「ゾロ!ゾロ……!しっかりしろ!!毒か!!?おい、じいさん!!何しやがった!!!」
膝を着いたゾロを抱えながら、ウソップは老人を睨みつける。だが既に老人はが押さえつけていた。
「え?」
先ほどまでのぼんやりとした様子からは想像もできないほど素早い動き。はギリギリと奥歯を噛み締めて、老人をデッキブラシで地面に抑えている。
「ぼくを狙ったのとか、その子供が死にかけているとか、そういうのはどうでもいいんだけどねぇ」
けらけらと笑い出しそうなほど、上機嫌と窺えるような、明るい声。はしゃぐ少女のものに聞こえるのに、しかしその眼は細められ、鋭利な三日月のよう。はぐいっとデッキブラシを足にかけ地に伏せさせた老人に体重を傾けたまま、小首を傾げた。
「毒、じゃあないね。今の。それは、振動だ。悪意に似ている妙なもの。ねぇ、それ、どうしたの」
「し、知らぬ」
「知らない、なんて意地の悪いことを言うんじゃあないよ。そんな言葉、信じないよ」
据わった眼、どこまでも暗い。、この老人の使った先ほどの一撃に、腹が立つほどに覚えがある。最後に見たのはもう二十年以上前。サカズキに捕えられる前に己が使った。音の悪意、と、そういう名前で呼んでいるものだ。触れたものに振動を与える。その振動、ヒトが、いや、全ての物体が自ら発している振動を狂わせる。超振動の類とはまた少し違うのだけれど。とにかく、先ほどの礫のような、鋲、どういう原理か知らないが、の扱っていた悪意と同じ効果を込められていたのだ。
己以外にあの国の技術を使える者がいる。その事実、見過ごすわけにはいかない。
眦を強くして軽く腕を振り、デッキブラシをしまいこむ。その反対に取り出した荊の縄でとりあえずは、と、ぐるぐる老人の首にかけた。茨の棘が老人の細く皺のある首に食い込むが、それはまぁ、どうでもいい。
「ねぇ、ちょっとこれ持ってて」
さてどうしてくれようかと思案して、ひとまずはウソップに縄の先を預けようと声をかけると、その子供、慌てた様子のまま叫んだ。
「え、あ、おい?!ゾロが……!!お前、解毒剤とか持ってないか!?」
「そんなものは持ってないよ」
毒は完全に専門外だ。の体、十分しっかり毒も効くのだけれど死なないからまぁOK?とあまりそちらの準備はない。だが何度か毒で痛い目を見てはいる。学習しないというよりは、興味がない。毒の種類や解毒剤を持ち歩いてその効果を把握するよりは、日々品種改良される薔薇の新種の確認をしたい。
にべもなく断ったに眉を寄せ、しかし文句を言う暇もないとウソップが腰の水筒の中身を傷口に宛てる。水なのか茶なのかわからないが、よい判断。だがそれは毒の場合の対処法である。
ゾロを見下ろして、眉を顰めた。
生憎と自分にもこれはどうすることも出来ない。音の悪意、振動の類。狂わされたリズムを元に戻すには中々の「力」が必要で、サカズキの刻印を刻まれている現在では、十分な力が使えない。
ではこのまま段々とこの子供の組織が破壊されていくのを眺めているのかと、そういう外道さとSさはないのだけれど。だからといって、どうすればいいのか。
「痛い?」
「っへ、このくらいどうってことねぇ」
激痛が身を苛んでいるだろうに、がしゃがみ込んで顔を覗けばゾロが、顔に汗をかきながらも平然と嘯く。その姿に肩を竦めてから、は縛っておいた老人を一度蹴り飛ばす。
「ねぇ、ねぇ。これは、きみが手に入れた力じゃあないよね。誰に貰ったの?素直に君のご主人様を吐きなよ。そうすればまだ、体は残すよ?」
頭を狙って記憶でもとばれたら面倒なので、ここは腹に一撃にとどめておいた。拷問の類はスキではないのだけれど、得意かどうかと聞かれれば、エニエスのスパンダムに負けないという自負がある。年季が違う、年季が。
「お前たちに話すことなど、」
ぼきっど、は男の指先をヒールのかかとに捕えて踏み潰した。鈍い、骨の砕ける音。体重などそれほどかける必要もない。間接を狙った容易い所業。老人の叫び声が空を割るように響く。たかだか指の一本程度で喚くなとさめざめ思いながらは顎を蹴り飛ばした。
「ふ、ふふふ、ふふ。外道鬼畜が今更どんな矜持を守ろうというのかね。ふ、ふふ。このぼくを、あんまり煩わせるんじゃあないよ」
地に倒れた老人の顔を、いっそ優しいとさえ言える手つきで触れて持ち上げる。無理矢理視線をこちらに合わさせて、、これ以上ないほど、鋭利な目つき。魔女の悪意というものはかくもこのようなものかと思われる、微笑。
「なるほどご主人様の名前を、住居を暴露したら報復が怖いか。でも、ねぇ、考えてもごらんよ、ここでぼくにそれを言わなかったら、ふ、ふふふ、ひどいことをするよ。ご主人様の報復とどちらが酷いか、なんてそんなこと、ふふふ、比べさせてやろうか」
