雁字搦めに鎖を巻きつけられ、血は乾いては新しく噴出される始終。人の呻きや死臭の犇く地獄のような場所。骨が砕かれ、内臓も随分やられた。それでもまだ死なぬ。死ぬほどにはせぬ、十分に鍛え上げられた肉体をどう甚振れば良いのかをよくよく承知の連中だ。血反吐は出しつくし、食事らしいものも久しくない。これでよく生きているものだと看守どもの感心した声は、どうでもよかった。
ぽつり、と目の前に現れた子供。真っ白い服を来た、暖色の髪の、子供。
いつのまにかドフラミンゴの前にしゃがみ込んでいた。見物客、ではない。自分と同じように鎖に両手両足首がしっかり繋がれている。服は白いが、その白い肌のあちこちに赤い鬱血した痕がある。ぼんやりとドフラミンゴを見上げるその目は青いのに、殴られた痕のように赤くはれ上がっていた。
それでも痛そうな顔などせずにただ、奇妙なものをみるかのようにドフラミンゴを見上げている。幼い、子供の目。
この場所に、この、海底の牢獄にこうして繋がれている以上ただの子供なわけもない。いつこの牢に入れられたのか気付けなかったが、些か血を流しすぎた。多少は隙も出来たのだろう。そう判断し目の前の子供を睨みつける。
「おい、ガキ。見世物じゃねぇんだ。ジロジロ見てんじゃねぇ」
捕えられたが、拷問を受け責め苦はあるが、それでも王者の矜持はある。無遠慮な視線に曝されて喚くほど小物ではないが、この子供の眼、些か勘に触った。それで凄みを利かせて言えば、子供、ぼんやりとした目を一度瞬きさせる。半開きになった口から言葉でも出るかと思ったが、それもない。暫くの沈黙、ドフラミンゴが何かあるかと待っていると、何を考えたか子供がコテン、と、横に倒れた。
両腕はだらりと垂らしたまま、座っていた大勢からただ半身を横に倒しただけの態勢で、しかし目は閉じている。見るな、と言ったから目を閉じたのだろうとは直ぐにわかった。
「いや、そういうことじゃねぇだろ」
何か違うんじゃないかと、突っ込みを入れてみる。だが子供、目を閉じたまま、そのまま、動かない。死んだのかと思うほど微動だにせぬ。それで気にならないというわけもない。なぜか今度はドフラミンゴがじぃっと、その子供を見詰めてしまった。拷問を受けるしかない牢獄、他にやることもない。
白い服、簡素なワンピースはこの冷酷な場所では凍えるように寒かろう薄着。白い肌は温度など知らぬというように透き通る色をしていた。色素が抜け落ちたような色、それでもその髪ばかりは嘘のように赤く燃えた色をしている。妙な生き物だ。だがこの自分と同じ檻に入れられた。何か意味はあるのかと、警戒心も浮かんでくる。
七武海に入れと誘いをかけられた。くだらねぇと一蹴にした。興味もない。そんな称号、くだらぬお飾りなどなくとも己の所業は十分だ。これより上に行くつもりもあるが、そんな地位、なくてもやっていける。ないほうが昇るのに難もあって楽しいもの、そんなお膳立てされた栄光など得る意味もない。要求を跳ね除けた。そうしたら、「脅威」だと本気の戦力をぶつけられた。まぁ、それはいい。そうだろうと思っていた。だが、いや、まさか捕えられてしまうとは思わなかった。まだまだ己も若いということかとせせら笑う余裕があったのは、性分だ。
それでも政府は己をまだ「七武海へ」と誘いをかけてくる。他にいくらでも適当な海賊はいるだろうに。諦めぬ。何か理由があるのだろうと、ぼんやり気付いていたが、それが何なのか、まだわからない。
「お前、俺が怖くないのか」
ただの子供であれば、極悪面の自分を見ただけで泣き出す。それで耐えてもこちら血まみれの半死半生、鎖に繋がれ、周囲からは囚人どもの叫び声が聞こえてくる状況。脅え覚えてしようのないはず。それなのに、何も聞こえぬ、見えぬ、ここはどこぞの公園のベンチの上だとでもいうような気安さで横たわる子供。
ドフラミンゴの言葉にゆっくり瞼を持ち上げ、ぼんやりドフラミンゴを見た。だが何も言わぬまま、再びそれが閉じられる。
政府が己を「七武海へ」と誘う、その鍵はこの子供にあるのだろうかと、疑心も沸く。海で成り上がったドフラミンゴ、頭が随分切れる。それだけででも十分上にいけると己を正当に評価しているくらいだ。慢心するわけでもないが、その上自分には野心と実力と、才がある。それで切り抜けられぬものなど、この世界には今のところなさそうだ。
ダンテライオン
