっしはサカズキくん見たいなことはできないしねぇ〜。海楼石の鎖で縛るしかないねぇ〜」
ビュオオォォオと、とボルサリーノの間に吹き荒れるブリザード。どういうわけか、とボルサリーノ、全く持ってそりが合わないのだ。光の能力者、であるのなら自然系序列の上位、パンドラの齎す飢餓に真っ先に侵されていそうなものなのに、この男は堂々とを疎ましいと言えている。その上本人の性格も中々したたかで食えぬところがあるからか、どうも、好きになれない。顔を合わせれば嫌味というか、お互いらちもない言葉の押収。手も出れば足もでる。いつぞやなど、あぁ、そうだ、サカズキがマリージョアで天竜人と見合いの最中など、かなりの本気でとクザンはバトルってみた。軽く本部の一棟が全壊したので帰ってきたサカズキに海に突き落とされたのは今でも軽いトラウマである。まぁ、それはどうでもいいとして。
「ふ、ふふふ、センゴクくん頭悪いんじゃないの。ボルサリーノくんがぼくを無事に連れてこれるハズないでしょ」
「あー、でもねぇ、サカズキくんもいないし、クザンくんじゃ、協力しないだろうしねぇ〜。わっしが来るしかないんだよ。わかるかな、くん」
出来の悪い教え子を諭すかのような口調には若干、いらだった。しかし言われた言葉に興味もわく。
「ふぅん、何か、厄介ごとってことかな」
ボルサリーノの言うとおりにするなどごめんだったが、しかし、ちょっと気にかかる。センゴクが自分を呼び出すなど、確かに滅多にないことだ。それで、まぁここでボルサリーノと本格的にやりあってもいいのだけれど、まずサカズキに怒られるということを自覚しているだけに留まって、やっぱりセンゴクのところへ行くことにした。
「着いてこないでね」
「そのつもりだよぉ。わっしも魔女と並んで歩くなんてごめんだからねぇ」
歩き出したが一度立ち止まりボルサリーノを振り返ると、容赦のない言葉。またそれにいらっとしてがデッキブラシを振り下ろしたのと、速度は重さのボルサリーノの蹴りが壁を破壊したのは、それはまぁ、いつものことである。
海軍本部大将の執務室ともなれば、広さもかなりある。はこの広さは必要なのだろうかとかなり疑問に思うのだけれど。
「なぁに、センゴクくん。話って」
ひょいっと、ノックもせず挨拶もせず、開きっぱなしの扉を覗き込んでとりあえず言って見る。珍しくセンゴクの執務室には誰もいない。常に誰かしらがいるのだけれど、自分がここに呼ばれた以上、人払いをされている可能性もある。
「すまないな、まぁ、掛けてくれ」
丁度何か書類を片付けていたセンゴクは顔をあげ、一度ニッコリと笑うと書類をそのままに椅子から立ち上がった。
勧められるままにはソファに腰を下ろし、向かいに座ったセンゴクを見る。この男が、正直なところは苦手だった。あまり苦手意識を何かに持つことはないのだけれど、どうも、元帥の名を頂くこの男は苦手なのだ。何がどう、ということはない。ただ、にっこり笑って非情なことをいうのがまず嫌だ。そして次にはの頭を優しく撫でる。甘やかされているわけではない。それが、判る。がサカズキに捕えられて数年はこの男、とことん外道だった。実験動物としてみる科学者たちはまぁいいとして、とことんに対して容赦のなく、その容赦のない、その種類がサカズキやベカパンクなどとは違った毛色のものだった。そういえば、まだサカズキと誓いを交わす前、暴れる自分の目の前にロジャーの髑髏を突きつけたのもセンゴクだ。あの瞬間、声も出ぬほどは恐怖を覚えた。それだけならただ疎むだけだっただろう。しかし、ある日を境に手のひらを返したように、この男は自分に「甘く」なった。なぜそんなことをするのか、容易い。恐怖の鎖で縛るより、親愛などの情で縛られたほうが裏切りの可能性が低いからと、そういうことだ。頭のよいことだと思う。そして結論、センゴクは苦手だ。
