どさり、と上から何かが落ちてきてナミはびくりと身を震わせた。もうどれほどこの場所に一人きりでいるのかわからないが、不安ばかりが募っていく。とうに声はかすれれて、喉も乾いてきた。しかし水分をとれるようなものは何もなく、ただ途方もないと膝をかかえるくらいしかできなかった。
「え、な、何?」
そこへ上から降ってきたもの、上に出口があるのかと反射的に見上げれば、わずかな光も見えた。だがそれはすぐにふさがる。開閉式のものなのだろうか。
「……女の子?」
落ちてきたのは、ナミよりももっと幼い少女だった。年のころなら、12歳か、それよりもっと若いか、といった程度だろうか。暗い中では正確な色はわからないが、暖色の髪に、小さな体。
「ちょっと、アンタ……ねぇ」
あの高さから落下してぴくりとも動かぬ少女に、まさかこれも死体なのかと脅えナミは軽く叩くと、少女が小さく声を漏らした。
「ふ、ふふふ、このぼくをこんな目にあわせるなんて……絶対許さない」
「は?」
小さな少女にしては物騒な、低く血で呪うような声にナミは驚き手を引っ込める。するとナミの気配に今やっと気づいたのか、少女が顔をあげてキョトン、と眼をまくるした。
「あれ?ひょっとしてまだ生きてる人?」
「物騒なこと言わないで頂戴!まったく、アンタもここに連れてこられたの?ねぇ、私は目が覚めたらここだったんだけど……いったいここはどこ?それにこの、死体は……」
こんな幼い子供に聞いてもわからぬかもしれないが、しかし何時間ぶりかに生きている人間に会ったのだ。あれこれと疑問を一度に口にすると目を丸くして驚いていた少女は、ナミの問いをすべて聞き終わってからにこりと笑う。
「そんなことより逃げようよ」
「それができたらとっくにそうしてるわよ!!!こんな死体だらけの部屋に何時間いると思ってんのよ!!!」
「死体?あぁ、ガーゴイルだねぇ」
少女はむくりと起き上がって、部屋の片隅に山積みになっている少女たちの死体に近づいた。
「うん、頭部だけ切断されてる。一行詩だね、この粗雑さだと。全く対して魔女の素養もない人間が詩篇を扱いきれるわけないのにねぇ。最近の若いひとって本当、困ったものだよ」
ぶつぶつ言って、少女は死体の一つに触れる。ナミはぎょっとした。
「ちょっと、アンタ何を……?」
死体に触るなんて信じられない!と声を上げているナミを知らぬ顔で無視し、少女は触れた死体の鎖骨の辺りに指を当ててぶつぶつと何かを呟いていた。ナミには聞き取れない。しかし、次の瞬間、サァアっと、死体が灰になった。
「え……?」
「燃えるところは見たくないから省略したよ。火は、怖いからね」
にっこり笑って呟く少女の目、真っ青でどこまでも青い色。ナミはただ驚き、へたり、と床に座り込んだ。
「アンタも、能力者なの?」
「もってなぁに?もって」
「私のいま乗ってる船の船長が能力者なのよ。バカみたいに強くて、変な能力持ってるんだけど。アンタも悪魔の実の能力者だったの?」
この海は広い、いろんな不思議なことがあるとはいつかベルメールさんに聞いたことがあるが、しかしこう悪魔の能力者を目の当たりにすると驚くものだ。しかし少女は首を振った。
「ぼくは能力者じゃないよ」
「じゃあ今何したの?」
「今のは魔法だよ。タネも仕掛けもなくて、ほんの少しの悪意はあるけどね」
今のはってなんだ、今のはって。ほかにも何かできる、ということだろうか。ナミは少し考えるように黙った。とても小さな子供、だ。ナミよりずっと小さい。だがこうして妙な力を持っている。この状況でもさして驚いていないようだし、これはひょっとするとここから脱出できるかもしれない。
「ねぇ、アンタ。私はナミっていうんだけど、名前は?」
「いろいろあるけど、みんなはぼくをって呼ぶよ」
「そう、じゃあ。ねぇ、私についてるこの鎖、取れない?」
鉄製の重い戒めだ。ナミは一応自分の持っているハリガネやら何やらではずそうとはしたのだけれど、できなかったのだ。
は次々と死体を灰にしていた手を止めて、ナミの鎖を眺める。ジャラリと手に取って見て、眉を寄せた。
「さかしいねぇ」
「え?」
「あ、うぅん。なんでもない。赤い鎖だなぁって思って」
「そうえばそうね。赤、錆びてるのかと思ったけど。ひょっとして、これは無理?」
不安に思って眉を寄せると、が首を振った。
「へいき。ちょっとばかり出血するけどいい?」
「出血って誰が!?私!!?」
「どっちかっていうとぼく」
血が出るものなのか!?
