デッキブラシに乗ってすいすい宙を走る少女を横目で眺めながら、ゾロ、走る足もつれさせぬのは当然として、あたりの様子を窺った。突然船に着て、ナミが攫われたとそういう、子供。見かけはごくごく平凡に見えなくもない、黒い髪の目立たぬ装い。少年の服装なのは、誘拐への防衛策だと道すがら語っていた。
「おい、お前」
「うん、なぁに」
名前はまだ聞いていない。それでなんと呼ぶべきかわからずにただそう言うと、無礼と感じたこともないか、少女、ゾロに視線を向けてきた。駆ける、駆けるゾロとは違い優雅にデッキブラシに横乗りして楽そうな様子。目的地につくまでの暇つぶしの会話と、その程度のような気安さが感じられた。船の泊めてあった場所から町まではそれほどの距離もないのか、少し向こうに建物が見えてきた。辿り着いた矢先にこの少女の仲間が巻き構えているという可能性もあるのだが、ゾロ、その時はその時と割り切っている。
「何が狙いだ」
ごつごつとした補正のされておらぬ土道を蹴る、これがただの幼い子供の目でもしている生き物なら、ナミに変事ありというその言葉をゾロは素直に信じただろう。たとえば先日ウソップの村にいた子供三人のような、ただ幼く、しかし真っ直ぐな生き物であれば、警戒など微塵も抱かぬ。だが、しかし、この、今デッキブラシで空を飛ぶことを当たり前という顔をしている少女、妙な気配がするのだ。ゾロ、随分と昔、まだ自分が子供だったころ見た、くいなの好きだった絵本の魔女を思い出す。北の海から来たという親類が土産に持ってきた御伽噺、その絵本に描かれていた魔女の眼と似ている気がした。何をばかな妄想をと己を一笑するのは容易いが、そうはできぬ何か、剣士としてのカンだけではなくて、何か、この生き物に対する嫌悪感のようなものが、当たり前のように沸く。それが何か、それは知らぬ。
「うん?」
「テメェが敵にせよ、そうでないにしても、昨日今日出会ったような俺たちに関わる、その狙いは何だ?」
「鼻の長い子と約束したから」
いろんな意味を含ませている問い、であるのに、少女あっさりと答えてくれた。嘘の響きはない。それが先ほどから妙だったのだ。ゾロ、他人の嘘偽りごとは容易くわかる。それなのにこの少女には、普通の生き物が必ずあるはずの、動揺やら虚がない。ゾロとの問答も全て「本心」だと堂々と知らせてくる言動。
「約束は守らないといけないんだよ」
「それには同感だがな。妙なマネをしたら、即行斬るぜ」
チャキリ、と鍔を鳴らす。少女は目を細めて、口元を歪めた。妙な、しかしはっきりとした笑い顔。その目がまるで三日月のように鋭利なものを秘めていたので、またゾロの中に警戒心が沸く。それでも、この少女が何事かに関与していて、それがルフィたちに影響のあるものなら、無視するわけにもいかずどうにかせねばならぬのだ。
とん、と、地面に足をつけてはぐるりと辺りを見渡した。先ほど麦わら帽子の少年と長い鼻の子供のいた場所に再度戻ってきたわけだが、ここにもう一度来る約束はしていない。
それでもここに来た。迷子になったらもう一度もとの場所へと言うじゃあないかと、そんなつもりはないが、まぁ、似たようなもの。剣呑な気配ばかりする緑の髪の少年がこちらを睨みつけてくる。
「ウソップたちのところに案内するんじゃないのか?」
誰もいない、そのことに疑いが強くなったらしい。は一言も二人のところに案内する、とは言っていない。呼んで来いといわれただけで、それをそう告げたのだけれど、まぁ話の流れからそう取られるのが道理である。それにとしてもそのつもりだ。
「ゾロ!」
何も言わずに少し、ほら、とは振り返る。ぱたぱたとこちらに走ってくる先ほどの鼻の長い子ども。これがウソップと言う名前らしいとぼんやり思いながら放置された樽の上に座り込み頬杖を付く。
これで約束は果たしたわけで、ではそれじゃあさようならとここで別れてしまっても何の問題もない。だけれど、しかし、先ほど見た麦藁帽子になんとなく、気は取られた。あの子供の名前、確かルフィとそう呼んでいた。
夜
「ウソップ、ルフィはどうした?」
妙な女に案内されてやってきた場所、確かにウソップには会えたのだけれどもう一人、肝心な船長の姿が見られぬ。ゾロは眉を寄せた。
「それが、見失っちまってよ……すまねぇ」
「一体何がどうなってんだ?」
