この話には他家のご令嬢トリアイナのSii嬢(親御さんは春日様)が登場します。ご令嬢の本家は「青線区域」です。他家のヒロインを借りてはいますが、他家連載のお話とは連動しておりません。なお、Sii嬢との共演小説などは頂物部屋にあります。







身支度を、ということで本部で使っている“箱庭”に戻り簡単な旅の荷物を用意していると、パタパタとこちらにかけてくる足音、というか、騒音。おや、とは首を動かし振り返った。

「げ」

小さく声を漏らす、その途端、ばっ、と数メートル先から飛び込みをかけてきた黒髪の少女が抱きついてきた。

「パンちゃーん!!!行くなら私も連れて行けー!!!」

ぎゅっと抱きつかれ一瞬本気で意識が遠のく。ギブギブ、と少女の肩を叩くがそんなことで開放してくれる少女ではない。

「ちょ、Sii……苦しっ……」









けほけっほ、と喉を摩っていると黒髪の海兵、Siiが「大丈夫か!?パンちゃん!酷い、一体だれがそんなことを!!!」などと言ってくる。それにはもう突っ込む気力もなく、は溜息を一つ吐いた。

ドレークなどに言わせれば自分は人の話を聞かず自分都合で物事を考えどんどん進めるところがあるらしいけれど、正直、シリアスな場面以外のSiiに比べれば常識人だ。

Sii、は(それが本名だとはは思っていない。最初にこの少女と出会ったとき、名前はないと言っていた。だから彼女の一族の名前、トリアイナからトリの二文字を取りは暫く彼女を「トリくん」と呼んでいたのだけれど)随分昔から、それこそが王国に移民するよりずっと前からこの世界に存在している一族、というか、まぁ、一家というか、規模はにはどうでもいい、まぁ、そういう、古い血の者。

歴史の流れを司り、記憶を、運命を承知する血族。その為にどれほどの所業を必要とするのか、それはの知るところではないのだけれど、Siiの一族が、トリアイナの一族があの王国滅亡後の前に姿を現し「全てを取り戻した方が良い」と説得してくるのは煩わしかった。

トリアイナは歴史の起点を知り、そして歴史が理不尽な力により消されぬように守る者たちだ。当然、の存在、そしてパンドラ・が何者なのかを承知している。だからこその訴えだとも思うが、よけいな世話である。

オハラの学者の鬱陶しさには及ばないが、トリアイナも相当鬱陶しいと常々は思っていた。それでも彼らはが首を縦に振らぬ限りはそれ以上を求めようとはしなかったが、鬱陶しいことに変わりはない。

しかし、ソレでいうとこの少女、この、背の高い黒髪のすらりとした生き物はこれまでの知っていたトリアイナとは随分と様子が違っていた。何が違うのか、はっきりとしたことは判らないのだけれど、どこか、違和感がある。だからは青雉がこの生き物を傍らに置くと決めた時も、サカズキがやたらとSiiを己の配下に加えたがっていても、特に何もいわなかった。トリアイナの人間、世界政府の為に粉骨砕身☆なんてことはまずしない。クザンはどうか知らないが、いずれサカズキの邪魔になるかもしれない、そういう危険性はあった。だが、はSiiを表面上は疎ましがるだけで、退けようとは思わなかった。

そのSii、なぜかやたらとを気に入っている。おそらくパンドラ、から来ているのだろうがを「パンちゃん」などと呼び隙があれば抱きついてくる。全身タックル、人間弾丸にだってなれるんだからちょっとは手加減をしてほしいと、そういう訴えは何度かした。そのたびに手加減はしている!と真面目に言われるから、もう、どうでもよくなる。

全く、青雉クザンも自分のことを「パン子ちゃん」なんて冗談めかして言うけれど、この青コンビ、実際それ結構犯罪スレスレじゃないのかと、そういう突っ込みをいつかしてみたい。どうせ無駄だろうけれど。

「それで、なぁに、Sii、何か用あるの?」
「キジに聞いたぞ!パンちゃん、東の海に行くって本当か!!?」

そういえばいつ東の海に行くことが決まったのだろうかとふとの頭に何か、引っかかった。いや、科学者が逃げた、と、それだけならグランドラインの中を探しに行けば良いだけだ。しかし、東の海になっていた。ローグタウンまで送ると、そういう会話だった。何故、その前にはただ「飛べない」とそう言っただけだ。

「うん、そうなんだ。ちょっとヤボ用でね」
「危険だ!パンちゃんが東の海にだなんて、怪我をしたらどうするんだ」

いや、今のところ一番平和な海の名前頂いてます。はぽりぽり、と頬をかき、ふとひょっとしてSiiは何か知っているのかと思う。何も知らない、こともないだろう。少なくとも、自分よりは今何が起きているのか知っているはずだ。