「その怪我は……また赤犬か」
机には用意周到なことにお茶のセットがすでに設けられていた。カップを傾けて白いティカップに琥珀の液体を注ぎ、センゴクがの方に寄せる。一応それを受け取って口を一つつけてから、は肩を竦めて見せた。
「機嫌悪かったんだよ」
たぶんね、と付け足せばセンゴクが溜息を吐いた。
「、笑い事じゃない」
「……わかってるよ」
海軍本部の中では准将以上にはその存在を知られていない。だから活動できるのも本部の本丸、奥のみとかなりの制限をされている。しかし、自由に歩けてはいるのだから、当然その姿は人の眼についている。数年前、まだ赤犬の元にドレークという海兵の板頃からは「大将赤犬が保護されているどこぞの少女」というのが、本丸・奥を移動できる程度の階級を持った海兵たちの中の認識になっていた。
そのが、時折赤犬にズタボロにされるまで暴力を受けていることが、最近海軍本部の中でいろいろ、妙な亀裂を生んでいるらしい。
正直には自分とサカズキのことなのだから放っておけと思う。しかし、大将の肩書きを持つサカズキが、いたいけな少女を虐待しているという事実はいろいろ問題があるそうだ。
もちろん、准将以上の海兵はが世界の敵であることを知っているのだから何も言う権利はない。だが、ここで問題になってくるのが、海軍という組織構造である。
単純に元帥がトップ、その下に大将三人、以下、というだけでもない。上層部と呼ばれる、まぁ、軽く考えてそんな妙なものがあり、クザン派やらサカズキ派やらボルサリーノ派やら、または今の大将は相応しくないと「正義」を掲げる派閥やらが、あるのだ。
サカズキは、大将赤犬は右派の絶対的な指示を受け、さらにはその徹底した正義が多くの「絶対正義」を持つ将校らを惹きつけて止まない。しかし、行き過ぎた正義、そして潔癖症のきらいがあった。上層部からしてみれば、どうも最近のサカズキは、扱いにくいそうだ。
元々サカズキが大将に上がった要因の一つが、上層部の望む「絶対正義」の体現者、そして頑固者だからこそ、他の大将クザン、ボルサリーノよりは軍に従わせやすいだろうと思われたことだ。
上からの命令ならばどんな非道もやってのける、上層部が欲したのは強力な傀儡だったのだ。しかし、サカズキはそうはならなかった。は当然だと思う。サカズキはドSでどうしようもない徹底主義者だけれど、しかし、その根底は海軍本部、世界政府ではない。たとえばCP9であれば政府に従じているといえる。だが、サカズキは、あの男は、権力に仕えているのではない。己の見出した正義に仕えているのだ。
そして上層部には若干煙たがられてきたサカズキ。不正やなにやらを許さぬ、その海軍本部大将を失脚させたいと思う連中が若干名、いるらしい。
その連中が、サカズキをどうにかしてしまうために、を利用しようとしている。そのことは、も気付いていた。准将以上には「ただの子供」と見えるが大将に理不尽な扱いをされている。非力なことは罪ではなく、それを守ることが絶対正義、と、そういう言い方をしてサカズキを批難できる。
「大将といえど、それでもこの海軍本部の一海兵であることに変わりはない。罷免される理由があれば大将ほどの実力者、世に解き放たぬようそれなりの対処が下る」
センゴクの深い溜息にの小指がぴくり、と動いた。
「それなりの対処って?」
「良くて、インペルダウンの最下層に送られる」
死ぬことすら許されぬ処罰を受ける。ただ海軍を辞したというだけで、しかし、最高戦力とまで呼ばれた者、一度海軍に入ったのなら、その地位に着いたのなら、海軍のため以外には死ねない。それが嫌なら力など持たねば良いのだ。
「……そう」