日に五時間、その子供が目の前で甚振られた。ドフラミンゴを縛るものよりももっと太い鎖でもって、体を引かれ、手足を潰される。ドンキホーテ・ドフラミンゴ、そんなことで胸を痛めるような生き物ならとうに海で死んでいる。ただ目の前で繰り広げられる拷問を眺め、なぜこれを見せるのだろうかとそのことを考えた。
子供は口を聞かぬ。何も言わず、ただ、ぼうっとした青い目で全てを受け、血を吐く。足を切り落とされた時はこのまま死ぬのだろうとドフラミンゴは思ったのだけれど、切り離された腕が切断面と触れた途端、何ごともなかったようにくっついた。
この子供、並みの生き物ではないらしい。
「何をしたんだ」
さすがに一ヶ月ばかりその状況が続けば、知らず知らず子供に対しての興味もわいてくる。ドフラミンゴへの拷問はこの少女が受けている、かのように一切が止まった。お陰で随分体も癒えた。比例するように子供はやせ衰えていくが、それはドフラミンゴの知るところではない。
ずるずると拷問を終えた体を引き摺って、子供はドフラミンゴの向かいに横たわる。最初にドフラミンゴが気付いたときと同じ場所に必ず戻る。だからドフラミンゴは子供を見ないことがなかった。目を閉じればいいが、そう長く目閉じることはこの環境ではできなかった。
「……」
ぼんやり、少女はドフラミンゴが問うたびに目を開く。だが何も離さない。口が聞けないのかと思ったが、そういう顔はしていない。この子供、言葉をよく理解して、使いこなせる類の生き物だ。そういう気配がする。だから問う。何度も何度も、他愛もない言葉を吐いて、待つ。
それでも何も言わぬ子供。がくがくと、体を震えさせながらも必ず、必ずドフラミンゴの前に座り込む。何のためか、それでいつか自分が情でも沸くと政府、そんなくだらぬことを企んでいるのか。安直な。そんなことにはならない。そんなことは、ありえない。だから、この子供をさっさとどこかへやれと思う。
軽い眩暈、覚えてドフラミンゴ顔を顰めた。マリージョア。これから白い髭のおっさんとのドンパチ。まぁ、それはいいのだけれど、宛がわれた部屋はそろそろ退屈だ。いろいろ準備もあるのだけれど、それでもつまらぬと暇は出来る。そんなときに眩しい光、サングラスをしていても今の光は少々、この目にはきつかった。何だと疑問に思い、光の先を探して目を見開く。おっかなびっくり、回廊をこっそり進む、暖色の髪。ひょこひょこ進む。見間違いかと思ったほど一瞬だった。だが、見間違いなどしない。
「あの、馬鹿ッ!!」
誰に向けての罵声か知れぬ。だが先ほど、の部屋に鷹の眼が行ったとそういう報告は受けていた。だからミホークに向けてだろうか。部屋を飛び出す。止めるような声が聞こえたが、そんなものはどうでもいい。
走って。走って、走って、の部屋へ行く。マリージョアの奥に構えられた、海の魔女の監視部屋。限りなく海軍本部のあの男の執務室に似せてはいるそうだ。それを聞いて吐き気がしたのを覚えている。そんなものを使わなければ、を留めることすらできぬ。
「っ!鷹の目」
「ドフラミンゴか」
角を曲がって直線に進めば、というところで、遭遇した剣士。相変わらず黒刀を背に負う男。きっちりとした足取りを止めて、悠然とドフラミンゴを見上げる。
「あいつは、」
「発った」
「何処にだ!本部か!?シャボンディか!?それともw7か!?」
思いつく限りを言ったが、どうか最後の選択肢以外であってくれるなと思う、、、モリアーに泣かされて随分参っていた。その後の七武海の召集された円卓では気丈に振舞っていたけれど(ドSだったし)それでも、この、これから起こる戦争、どうしても、泣く。ドフラミンゴはこの戦争を止める気など毛頭ない。は泣くが、どうしようもないものだと、ドフラミンゴは嬉々とした心持があった。酷い、酷いことになるだろう。時代がうねる、いろんなことが一度に起きる。どうなるか、見物だと心底思っている。だが、が悲しむのは、いただけないとは、思っていた。
この戦い、世界を巻き込んだ大規模なもの。かつておこなわれた一切に勝るものになるだろうとドフラミンゴは想定している。あの男、ドフラミンゴがこの世で一番気に入らない、海軍本部のあの大将殿もどうにかなってくれるだろう。それはいい、いや、本当ナイス、とさえ思う。だが、が悲しむ。
