森の中を走りながら、ウソップは手に持ったコンパスの針に注意した。このコンパスの示す先にがいると先ほどの男は言ったが、しかし、のいるところにナミはいるのだろうか。
「あれこれ考えてもしょうがねぇ。今はそれしか手がかりはねぇんだろ」
迷うウソップに気づいたか、ゾロがコンパスを取る。
「さっきの野郎も、今の状況もさっぱりわからねぇがな。でもルフィもいねぇ、ナミもいねぇんじゃ、どうしようもねぇ」
「そりゃそうだ…って、待てゾロ!おまえがそれを持つのはまずい気がする!!!」
まだゾロの方向音痴を知っているわけではないが、ここは動物の本能とでもいうのだろうか、ウソップが慌ててコンパスを取り返した。
確かに、先ほどから本当にわけのわからぬ状況ばかりが続く。ガーゴイルという、ほとんど不死身の少女たち、おびえる老人、このコンパスを渡してくれた男は何か知っていたようだが、思えばあの男とて何者だったのか。
解らぬことが多すぎる。そして、暗いこの森の中をただ走りながら恐怖は募るばかりなのに、それでも前に進むしかない。
ウソップはぐっと歯を食いしばった。
シロップ村のカヤや旧ウソップ海賊団のメンバーに恥じぬ行動をしよう。気負い、しかし危なくなったら逃げよう、ともきちんと心に誓う。
「おい、ウソップ、何かあるぞ」
「へ?――なんだ、あれ。炭焼き小屋、か?」
ゾロとウソップの向う先には、小さな小屋が一つあった。大きさ、井戸、煙突などがあるところから炭焼き小屋かと推測できるが。
近付いて、ゾロが剣を構えた。
「何かいる」
「さ、さっきみてぇな化け物か!!!?」
とっさにウソップは木の後ろに隠れた。
「ゾロファイトー!」
「お前なぁ……」
応援一つ、ゾロはあきれたが、しかし下手にウソップに動かれるよりは良い。警戒した体制のまま、ゾロは小屋の扉を開く。キィっと、木のこすれる音。扉を開けた先、は、無人である。
「?人の気配がしてたんだが……」
刀から手は離さぬまま、ゾロは部屋の中に進む。小さな小屋で部屋は一つきりだ。椅子も机もない。炭焼き小屋ならありそうな斧や薪などもない。コツコツと中に入りながら、ゾロは「ん?」としゃがみ込んだ。
「ゾ、ゾロ〜、どうした〜……?援軍は必要か〜…!?」
「床の下に……この小屋、入口か?」
コンコン、とゾロは床を叩く。下が空洞になっているようだ。ただの床にしか見えないが、ゾロは床板を一枚べりっと乱暴に?した。
「当たりのようだな。ウソップ、降りるぞ」
「ま、待ってくれ〜、下に降りたらいけない病が……!!」
「さっさと行くぞ」
ひょいっと、ウソップの首根っこを掴み、ゾロは床下から現れた穴の中に放り込む。「ゾロの人でなし!!」なんて罵声が聞こえたが、そんなものを気にするような男ではない。己もその後を追ってひょいっと、下に降りていった。
◆
首の血は止まらない。は少し焦った。別に血を流したところで寒くなる程度の自分だが、血の濃いにおいは好きではない。それに、体が動かなくなればナミの、この少女の足手まといになるだろう。
(あのバカともも、これは計算外だろうねぇ)
のんびり、思いはしたものの、心はずいぶん重かった。
おそらく、ナミと同じ檻に下ろすことで、がガーゴイルの始末をするだろうとあの少女、イリスは考えたのだろう。彼女の誤算は、ガーゴイル、一行詩程度の風化ならの現在の力で事足りていて、何の負担もなかったこと。しかし、ナミの枷は赤い鎖だった。海楼石とは似た種類の、炎の成分で作られているその鎖は、炎を恐れるには最悪の相性である。それを無理やりどうこうしようとすれば、当然今持っているだけの力では足りず、封じられている分の魔力も無理やり引き出さなければならない。
その結果、薔薇の封印が発動しての身に激痛が走ったと、そういうわけである。
これなら暫くは動けなくなり、イリスはただ牢にをつき落としただけでの動きを封じることができたわけだ。
誤算は、ナミと言う少女の行動。
まさかを伴って脱出を試みるとは想像しなかったのだ。だってそうだ。縁もゆかりもない、正体不明の自分。しかも奇妙な力を使っているのだから、この不可思議な状況、同じように恐怖を覚えられるのが道理。だというのにナミはそんなことは考えず、を背負って一緒に逃げようとしてくれている。
いやはや、人間も捨てたものではない、と上から目線でが思ったのは一瞬である。今はただ、このままナミと一緒にいれば、ナミまで連中の阿呆な研究に巻き込まれてしまうとそういうことだ。
この自分が手に入ったのだから、連中の目下の注目は自分になるだろう。どうやらが手に入るとは夢にも思わなかったようで、なんとか代用しようと少女たちを研究していたらしいが、ここでトカゲを宿したが手に入ったのだ。もう少女たちは不要になる。だから、ナミは何とか逃げられると踏んだのに。
「ねぇ、ナミ」
「何」
「死にたいわけじゃないよね」
「当たり前でしょう。わたしは絶対に死ねないわ。何が何でも、1億ベリーためるまでは、絶対に死ねない」
