たどりついた小屋の前。その前に立っている少女におや、と、は眉をはね上げた。
「こんな夜分に、月の光も乏しい森の中。女の子が一人で危ないよ」
それはこちらも同じなのだが、それはそれ。は堂々と言うと、扉の前に立って誰かを待っている様子だった少女はにこり、とほほ笑んだ。
「余計な世話よ」
微笑む顔の愛らしさ。うんうん、子供はこのくらいの方がいいと、常であればうえ目線でにこやかに流すくらいの余裕がにはあるのだが、いや、本来はそうであるのがであるのだったが、目の前の少女。あどけない顔をしている幼い子、にはその顔が妙に、気に入らなかった。
何が、というわけではない。言葉に腹が立った、ということでもないのだ。では、と思えばたやすい。この自分が無条件で腹の立つ相手は、この世に一種類しかいない。
世界貴族、であるのかこの子供。いや、しかし。
「純潔の、というわけじゃないよね?血が混ざりあってる。すごく、稀有なことだけれど、きみはあのバカどもと、そして海の一族、魚人の血を引いているんだね」
確認の形ですらなく、唐突なの言葉。ただの子供であれば何を言われているのかわからずに困惑の表情を浮かべるところ、しかし少女はやはり、ニコリ、とほほ笑んだ。
「道に迷ったのなら、うちでお茶でもどうぞ。夜の森は冷えるから」
「そうさせてもらうよ。魚人と世界貴族の混血児なんて、見るのは何百年ぶりか知らない」
珍しいネ、天然記念物だネ、と茶化すように言っても少女はニコニコ笑うだけだった。はおや、と眼を細め、そのまま誘われるがままに椅子に座る。確かに寒かった。寒いには好きではない。
どうぞ、とお茶を出されてそのまま口に付けると、同じものを目の前で少女が飲んでいた。であれば毒物等が混入されていることもないかとは安心して続きを飲む。
ほこほこと、体が温かくなってくると、いささか余裕も生まれてきた。
この少女からは世界貴族と魚人の両方の声が聞こえている。その混血は、この世に存在してはならない血だ。900年前からそうだった。絶対に、この二つがまじりあってはならぬと、だから、魚人は虐げられてきたのだ。
その、禁じられた血がいま目の前にある。
天竜人は正直気に入らないだったが、彼らの定めて徹底させたその法だけは評価していた。
天の竜と、海の竜はけして混じり合えぬ。
ずきりと、心臓が痛んだ。誰の痛みかなどは知らぬ。いや、知っているが、今更そんなことは、どうでもいいのだと自身に蓋をするしかないのだ。
グランドラインから遠く離れ、世界貴族がこんな場所で何をしているのかと疑問であったが、なるほど、ひとつの理由として、この少女を隠していたのだろうか。
いかに世界貴族といえど、はるか古に先祖が定めた絶対の法を犯して許されることはない。人間に天竜人がさばけずとも、同じ天竜人同士であれば殺すことも可能だし、それに何より、魚人との混血児、であればが直々に呼ばれて命を奪うことだって、ないわけでもない。
それほどに、罪深いのである。
「あなた、海の魔女でしょう。そうなのね」
さて、では己はこの少女を前にどうするのだろうかと、それをじっと考えていたに少女の声。はっとして顔をあげ、は目を細めた。
今のは確認の意味の言葉だった。
ここは北の海ではない。穏やかな気候の、東の海。あの寒々しい場所の出身者でもない限り、己をその名で呼べて当然のものはいない。そして、ただの子供が海の魔女を承知していることなど、まずあり得ない。
「自分でそう名乗ったこと、ないけど」
「そんなことはどうでもいいわ。それより、お茶、美味しかったでしょう」
言われたとたん、ガタン、との体が椅子から崩れ落ちた。いや、本当自分どうしてこう学習しないんだろうかとあきれる。毒、だ。
「なんていうか、ぼくじゃなかったら引っかからないよね。お粗末すぎるよ」
同じものを飲んでいるはずだが、なるほど自分にはきかぬ毒だったとそれだけか。は今度から気をつけようと心に近い、だがしかし、次があると思っているあたり、この状況をなめている。
「味覚のない海の魔女に無味のものなんて用意したところで徒労だもの。痛覚はあるのよね?ちょっと痛いかもしれないわ」
