注意:このお話にはワンピらしからぬグロテスクな表現があります。苦手な方はご遠慮ください。
ふわりふわりと浮かぶ雲、悠々と自適にそれを眺めて暫くしたころか。麦藁帽子を被った新米海賊、現在はまだまだ駆け出し、海軍の歯牙にもかけられぬ無名の海賊の、少年、ルフィというものが、最近手に入れたばかりのキャラヴェル船・ゴーイングメリー号の甲板で仰向けになりながらぼんやり空を見上げていた。
自称・海賊王になる男、というこのルフィ。最近の出来事ではシロップ村にてあの神速の使い手黒猫のクロの数年計画、謀を見事阻止してしまったこと程度。新たな仲間の、長い鼻、ウソップを引き入れて彼らは偉大なる航路を目指す最中であった。
「ルフィ、あんたさっきから何してるわけ?日干しになっても知らないわよ」
船室から顔を出したナミは、炎天下、一体何をしているのか理解に苦しむ船長に溜息と小言を一つ投げかけて、吹いた微風に髪を押さえた。彼女も最近この船に乗ったばかりのか弱い少女、ではあるがその航海士としての腕は確かな者。新しい船に遊ばれる事もなく見事に乗りこなし、次の目的地で、食料補給のための島までの海路を辿っていた。
「んー、いやな。さっき妙なのが飛んでてよー」
ルフィはその自在に伸びる能力で児戯じみ、首やら手やらをぐんぐん伸ばして、眉をひそめる。さっき、変なのを見た。それで、もう一度見れるかと先ほどから空を見ているのだけれど、そういう気配はない。
見間違いだったのかと思えば、けれど、確かに見たのだと思える。
「妙なの?」
何ソレ、鳥でしょ、とナミが呆れて溜息を吐く。ここは海上だ。飛んでいるもの、といえば鳥くらいだろう。おそらく、新聞を配達する鳥を見たことがないだろうから、黒い鞄を抱えた鳥をいぶかしんだのか。そのくらいだろうと、ナミはそれ以上興味もなく踵を返した。別に、この男が干からびようとなんだろうと、構わないのだ。
「いやー、デッキブラシがよー」
ぶつぶつルフィは何か呟くが、もう興味のなくなったナミはさっさと船室へ戻ってしまう。
「デッキブラシ?」
「あ、ゾロ」
「何か見えたのか?」
「いや、なんかデッキブラシが飛んでたんだけどなぁー」
「は?夢でも見たんだろ」
はぁ、とゾロも溜息を吐く。この船長についていって本当にいいものかと、まぁ、疑問に思わないでもないのだが、まぁ、成り行きはしかたがない。
結局クルー二人に見捨てられたルフィだったけれど、それでも空を眺めることを止めない。ふわりふわふわ、雲が流れている。
夜
ご丁寧にローグタウンまで運ぶというセンゴクの申し出をは断った。ガレーラの船に守られての航海は悪くないが、今回いろいろと、警戒した方が良さそうだ。海軍、を信じられないのはいつものことだったけれど、そのことは、少なからずを動揺させた。何か、何かが、起ころうとしている。海軍だけのことか、それとも、世界にも影響を及ぼすことか、それは判らない。
ふらり、ふらふらと海の上をデッキブラシ一本で移動しながら、かセンゴクに渡された地図を見る。
科学者が逃げただろうと予想される場所。東の海の、小さな島だ。見当もつけていて、あとはただ捕えるだけ、とそういうことなのだろうか。ならそれこそ自分の出る必要はないと思うのだけれど。パンドラをその男が所持しているということが、センゴクには厄介とあるのだろう。
(でも、本当にパンドラの憎悪が利用されたら)
ぞくりとの身が震えた。この二十年ばかりはサカズキによっての力の殆どが封じられている。だから、無理に引き起こさぬ限りが悪意を覚えることはないのだ。悪意、は酷く湿った、泥のような感情。ずしりとの身に絡みつきどうしようもなく、身動きが取れなくなる、重く、暗く、不快な感情。パンドラの憎悪はそれ以上のものだ。再びあれを体感して正気を保てるのかには自信がない。
ゆっくりと自分の手の平を太陽に翳してみた。薄い部分が橙色に光って、きれいだ。これが透明になったら、タイムアウトなんだと思ってしまえばその感傷もわびしくなるのだけれど、それでも、きれいなものは、キレイだった。