ぐっと、の体に回されたナミの腕に力がこもる。何のことかにはわかることではないが、しかし、この少女はきちんと己の「道」があるのだということは確認できた。
「一億ベリー?」
「そう。一億ベリー貯めて、私はある村を買うの」
は、海軍本部に身を置いてから金銭を必要としたことはなかったから、ここしばらく現金を手にしたことはない。だから完全に金銭感覚は狂っているが、しかし、1億ベリーといえば大金、ということくらいはわかった。
(確か、クロコダイルくんの元懸賞金額だって一億いってないよね)
一応のまわりには軽く一億超えしている七武海がいるのだが(ピンクのハデ鳥とか)の記憶にはさっぱり入っていない。むしろそのハデ鳥はの中では元極悪非道の海賊、というよりドフラミンゴ=死ねばいいよ、くらいなあっさりとした認識程度。まぁ、それはどうでもいいとして。
「その村を買うまでは、何がなんでも死ねないわ」
「このままぼくといたら、間違いなく死ぬよ」
そういう、やるべきことが決まっているのに、今こうしてリスクを背負う必要はないとは促した。
今のこの状況をあまり詳しく説明すれば、ナミが犯罪者になってしまうから説明できないにしても、自分の本気はよく込めたつもりである。
「だからアンタを見捨てろって?バカ言わないで。私は海賊じゃないのよ。そんな卑怯なこと、絶対にしない」
「でも、ナミ」
「アンタのその刺青……自分でつけたんじゃ、ないでしょう」
「え?」
ここでなんとかナミを説得しなければ、とが引かずにいると、ぼそり、とナミの小さな声。
「その刺青、意味はわからないけど、でも、アンタにも、何かあるんでしょう?」
「……この薔薇は、ぼくへの戒めだよ」
20年前に、オハラの跡地でサカズキに刻まれた薔薇を押え、の声が低くなる。この冬薔薇について、だって知っていることはほとんどない。ただ、千年以上昔に、神の庭、“冬の庭”と、“夏の庭”の二つの場所でそれぞれ咲いたとされる薔薇の一つ。は冬薔薇の刻印によってその力の全てを封じられる。そういう決まりになっていた。ただ、誰でも冬薔薇を扱えるわけではない。代々、たったひとりだけが正確に扱えた。サカズキは、本来のその人ではない。どうやらが「その人」と出会うより先に、世界政府が「その人」を捕え、その力を研究し尽くして、大将(当時はおそらく、中将ですらなかった)一人の海兵にその力を植え付けたのだろう。
本来の継承者ではないから、はまだわずかな力を使うことができる。
だが薔薇のある限り、はサカズキには逆らえない。
「この薔薇がある限り、ぼくは、ただ一人のひとのもの」
小さく呟き、遥か先のグランドラインを想う。自分が今この場所にいることをサカズキはきっと快くは思っていないのだろう。しかしセンゴク元帥の命であるから、しようがないといえば、しょうがない。とてパンドラの身になにかあり、そしてアイスバーグの命を人質に取られているのなら、センゴクのどんな企みにだって乗るしかないのだ。
ぎゅっと唇を噛み黙ると、ナミがぽんぽん、と、の背を叩いた。
「私は別に善人じゃないけど、でも、ほっとけないの」
笑顔さえ浮かべる、はっきりとした少女。きらきら、暗い中であるのに光さえみたような気がして、は目を開いた。
(ベルメール?)
随分昔、まだ海軍本部に連れて来られて間もないころ出会った海兵を思い出す。彼女、は、もう何年前前に故郷に帰って行った。グランドラインを離れれば会えなくなるから寂しかったけれど、化け物の多い世界に、荒れた海にいつまでも彼女がいるよりは、と、見送った。それからどうしているのかは聞いていないけれど、きっと彼女のことだから元気にやっているのだろう。
ふと、ナミを見ていれば、若いころの彼女を思い出す。なんと、懐かしい思いになりながら、はするすると腹のトカゲを腕まで引き上げた。青い尾のキラキラとしたトカゲである。幼い子供むけの物語に出てくる「ウンケ」の能力を持ったそのトカゲ。
連中の狙いはトカゲである。それと、の血だろう。イリスは知らなかったようだが、詩篇、あのリリスの日記の一部を所持しているのなら、正確にその能力を引き出すには魔女の血が必要になる。あのイリス自身に若干の魔女の素養があって一行詩程度なら扱えるようだが、もし、本格的に「ノア」と同じ不死の体を作ろうというのなら、それは途方もない魔力が必要不可欠。この世界に、今の時代にそれだけの魔力を持っているものは存在しない。だから、元海軍の研究者であるファー・ジャルクはパンドラを攫ったのだろう。
は、ナミが少し好きになった。彼女に似ているし、それに、この年の少女にしてはとても筋がある。何やら強いまなざしも、とても好感が持てた。しかし、ならばなおさら、このまま一緒にいるわけにはいかない。
さて、どうしようか、とそれを考えていると、ふいに、人の気配を感じた。
「ナミッ!!!」
まだ体は回復していないが(それもそうだ。サカズキ以外が、薔薇の止血をできるわけがない)それでも力を振り絞って、ナミから離れ、は進む先、角から飛び出したガーゴイルにデッキブラシを向けた。
fin