げ、と、は顔を引きつらせた。イリスの細腕が振り上げているのはご立派な斧ではないか。それがそのままこちらの、両足に向かって振り下ろされようとしている。さすがの己も、両足を一気に切断されれば、まず出血多量で死ねるんじゃないかと思う。いや、その前にショック死するだろう。
「ちょ、ちょっと待って。ねぇ、きみ、どうしてこのぼくを狙ってるの」
「人生いろいろあると思うわ」
そんなよくわからない回答で死ぬのは御免である。いや、別に完全な死、ではない。ただこの体が使い物にならなくなればエニエスのパンドラの体に魂が戻るだけである。そうすれば百年の眠りにでもついて、あとは目覚めればまた、誰も知らない世界になっていると、それだけ。
(そうしたら、サカズキはもういない)
死ぬ、ことに恐れはない。がただ恐れるのは、今、己が知る人たちが、自分の眠っている間に人生を終わらせてしまうことである。自分には一瞬の眠りが、世では百年もたつ。己は何も変わらぬのに、その恐怖、誰にわかるわけもないが。
サカズキは、そんなに約束してくれたのだ。自分が死ぬ時に、を殺してくれると。それは、かりそめの、「共に生きる」という、しかし尊い約束との心にはいつもキラキラきらめいて残っている。その言葉だけが、今のを支えているといっても過言ではない。
死ぬのは構わない。どうせ、みんな己よりも先に死ぬとあきらめもある。だが、苦しい、と思ってしまうのだ。だから、サカズキがしてくれた「約束」がどれほど、の心に正気を保たせていることか。
ここで己が死ねば、それによりもたらされる百年の眠りは、結局のところ世界にも、己の今後にも、なんの影響もないだろう。だが、の心には、引っかかる。そんなものは、嫌だと、そう、突っぱねさせる意思がわく。
ふるっと、は震える指をふるい、己を見下ろす少女の目を狙った。鋭く延ばされた爪が、強化された爪が眼球を傷つけると思われた必死の一撃。確かに、イリスの瞳を傷つけた。真赤な血がプシュっと、絵の具のチューブを絞ったようにあふれ出た。だが、イリスの表情は変わらぬ。
「……君、まさか」
すとん、と、斧が床に下ろされた。まだの足を切断はせぬのか、イリス、深いため息。
「あんまり、傷モノにしないでね。この体は大事なんだから」
なんでもないように言って、さっと、目をこする。細胞が強制的に復元される、あの、研究室でがよく聞いたいびつな音がした。
「……ガーゴイル…」
「それは不完全なできそこないと同じ意味でしょう。あたしはまだ、意識はあるわ。血も銀じゃない。言っておくけど、死んでもない」
かっと、は目を見開いて体に力を込めた。ずいぶん昔。まだディエス・ドレークが中佐だったころの時代である。海軍本部から盗まれた遺物を思い出した。リリスの日記。が知るよりずっと以前からこの世界に存在するという、詩篇の記された十三巻に及ぶ記録。そこに記された文字は誰にも解読できないが、文字には力が宿っていた。ずいぶんと昔、その本の力を研究し、島をひとつ跡形もなく消した学者もいた。
確かそのうちの一冊は、ボルサリーノの娘が持ち逃げしたんだっけか。先日めでたく賞金額が4千を超えたと黄猿がニコニコ笑いながらにケンカを売りに来た。まぁそれはどうでもいいが。リリスの日記に記された詩篇の力は、不死の肉体を作り出すといわれている。
その研究課程で作りだされたのが、ガーゴイル化と呼ばれる、技術。死体に「×××」という、詩という意味の単語を刻み、しかるべき処置を施せば、再び動き出すそうだ。しかし、死体を扱うことが道徳的に批判を受けその研究はとりつぶされ、そして数年前に、リリスの日記が何者かに盗まれて以来、その技術は完全に末梢されたと思っていたのだが。
こうして目の前の少女、死体、ではないらしい。ガーゴイル化した死体はどんなに傷を受けても即座に修復されるようになる。ただ、意思のないさまようアンデットじみた化け物になるだけのはずなのに、確かに今まで判じて、この少女には自我があり、しっかりとした意識もあるようだ。
ということは、の知る以上の研究がすでに行われていて、その成果、で、この少女、生きた人間の身でありながら、不死の肉体を得ている、ということか。