は頷いて、俯いた。自分も「あ、まずい」と最近気付いていた。だからサカズキなど、それこそに刻印を刻んだ瞬間から、いや、冬薔薇を手に入れたその時から、今日のこの状況など想定していただろう。
それでも、サカズキはを殴るのだ。
当然、それがサカズキの正義だからである。詳細などは知らない。わからない。でも、サカズキにとって己の大将の地位よりも、を殴り打ちのめすことの方が重要なのだ。その意味、そんなものは、知らないけれど。
「……」
沈黙したをセンゴクが困ったように見下ろして、かちゃり、と、カップを持ち上げる。一口飲んでから、この重苦しい雰囲気を消そうとつとめて明るい声を出した。
「まぁ、しかし、そんなことにはならないだろう。私もいる、青雉も、黄猿もいるのだ。そんなことは、ならないだろう」
「ふふ、ありがとう。センゴクくん」
気休めだということは判った。センゴクの地位とて万全ではないのだ。上に立ったものの末路など、はこの数百年で嫌と言うほど見てきている。それでもセンゴクの気遣いが嬉しかった。
「それで、ぼくに何の用?」
「あぁ、そうだ。そうだった、ベカパンクのところの助手に背の高いひょろっとしためがねをかけた男がいただろう、覚えはあるか?」
「うん、名前は覚えてないけど、確か一回腕切り落とされたよ」
特徴のない容姿だったが、ベカパンクのところで長身のめがねは、の記憶にある限りその男しかいない。ベカパンクも少々イっちゃっているところはあるが、あの助手Aは方向性の違うイっちゃった加減があった。
死なぬ体のに興味深々で一体何処まで再生できるのかとか、状況によっての回復速度は違うのかと時計の秒針を隣に嬉々として測っていた。両足を切り落とされ、傷口に海楼石のの蓋を被せられたときは本気で怖かった。
今はもうそんな実験が行われることはない。どうしてか、簡単だ、サカズキが、許さないから。
「それで、その助手Aくん、どうしたの」
「科学者が一人、逃亡した」
「へぇ」
それは、中々根性のあることをしたものだとは感心する。世界政府の、海軍の抱え込む科学者たちは当然のこと、そしてパンドラ・の存在を知っている。歴史の本文にすら、関わっていると、そういう話をは耳に挟んだことが合った。
政府にいれば「協力者」それ以外は「犯罪者」ということ。は目を細め、口元を歪める。
「それ、大変だね」
「それだけならまだマシだ」
「ふぅん?それじゃあ、まだ何かしたの、その科学者」
「パンドラを連れ去った」
さらりと言われた言葉。だが、うわ、と、の顔は引きつった。なんだってそんな事態になっているのか。
「すごいね、そんなことをしてまだ生きてるの」
この800年、そんなことを出来た例はない。本当にない。なんだあの助手やればあできる子だったんじゃあないかと笑えるだろうが、笑えない。思わず声も上ずって、、うわぁぉ、と妙な声を上げる。
パンドラ、パンドラ、パンドラ・。あの王国の最後の魔術。400年前に水の民によって今のの体に魂を移されたけれど、の本体である。永久に朽ちぬ肉体、そして内には膨大な“力”が宿っている。目覚めぬことでその力は日に日に増していくから、昔がこの体に移ったときには綺麗に半分に分けた“力”も、今ではきっと、パンドラの本体の方が強くなっているだろう。
その体、を、連れ去った。
「まずいよね」
あの体に魂は入っていないから死体と同じとはいえ、強力なエネルギーが詰まっている。人間電池といえば聞こえは悪いが、まぁ自分のことだからいいだろうとは思う。
兵器として利用する手段もあり、そしてその体を研究しても、随分な成果があるだろう。
「ああ、まずいな。大問題だ」
カップを置いて、センゴクはいう。大問題と言葉で言うほどに慌てていないのは慌てたところでしょうがないからか、それとも、なんどかする心当たりがあるからか。
は眉を顰めた。