面目なさそうに俯くウソップに、まずこの状況の確認を問う。船で居眠りをしていたら唐突に空から降ってきた奇妙な格好の奇妙な女。少女というよりはまだ子供の部類だろうその生き物は突然ナミが攫われたという。見知らずの人間の言葉を鵜呑みにはしないが、それでもムシできるような細事でもない。それで、どういうつもりかと見定める意味も含めノコノコ子供の後を付いてきたのだけれど、そうしたらウソップには会えた。だがルフィがいない。見失ったというが、何がどうなってそういう状況になるのだろうか。まだ何も判断するには材料が足りない。
「そいつに何も聞かなかったのか?」
ウソップはゾロたちから少し離れた樽の上にいる子供を指差す。
「聞いたが、おい、コイツは味方なのか」
「いや、わからねぇ。そういえばお前、名前も聞いてなかったな」
おい、と、ゾロは些か呆れる。確かに小さな子供だが、素性も知れない人間をそうやすやすと近づけて良いのだろうか。一応己らは海賊になった、無法者になった、のだから警戒心とか、そういうものを持つべきなのではないだろうか。いや、ただの子供ならゾロとて「大げさな」と思うのだけれど、しかし、この子供、くるん、とした眼をして先ほどからにこりとも笑わぬ口元の子供、並の生き物などでもないだろう。
「ぼく?ぼくは自分で誰かって名乗るの好きじゃないんだけど」
「なんだそりゃ。あぁ、俺はウソップ、麦わら海賊団の狙撃手だ。人は俺をこう呼ぶ、キャプテ〜ン、」
「海賊なら、ぼくをって呼ぶのが道理だと思う」
ウソップの名乗りを遮って子供、は言う。ずべっと、口上がからぶりに終わるのはなんだか当然のような気がした。
「、か。それで、お前はこの島の人間じゃないんだろ?お前も海賊か?なわけないよな」
「違うけど、でも海賊だったこともあるよ」
「みろ、ゾロ、じゃあ味方じゃあねぇか。海賊ごっこをしてる子供は皆いいやつだ」
何がどうして味方になるのだろうか。突っ込みたいことは山々だったが、その前にと名乗った子供がころころ声を上げて笑った。
「ふふふ、海賊ごっこ、か。ふふ、それは楽しいよね」
先ほどまでの妙に「魔女」という気配がいっぺんして幼いだけの子供のものに変わった。ウソップを眩しそうに見上げて、目を細める。それにゾロは奇妙な、毒気を抜かれた。最初からこういう生き物だと突きつけて出会ったなら今のように警戒しなかったものを。どちらがこの生き物の正体か、それはまだわからないが、そう、何となく、憮然と思った。
「だろ!?それで、お前はこの島の人間じゃないってことなら、誰かと一緒にこの島に来たんだろ?そいつらも攫われたのか?」
「ぼくは一人でこの島に来たんだけど、人を探してるんだ。攫われちゃったんだけど、ここにその犯人がいるかもって聞いたから」
「攫われた?それで、一人で追ってきたのか?根性あるなぁ……」
「気合と根性は結構自信あるよ」
「おいウソップ、和んでるとこ悪ぃが、それで、結局ナミがどうなったって?」
の事情を知って多少同情でも芽生えたか、若干声を低くして会話を続けるウソップと、知り合いを誘拐されたにしては嘆きの響きのない、遮ってゾロが言えばとウソップが同時にこちらを見てきた。
「な、なんだよ」
「いや、あ、そうだった、と。ナミがいねぇんだ。この町のどこを探し回っても。それでが攫われたかもしれねぇって」
「そうそう、女の子は攫われるみたいだからね。ぼくもさっき攫われかけたんだよ」
「女を誘拐して何になるんだ?労働にゃ使えねぇだろ」
女の用途、が別に思いつかないわけでもないがのような子供まで狙われたとなればその可能性もないだろう。腕を組んで首を捻ると、の眼がゾロの背後に向けられた。ちゃきり、とゾロに手をかける。
「それはぼくじゃなくて、彼らに聞いたほうが良さそうだよ」
なにやら楽しそうな声、ひょいっと樽から降りて、首を傾ける子供。ゾロはザッ、と左足を引いた。前方後方、それに屋根の上に、人。囲まれていた。手にそれぞれ物騒な包丁やらなにやらを持ってじりじりとこちらに近付いてくる。
「なんだテメェ等」
すかさず刀を抜き一番近付いてきた初老の男に突きつける。怯む様子もない、気に圧倒されることもない。ただの人間であれば脅えるだろう、凶悪な気配にもものともせず。とウソップはちゃっかりと一緒にゾロの背に隠れる。いろいろ突っ込みたいが、今はそれどころでもない。手に武器を持たれている。ウソップとを庇いながらは、少しきついか。
進み出た白髪の入った老人、歳の割りには妙に、足腰がしっかりしている。
「騒ぎを起こしおって……お前達は男だから必要ない。さっさとこの島から出てゆけ」
老人、苦々しく顔をしかめて短くそれだけを言う。うん?とゾロは眉を跳ねさせた。女が誘拐されている事実はこれで肯定されたようなもの。だが、それを隠すわけでもなく、男は無価値だから逃がすという。その心がゾロには解せぬ。目撃者など残せば厄介なことになるだろう。なのに男には見向きもせぬと、それはどういうことか。