キラキラ光る海面も、見飽きれば眩しいだけで、それと、同じようなものなのだろうとは割り切って、少しだけ速度を上げた。この海はグランドラインとは違ってコンパスが使える、迷子になって遭難することもない、海王類がそこらかしこにひしめいているわけでもないので、安全と言えば安全だ。
ぱちり、と目を開いてナミは後頭部を抑えた。痛い。擦れば瘤が出来ていた。腕を上げた瞬間、じゃらり、と金属の擦れる音に、腕に軽い抵抗感。
「なに、これ」
ナミの細い手首に嵌められていたのは手錠だ。ご丁寧に鎖は壁につながれているよう。じゃらじゃらと、重く長い鎖を目でたどりながら、ナミは目を見開く。
この状況、この状態は、何なのだ。ルフィたちと航海をしていて、島が見えた。町があったから、食料などを補給しようと降りて。それで。
「私、町を歩いていたのよね。ウソップはルフィと一緒で、ゾロは船の番」
小さな町だったし、危険なことへの鼻は利くと自負があった。だから一人での行動も大丈夫だろうと、あまり警戒はしていなかった。第一、つい最近まではたった一人で海を移動していた海賊専門の泥棒を自称するナミである。この年でくぐった修羅場は両手両足では足りぬほど。
今の状況、さっぱり飲み込めぬが、後頭部への強い衝撃の感覚などを考慮にいれ、どうやら自分、何者かに背後から襲われ意識を奪われ、こうしてどこかに閉じ込められている、と、そういうことなのは判った。
「ちょっとー!!誰かいないの!!!ここ何処よ!」
無駄、と判りつつも声を上げてみる。完全に真っ暗、ではない。天井には薄い明りが見えるから光苔などでも貼っているのだろう。ヒカリゴケは潮気を嫌う。つまり海岸からは離れていて、なおかつ湿度もある場所、地下室と、そういうところか。
じゃらり、とナミは自分の腕についた鎖を確認した。手錠、というよりは手枷である。錠の類なら己、はりがね一本でもあれば容易く外せるのだが、生憎この手錠、溶接してあるという念の入れようだった。力技で引きちぎるか、再度熱を利用せぬかぎりどうしようもない。
一体なぜこんな目に合わなければならないのか。
「誰かいないの!!!ちょっと!返事くらいしなさいよ!!!!私を誰だと思ってんのよ!!!こんな薄気味悪いところにか弱い女の子を閉じ込めるなんてサイテー!!」
ぎゃあぎゃあと喚いてみるが、自分の声がこだまするのみである。声がどのあたりまで響くのか耳を澄ませながら測りつつ、ナミはゆっくり立ち上がった。自分が閉じ込められている場所、当然鉄格子が設けられている。手探りで壁に寄りかかり、どこかに溝、或いは風穴などがないかを念入りに調べた。手枷につながれている鎖はそれなりの長さがあり、部屋の隅までは行けそうである。
コツン、とナミの足に何かがあたった。
「ひっ、な、何!!!?」
足に当たった感触、妙に柔らかい。ヒカリゴケの僅かな明りのもとに正体を定めようと目を凝らし、ナミはばっと、後ろに下がった。
「し、死体……」
部屋の隅に放置されていたもの。まだ若干の柔らかさを残す死体である。薄明かりの中ぼんやりと判別の付く服装は、娘のもののようだ。すぐに死体とわかったのは、その娘の首から上がなかったからである。
しかも一つだけではない。ぼんやり、目が慣れてくればナミが目を覚ました時にいた場所の対面上に山のように積まれている、死体。
叫びだしそうになったが、しかし、そこらの気の弱い娘ではない、ナミぐっと腹に力を込めて、脣を噛む。
何なのだ、この状況。どうして自分が鎖につながれ、しかもこの死体の山はなんだ。
「何なの、ここ……」
呟いても回答などない、しかし、口を付いて出る困惑の言葉。ナミはぎゅっと、掌を握り締めた。
何であれ、今ここで、こんなわけのわからぬ場所で死体の仲間入りをするなど冗談ではない。ココヤシ村があんなことになって、もう随分たつ。自分も泥棒としての腕をあげ、もう直ぐ、本当にもう直ぐ、目的の一億ベリーが溜まるのだ。皆、皆が笑えるようになる。また皆で、楽しい日々を取り戻せる。
それなのに、こんなところで死んでたまるか。
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