「……黙れ、何も知らぬ子供の分際で。我らの生に口などだすな」
やっと口を開いたと思ったらこれである。はさめざめと目を細めて、男の頬を打った。暴力の類、あまり好きではない。だが人を殴りじん、と痺れる手を感じるたびに、人が人を殴りたくなる気持ちがわかる。
しかし、一瞬カッと身の内より出た憎悪は、誰のものなのだろうか。
「己らが生き延びるために容易く他人を生贄に差し出す。何年文明を築こうと浅ましいものよな、人間なんてものは」
低く呟くその口調、もう何百年と使っておらぬもの。底冷えのする、北の海の深海のを思わせる凍える声を出しながら、は脳裏にチカチカと浮かんだ映像を振り払った。
そしてその、脳髄の痛みを紛らわせるために振り上げた右手、降ろされる前に何者かにつかまれる。
「!」
「お、おい!もう、止めろよ!!!なんでこんなこと、相手はじーさんだぞ!」
傍観していたはずの鼻の長い子どもである。その訴えにはぴたりと動きを止めて、眉を顰めた。なぜ邪魔などするのか。この老人に己らは殺されかけた。そして今、この子供の仲間は死に掛けている。この老人を責め上げてなんとか情報を聞き出さなければならないというのに、なぜ、止めるのか。
「そっちの剣士さんが、死んでもいいの」
ぽつり、と、問いかければウソップが困ったように眉間に皺を寄せ、「あ、いや」とわけのわからぬ単語を吐く。
「いや、そ、そうじゃねぇけど、でも、お前、ちょっとやりすぎじゃねぇか」
「血は出てないよ」
「そういう問題じゃねぇだろ」
何がまずいのか。きょとん、とは首をかしげる。非道、酷いことなどまだやっていない。今のところは指一本の負傷と、多少の殴打とそれだけだ。こんな程度を拷問というのなら、インペルダウンのちょっとしたご挨拶はどれ程のものになるのか。
「あぁ、おい、じーさん。アンタらにも事情があるんだっつーのは、なんとなくだがわかった。でもよ、俺たちも仲間を助けたいんだ。頼む、何か教えてくれよ。なぁ」
をどかし、老人に優しく問いかける長い鼻の子供。老人は鋭い目を一度に向け、そしてウソップには、眉をしかめた。
「貴様らに話すことなど、」
「よし、腕を折ろう」
「わー!!!待て待て!!!!」
再度再び言い切った老人にが手を打つと、ウソップが慌てた。そんな悠長な漫才をしている間にも、剣士の男はどんどん正体をなくしている。その危機感、知らねばわからぬのも道理なのだけれど、いやはや、いいのだろうか。
別にとしてはここで手遅れになってこの剣士が死ぬことになっても困らない。けれどこの、鼻の長い子どもには都合が悪いのではないかと思う。
「なんで止めるの」
「そりゃ止めるだろ!!おいじーさん!ホント、なんでもいいんだ!!じゃないとマヂで腕折られるぞ!?」
邪魔をされるのはあまりスキではない。もういっそこの子供も殴り飛ばして黙らせようかとそんな物騒な事を考えていると、こつん、と、の頭に何か当たった。
「?うん?―――いたっ」
軽い痛みに頭に手をやれば、ひょいひょいっと、次々にぶつけられる、小石。
「な、お、お前たち!!!何を…!!」
これまで冷静を保っていた老人の顔が歪んだ。路地の先に、いつのまにか子供が数人立っていて、こちらに向かい石と、殺意を向けてくる。
「い、いたっ……」
容赦なくこちらに投げ付けられる石に、が怯んだ。長い鼻の子供には向けられておらず、完全に一人を狙っている。単純な攻撃だが、角の尖った石ばかりが選ばれている。の肌が切れ、血が滲んだ。
「じぃちゃんに手を出すなよ!!!」
「じーちゃんはおれたちを守ってくれてるんだぞ!!」
口々にいいながら、とめどなく続く、妙な攻撃。は「や、あ、い、たっ」と断片的な言葉を出しながら、三歩ほど後ろに下がる。
「よ、止せ!!やめるんだ!!お前たち!!」
「なんでだよ!じーちゃんを苛めてるヤツだ!!」
「じーちゃんはいっつもおれたちを守ってくれるから、だから!今度はおれたちが!」
怯むを見て、老人が顔を蒼白にした。引きつった表情のまま子供らを止めようと叫ぶのだけれど、躍起になった子供たちにそんな言葉は届かない。次々と容赦なく投石される子供たちの悪意に、はぎりっと、奥歯を噛んだ。
とん、と、後ろに大きく跳ねてそのままデッキブラシに跨る。逃げる、のは慣れている。そのままふわりと空に浮かびあがって、その場を離れた。
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