「ナミを攫ったっつーのはテメェ等か」
剣を老人に突きつけ問う。どういう目的があるのか知らないが、あの女、一応自分たちの船の船員である。ルフィが航海士だと認めている。なら、剣士の自分は、刀を持つ自分は、船員を守るのが道理だ。返してもらうための手段は、さして選ぶつもりもない。
「お前たちの仲間の少女は、価値がある。だがお前達にはない。即刻、去るがいい。命のあるうちに」
「待てよ!おい!ナミは、俺たちの仲間は無事なのか!?」
ゾロの背から顔を覗かせウソップが叫んだ。大声を出した所為か、周囲がざわめく。それで焦りでも生じたか、背後から投げられた石をゾロは刀で弾いて防いだ。それで戦闘開始、となったわけではないが周囲に緊張、敵意が膨らむ。さてどう出すかとゾロも若干緊張していると、その脇から明るい声。
「今年は少女、次は少年、それで最後は老人の需要でもあるのかな」
「……!?」
幼い、どこまでも幼い子供の声。後ろにいたのもの。ウソップが「お、おい、お前…」と慌てているがそんなことを構いもせず、ひょいっと、が黒いカツラを取って前に進み出てきた。老人、背後の人間らのざわめく声。
「ふ、ふふふ、さっきはこのぼくをよくも誘拐しようだなんてバカな真似、」
ゾロは止めようと手を伸ばして襟首を掴む。ひょいっと、猫の仔を扱うような対処にの眼がびっくり、丸く見開かれた。
「何するの!」
「何してんだテメェ!危ねぇだろ!」
「平気だよ!多分!」
「多分ってなんだ多分って!油断すんじゃねぇ!ケガしたくなきゃ後ろにすっこんでろ!」
怒鳴ってウソップに投げ付ける。この状況、何を考えて前に出るのか。みたところ何の武器も持っていない。先ほどデッキブラシで宙に浮かんで飛んではいた。何かの能力者かもしれないが、ゾロ、わかるものだ。戦いを知る生き物ではない、体付きや動作からそれくらいはわかる。その判断、は戦いを知らない、そういう、どちらかと言えば無条件で誰かに守られるべき、そういう類の生き物だ。他人を守るつもりなど元来持ち合わせていないゾロだが、しかし、幼い子供、少女、そして己の背にいるのなら剣の届く限りは守るだろう。
しかし、、ウソップに受け止められたままの態勢でぼんやり空を見上げ、笑う。
「平気だよ、だって、ここの生き物たちはぼくらを傷つける権利、持ってないだろうから」
先ほどゾロとウソップに向けられた声音とは随分違う、もの。仄暗い水の底から這い上がってくるような、低い声で、が呟いた。
小さな声だったというのに、辺りにはしっかり響いた。先ほどまでは敵意をむき出しにしていた町人たちが、ひぃっと、みな、喉を引っかいたような掠れた声を上げ、蜘蛛の子でも散らすかのように逃げてゆく。
「な、なんだぁ?」
戸惑うのはゾロとウソップばかり、ただ一人逃げずに残った老人は、若干の警戒の色を強めてを睨んだ。
「子供、何を知っている」
「何も知らないけど、そうなんじゃないかなぁって予想はついてる。ふふ、ふ、なんだ、そうなの?やっぱり」
ゾロたちには何のことかわからぬ。だが老人の顔色が見る見る、青ざめていった。それを構わず、は相変わらずウソップに抱えられたまま、ぼんやりした眼、鬱蒼とした声で続けた。
「ふふふ、ここ、綺麗過ぎるんだよ。整備されているし、まず、農村でも漁村でもないのに町の住人たちには栄養素がしっかりいきわたっている。多少不足しがちなものがあってもおかしくないのにねぇ」
「……推測か」
「推測が確信に変わるのはそう難しくないよね。とくに、ほら、全員裸にひん剥いてやればわかること」
老人の手元が動いた。咄嗟にゾロは手を伸ばし、放たれたそれを片手で受け止める。小さな礫、しかし鋭利な、ドン、と、皮膚に食い込むもの。ドグン、と、血管を打ちゾロは顔を顰めた。小さなものだったが、しかし、威力が思ったよりもある。
「ゾロ!!」
「ッ……!だから、油断するなっつただろーが……!!!」
叫んだ瞬間眼がかすんだ。思い当たる、毒、か。
すぐに周るなどどれほどのものか知れぬ。ゾロが膝を着くと、離れた所で老人の甲高い声がした。落ち着いていた物腰だったが、よほどに耐えかねることを言われたらしい。
ぐらつく視界、かすんだ眼に倒れるなど剣士としての己の矜持が許さぬ。刀を地に指して耐えていると、ぼんやり、己を見下ろす紅い目が、かすかに見えた。
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