「ふ、ふふふ……」
の唇から笑い声が漏れた。なるほど、そういうことか。
「作りだす対価に一つ島が消えるとしても、この島なら問題はないのだね。なるほど、パンドラなんてを攫ってどうするのかと疑問だったんだけど、これなら合点がいくものだ」
「わかったところで御あいにく様。あなたはここで終るのよ」
「このぼくの体を使ったところで、意味はないと思うけど」
つまり、は、なるほど。
どこぞのバカが、不老不死になりたいとそういうことか。それで、400年前と同じことをしようとしているらしい。には妙におかしかった。なるほど、このが使っている体は時が止まっている。この体に、誰かの魂を入れることができたなら、それは、確かに不老不死になれるだろう。今の己のように。だがしかし、それは。
「できっこないね」
きっぱり言い切って、は少女を見上げる。
「この体はぼくだけを受け入れる。どの魂、どの体でもいいってわけじゃあない」
「そんなことは知っているわ。えぇ、知っているの。勘違いしないでね」
少女がの体の上にまたがって、その服を乱暴にはがした。
「っ!?」
まっ白いの体が煌々とした明りの下にさらされる。その白い肌を少女の指がゆっくりなぞる。ぞくり、と、の身が震えた。天に啼くあの竜の子孫に、この身が触れられるなど、何百年ぶりの屈辱か。ぎりっと歯を噛んだに、少女が笑いかける。
「欲しいのは蜥蜴だけ。あなたに一切用はないわ」
少女の指が、とっさに蜥蜴を移動させたの肌を正確になぞり、その下半身に容赦なくてを入れた。
「ッ!!!?」
ぐいっと、少女の詰めがの肌に食い込む。声を漏らし、の目に火花が散った。乱暴で、何のためらいもない指先は皮膚を破り、ぐいっと、皮膚、肉ごとからトカゲを引きはがそうと力が込められる。
(まずい……まずい……!!)
はい、とっても、まずいですヨ。
は呻いて、何とか逃れようと身を捩る。不老不死、え、僕は死にましぇーん★とケラケラ笑えるこの身だが、まず原点、パンドラ・の魂とこの体をつないで動かす電池の枠割をしたこのトカゲの刺青、ウンケがなければどうにもならない。
以外に単純なネタだけれど、知っているのはサカズキとドフラミンゴ、それにホーキンスくらいなものである。(ディエスは知っていたのか、は覚えていない)
だというのにこの少女、そのからくりまで知っているとは、本当に何者なのだろうか。
「暴れないでよ!取れないじゃない!」
「暴れるよね!?死んじゃうじゃないか!」
「大丈夫よ!痛くしないから!」
「大丈夫!?すでに痛いわバカヤロウ!」
ぎゃあと、ぎゃあっと言い合う。かわいらしい少女のつかみ合い、しかも下にいるは半裸である。こんなところをサカズキに見られたらどうなるかとつかみ合いながら一瞬は考えて、ヤバイ、と一層本気で暴れた。
そこにガタン、と、物音。
「お、お姉ちゃん?イリスお姉ちゃん、何しているの?」
あどけない声の先、は視線を向けて今度こそ本気で驚いた。
「……ノア……?」
◇
「つ、強ぇ……」
ざしゅっと、最後の少女を切り捨てて刀を振った男を唖然と眺め、ウソップはつぶやいた。月を背負うその男、生きひとつ乱さず少女たちを斬り伏せて、颯爽と、黒い髪を振った。
「おい、そこの緑の剣士」
「……なんだ」
「このくらいできてもらわねば困る」
心底あきれた調子で男は言い、溜息さえ吐いてきた。これは、喧嘩を売っているのだろうか。ゾロは確かに、この少女たちには歯が立たなかった。いや、剣術では勝てていた。だが相手が死なぬのだ。倒れぬのだ、だから勝てなかった。つまり、ゾロは負けたのだ。
「……」
何も言い返せぬでいると、茨で縛られていた老人が「ぉ、おぉ、ぉおぉお」と、妙な声をあげた。
「じーさん?どうした?」
この場の緊張など知らぬのか、ウソップが問うと老人、唖然と、細剣を携える男を見つめて呟く。
「救われたのですか、娘たちは、孫たちは、救われていったのですか」
「…じぃさん……」