「だよね、で、ぼくか」
「話が早くて助かる。仮に、万一、例の科学者がパンドラの秘密を解き明かした場合、我々では対処の仕様がない」
最悪なのはパンドラが目覚めることだろうが、それはがこの体を使う気でいる限り起こらぬこと。
もし、科学者がパンドラの内に犇く憎悪の力を利用できたなら、正直古代兵器どころの騒ぎではなくなる。
「でも、ぼく弱いよ」
「承知している。だが、お前しかおらんだろう」
自分で笑えてしまうくらい、はとことん、非力で無力である。それは、多少はできることもあり、ボルサリーノの蹴りを受け止めたり、なんなりと、しかしそれは肉体の能力ゆえではない。がパンドラ・であるかた、海の悪魔たちはに手出しができないと、そういうことだ。
純粋な肉弾戦のみならはW7の裏町の子供にも負けられる自信がある。
「サカズキは知ってるの?」
「話は通してある」
納得、了承はしなかったということか。まぁそうだろうとは頷く。自分は容赦なくを蹴ったり殴ったりするくせに、他人がそれをしょうとすると烈火のごとく怒る。確かに自分は、世界の正義の証明、である。傷つけられるべきではないとそういう方針を五人の老人、いや、もっと前から、それこそ800年前から定められているが、徹底して守っているのはサカズキくらいだ。つい250年前など政府は堂々とを戦力に加えようとしていた。それを考えれば、生きてさえいれば問題はないとそういうことなのだろうと知れる。だというのにサカズキはを傷つけるものを許さない。
(ぼくが、傷つけられるってことは、サカズキの正義が穢されるようなもの、か)
パンドラが誘拐されたのなら、どうにかしなければならないだろう。普段を世界と関わらせようとしないサカズキだが、これはまた、別のような気もする。だが、サカズキはこのことを知っていて、それでを殴り飛ばした。行くなと、そういうことだろう。
「見ての通り、重症なんだよ。とうてい飛べない」
断ることにする。サカズキは望んでいない。それがわかれば己の取る行動など決まっている。肩を竦めてあちこちぼろぼろになった自分を主張すれば、にっこりと、センゴクが、仏のセンゴク元帥が笑った。
「ローグタウンまで船を出そう。ガレーラに発注以来した最新式のガレオン船だ。問題なくお前を運ぶだろう」
「結構、本気みたいだね」
ガレーラ、アイスバーグまで関わらせたのかとの眦が上がる。その言葉の裏を気付く。ガレーラには今現在、CP9が潜入捜査に来ている。もうかれこれ四年と少しが立ってしまった。タイムリミットがどれほどあるのか知らないが、仮にも世界政府の秘蔵っ子、ロブ・ルッチがいつまでも同じ場所にいられるわけもない。
何か行動を起こすのならそろそろかと、も警戒していた。あの子、あの、ロブ・ルッチはの嫌がることはしないから、アイスバーグに手を出すことはしないと、そう、信じてはいるけれど。それでも、安全と妄信したことなどない。
何かあるかもしれない場合、ロブ・ルッチが決意した時に、ではどうしようもなくなる。それをセンゴクは知っていて、今名前を出したのだ。
「……アイスバーグを守る。約束してくれる?」
サカズキのことが頭を掠めたが、優先順位が違う。何を置いても、守りたいのはアイスバーグだ。他は、いい。それでサカズキが怒っても、それでも、いい。怒られるだけならいい。アイスバーグは、守れなかったら死んでしまうから。
「あぁ、判った。パンドラさえ無事に戻るのならな」
にっこりと頷く、センゴクの目。随分とマトモな生き物の道から外れたものだと、、さめざめ感心して掌を握り締めた。
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あれですね。原作に乗っかるまえでが面倒k・・・・ハイ、そんなことないですヨ。