ナミが許可を出すより先に、の手元が光ってパキリとナミの手枷が外れた。
「ありがとう…って、!!?」
外れた手錠が床に落ちると、そのままの体も崩れた。先ほどまでは真っ白い顔をしていたのに、今は首筋を押えて顔を真っ赤にさせている。その抑えた手からは赤い血があふれていた。
「ちょ、ちょっと!!?どうしたの!?」
「ふ、ふふふ、ふ。これが狙いだったんだろうってわかるけど、ミカンの似合いそうな人は見捨てられない性分でね」
「何わかんないこと言って……!!ちょっと、見せなさいよ!」
含み笑うをするを無視して、ナミはの頭を膝の上に乗せた。スカートに血が付くが、そんなことはどうでもいい。首を押えるの手をとり、血の出ている傷口を探した。
「……なに、これ」
の首の左側、首のまわりには真っ赤な宝飾のついたチョーカーをはぎ取ると、血が出ているのはそこからだとわかった。だが、傷口らしい場所は、真赤なバラの刺青のある場所だった。
暗闇でもわかる、薄く、赤く発行しているその刺青は、美しい見事なものだったが、しかし、どこか禍々しさを感じさせる。ナミは反射的に己の肩を押えた。
こんなに小さな子供が、自分の意思で刺青をするはずがない。
「……ちょっと、アンタ…何者なの?何なの、これ」
顔を紅くして汗をかく、ナミのつぶやきにそろそろと眼を開いて、にこりと笑う。そのままナミのあてたハンカチをはずして、体を起こした。
「優しくしてくれてありがとう。ぼくは平気」
「どの辺が平気なのよ!!ちょっと、まだ大人しくしてなさいよ、血だって止まってない……」
ナミの制止を払って、はゆっくり牢に近づく。首筋を押えて、歯を食いしばりながら、は左手を翳した。
「“私はお前に報復する”」
小さなつぶやきと同時に、ガッシャン、と、鉄格子が音を立てて崩れた。がっくりと膝をついてから、はナミを振り返る。
「すぐに人がやってくる。その前に、君はここから逃げるんだ」
「に、逃げるたって…アンタを残して!?」
「連中の狙いはぼくだからね。ぼくがここに残っていれば、追手もない」
はふらふらと壁に進み、そのまましゃがみ込む。首筋を押えてナミに見えぬようにしているが、ナミはキッ、と眦を上げての手を取った。やはり薔薇の刺青からは血があふれている。
「何言ってんのよ!!アンタみたいな小さな子を残して一人だけ逃げられるわけないでしょ!!!」
「見かけは子供だけどね、こう見えてぼくは君よりずっと年上だよ。だから、」
「そういうことじゃないのよ!!!バカ!」
ぐいっと、はそのままナミに腕を引かれて、抱きあげられた。小さな、ではあるが、それでも少女といえるくらいのナミが容易く運べるほどではない。
背負われて、首にハンカチを当てられ、はただ目を丸くする。
「ぼく、足手まといだよ?」
「だから何!!?文句あんの!!!?」
キッ、と背中越しににらみ飛ばされ、は黙る。それでナミは足を踏ん張り、を背負いながら牢を出ようと、体を動かした。
「あんたみたいな小さな子はね……!!苦労なんてしなくていいの!!本当は、本当は、守られていれば、いいのよ!!!辛い目になんて、遭わなくていいのよ!!」
己に言い聞かせるように、叫び、ナミ、歯を食いしばった。
FIN