「ねぇ、Sii」

何故かポケットからあれこれと「護身用」「チカン(ハデ鳥)撃退スプレー」などあれこれ取り出して並べるSiiを見詰め、は名前を呼ぶ。

「うん?なんだ、パンちゃん」

にこりと、嬉しそうに笑う少女のその顔。その深い漆黒の瞳、黒真珠のような、目を見て、一度目を伏せた。

「うぅん、なんでもない」

きっと、聞けば教えてくれるだろう。Siiは、いや、トリアイナはパンドラを守護してきてくれた。知らぬこと、知りたいことは教えてくれる。しかし、聞いてしまえば戻れなくなる。何からかは判らないが、それが、良くないことだとはわかっていた。

Siiは、トリアイナではあるけれど、でも、そうとに接したことはない。そしてもSiiをトリアイナとして見ないようにしている。そうしてしまえば、きっと自分はSiiと言葉を交わすことすら苦痛になる。

「パンちゃんが心配だ」

そっと、の膝の上の手にSiiの手が重ねられた。肉付きの薄い手はそれでもの手を覆えてしまう。あまりにも小さな、の手。それを、よりも随分と短い人生しか生きていない生き物が、包み込んでくれる。

「Sii?」
「大丈夫だって、わかっている。でも、心配なんだ。キジのところに来てからこうしてキミと一緒にいる時間がたくさん増えて、いつもキミを見ることが出来た。でも、離れてしまうのが、不安だ」
「ぼくは、へいきだよ」
「うん、そうだって、判ってるよ。でも、心配なんだ」

繰り返して言う。その顔は真剣そのもの、いつものようにどこか冗談めかす雰囲気も何もない。は目を見開いて、じっと、Siiを見る。

「痛い思いをしていないか、寂しい思いをしていないか、苦しい思いをしていないか、キミがちゃんと笑えているか、離れていると、とても心配になる」

大げさな、とはいえなかった。この人、この生き物はおおよそ冗談をいうようなタイプではない。いや、その天然入った行動が冗談のように見えるが、基本的にはいつだって、真面目なのだ。そのSiiの、真摯な言葉には黙る。

サカズキはこれからがグランドラインを離れて研究者を追うことを望んでいない。クザンだって、何か思うことがあるのだろう。そしてSiiも、とても、不安我っている。彼らはが海軍本部を離れるのを良しとしていない。望んでいるのは海軍だ。彼らは、海軍そのものではない。だから、常であれば、はセンゴクの要求を突っぱねるべきなのだ。

(でも、ダメだ。アイスバーグを、ぼくは守らなきゃ)

このままここにいて、安穏とできればSiiは不安を覚えない。サカズキだって、安心する。でも、アイスバーグを人質に取られているのだ。

何を、誰を悲しませても、嫌な思いをさせても、でも、はアイスバーグを取る。

ぎゅっと、はSiiに抱きついた。びくり、と、震える黒髪の少女。体はの方が小さいのに、初めてはSiiが「子供」に思えた。脅え覚えてしようのない生き物のよう。腕っぷしはサカズキとまともに手合わせできるほどあるのに、この、様子。クザンがいつだったかSiiを「放っておけない」と呟きながら見ていたのを思い出す。

「ごめんね、Sii」

心配してくれる。労わって、くれる。これから起こること、には見当も付かないが、Siiは何か予感があるらしい。それをが望まぬ限り明かさず、しかし、心配してくれる、その心。張り裂けてしまわないだろうかと、、生まれて始めて他人の心を案じた。

「謝らないでくれ、パンちゃん」

の背中に回されたSiiの手が指先が、ぎゅっと、の服を掴んだ。黒髪の頭を抱え込むようにして、は目を伏せる。

「うん、そうだね。ごめん」

小さく呟いて、そっと、息を吐く。Siiがぎゅっと眉を寄せて、脣を引き結んだのが気配で判った。頭を撫でるのは自分の役目ではない。

「パンちゃん」
「うん?」
「何かあったらすぐに呼んでくれ。どこにいても、何をしていても、どんなことがあっても、私は必ず駆けつける。必ず、パンちゃんの笑顔を守る」

友情、というのだろうなぁとぼんやり思う。自分と彼女の間にあるもの、憐憫や同情、親愛の情、母性、などではないのだ。今まで他人というものは自分を通り過ぎるだけだった。いくらが懐いたところで、皆老いて死ぬ。だから「懐く」というスタンスだったのだ。それ以上は必要ないからと、友情など、持ったのはどれくらいぶりだろうか。

呟いて、じっとの青い目を覗き込んできたSiiの顔を、いつまでもいつまでも、は、ただ驚いて眼を丸くして、見ていた。



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