どうやら、あの少女たちはこの老人の、いや、この町の人間で間違いないようだ。それがあんな姿に。いや、あれは本当に何だったのだろう。少なくとも、ただの人間ではなかった。それはウソップにもわかっている。救われた、という老人の言葉に感慨深いものがあるのだと眼頭が熱くなっていると、男が腕を振った。ぐっ、と、老人の首に茨が巻きつく。
「お、おい!!?」
老人の体が引きずられて、茨の縄の引き寄せられた先。男の手がしっかりと茨をにぎっていた。老人の首に棘が食い込み滴る血と同じように、むき出しの素手で茨の縄をにぎっていたらしい男の手から、赤い血が垂れた。
「……救われた、だと?」
うめく老人を足蹴にして、男は低く呟いた。
「貴様らが望んであの女どもを差し出したのだろう。己らの保身のために。一秒でも長くおのれらが生きるために」
「……仕方、なかったんじゃ。逆らえば全員が殺される。娘たちは、なら己らがとそう、行ってくれた」
非難されるのは仕方ない、と恥じ入るつもりで、悔いる顔で言う老人の言葉は本心なのだろう。しかし、それでしたことが許されるわけでもないと、知っていて、それでも、という、矛盾は承知の声。
ウソップとゾロは顔を見合わせた。先ほどからわけのわからぬ状況。しかしこの男は何かを知っているようだ。そしてその事実を持って今、何かに激昂している。
「それでせめて救いをと?救われたのかと問うて来たのか?あさましいな。ふ、ふふ、ふ、知らぬわけではあるまい。ガーゴイルと化した生き物は死ねぬ。首を飛ばされれば、動かなくはなる。ガーゴイルとなった日に、意識はあれど表面には出なくなる。だが痛覚はある。首が飛ばされ動かなくなったとしても、意識も痛覚もまだ、しっかり残っている。耳も聞こえる。このまま、体が完全に塵と化すまでは、動けず、離せず、何もできずにただ、ずっとそこに存在しているのだろう」
一気に言い、男はそのまま剣を老人に突き付けた。
「今ここで、貴様の下らぬ所為を終わらせてやるのが慈悲とは思うがな。そこの、鼻と剣」
「ひょっとしなくても俺達か!!?鼻ってなんだ鼻って!?」
鼻は鼻だ、とにべもなく言い、男、己の細剣をゾロに渡す。ウソップにはランプとコンパスを渡して、それぞれの顔を眺めた。
「このコンパスの先にがいる。おそらくこのガーゴイルを作りだした馬鹿共に囚われているだろうから助けだせ」
「って、お前もくりゃいいだろ」
その口ぶりは、自分は行かぬとそう聞こえた。だが強いんだしぜひ来てほしい、とぼそりと呟けば。しかし男は、首を振る。
「時間切れだ」
「へ?」
「を苦しませたら、貴様らを呪い殺す」
物騒な言葉を一言付け足して、くらり、と男の姿が揺れた。陽炎、のような揺らめき、炎の気配が確かにしたような気もする。瞬きをひとつした後には、ゾロとウソップの前にはだれもいなかった。
「……ゆ、幽霊?」
「なわけあるか。足あっただろーが」
そこが判断基準なのだろうか。突っ込みをひとつ入れて、ウソップは持たされたコンパスを見た。
「ど、どうする?ゾロ」
「……行くっきゃねぇだろ。ヤツには仮もある。それに、ナミをさらった犯人は、さっきのを送り込んできたのと同じじゃねぇのか?」
「……なるほど、確かに」
とりあえずはウソップは床に伏している老人を起こした。やあの男にしたたかに虐げられたが、相手は老人なのだ。
「大丈夫か?じーさん」
「……行くのなら、一度わしの家へ。礼を」
「いらねぇ。ウソップ、生きてるならさっさと行くぞ」
男が渡した剣を二三度振って確かめたゾロは容赦なく言い放って、歩き出した。
「お、おい、待てよゾロ。まだ事情だってよくわかんねぇのに……」
絶対に迷子になるだろう男の独り歩き、ついていかねばならぬだろうとウソップは歩き出し、一度老人を振り返る。
「その、じぃさん、元気出せよ。それと、あの子たちの体、ちゃんと弔ってやれば……いいんじゃねぇかな?」
あの男の言っていた言葉は気にかかる。だが、不死などあるのだろうか。死なぬ体など、あるのだろうか。死者を丁寧に弔うことが生き残った側にできることと、母の死でそう教えられたウソップ、気休めにしかならぬとはわかりつつも、うなだれる老人にそういった。老人は頷かなかった。
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