矛盾した思考。ドフラミンゴはこの戦いを手を叩いて招き入れたい。だがその反面、の声が枯れるのが、嫌だった。夜が、夜がやってくる。の声が果てしなく遠くなる。誰も彼もが消えてゆく夜がやってくる。怖ろしいなどと感じる心、元来持ち合わせてなどいないのだけれど、それでも、確かに表現できる近しい言葉として、ドフラミンゴは夜が来るのを恐れていた。
そしてこの戦い、がその立ち位置を誤まれば、何処までも何所までもお誂え向きに、深い“夜”が呼び戻される。
「聞いてどうする」
「連れ戻す」
「懲りぬ男よ、お前には出来ぬと自覚しているだろに」
「それでも、だ!決まってんだろ!」
即答せぬミホークに苛立ち、胸倉を掴んだ。振り払える程度の力だったが、世界一の大剣豪、されたままにしている。怒鳴るドフラミンゴを見上げ、呪いの言葉でも吐くような思い声で告げる。
「インペルダウンだ」
牢獄、海底の牢。仄暗い水の底に沈む、島の記憶の深い場所。がまだサカズキと約束を交わす前に、当たり前のように閉じ込められていた空間。好きではない場所だと珍しく言っていた。海底の牢獄、インペルダウン。そこに、向かった。が、行った。
今、そこに行くなどと。なんて、なぜ、そんなことを。本部やシャボンディならわかる。本部には赤犬が、シャボンディでは今騒動が起きているそうだ。その二つに行って欲しくはないが、それでも、インペルダウンよりはマシだった。
インペルダウンは、今この戦争の引き金になった男がいる。エースが、炎の悪魔を身に宿した生き物がいる。炎の悪魔は、魔術師と随分縁が深いと聞いたことがある。
(余計なことを、するのか。しても、どうにもならないと、知れてるだろうに)
追いかける、と踵を返したその肩に、ミホークが剣を突きつけた。
「無駄だ」
「黙れ。俺はテメェと違う。諦めねぇぞ、絶対に」
まだこの島、いや、建物からも出ていないはずだ。出ればすぐに知れる。騒動になる。先ほど見た赤い頭を思い出し、直ぐに追いかけようと決意した。ミホークが止めるのならここでドンパチしてやってもいい。白髭戦の前の良い肩慣らしだとさえ思う。
「鷹の目……てめぇ、まさか」
そこではたり、と、ドフラミンゴは違和感を覚えた。普段どおりのたたずまいの、鷹の目。何も変わらないように見える。だが、違和感。何か足りぬ。何かが、欠けた。何のことか瞬時にはわからなかったが、しかしドフラミンゴ、少し考え、可能性に気付いた。
「てめぇ……!!!」
足りぬ、欠けた。この男から、常にしていたあの剣の気配が消えた。七武海の称号を使ってまで手に入れた珍しい剣だと耳に挟んでいた。どんなものかと一度興味があり見せてもらったが、ただの宝飾の付いた剣だった。だが、どこか呪われた気配があったのを覚えている。その剣が今、ミホークから欠けた。このタイミングで剣がない、どうしたのかなど容易いことだ。
「に、アイツに、剣を、武器を渡しやがったのか!!!!」
「あぁ」
淡々と答えるミホーク。ドフラミンゴの怒気などものともしない。だが本気で、ドフラミンゴはこのままこの男を殺してやりたいほどの憎悪が芽生えていた。、あの、無力で弱々しい、すぐに泣く子供に、この男は武器を与えた。護身用でも、これまでが剣を手に持って当然としたことはない。時々練習などで木刀、逃げる時に相手の刀を奪って逃走、はあった。だが、携えたことはない。それは、そんなことはあってはならなかったからだ。
武器を持てはそれだけで戦場に立つ道理となる。がインペルダウンに向かったのなら、確実にジンベエと会うだろう。あの昔気質の妙な魚人、ドフラミンゴはどうも思わなかったが、魚人という点、恰幅の良いところがのかつての「太陽」となった造船技師と重なるところがあるようで、よく懐いていた。
「なんで、そんなことをした!」
ジンベエに会ってどうこうすることも、ないかもしれない。だが、武器を持ってしまった。ただの悪意を携えた海の魔女ではない。人を刺せる道具を持った、人間になった。なって、しまう。
「必要だからだ」
つかみかかって、今にも殴りだしそうなドフラミンゴをミホーク、どこまでも鋭い鷹の目で見つめる。全てを知っているかのような眼。気に入らない。何もかも、明日のそのまた先の言葉も何でも知ってしまったかのような目、この男はに甘い。砂糖を蜂蜜につけたくらいに甘い。だが、諦めているのだ。何もかも。自分には何も、に響かせることができないと、そう、諦めている。だからただ甘やかすだけ。の望みをかなえて、気に入られるだけだ。何もしない。何も、しようとしない。
ドフラミンゴは、そんな生き物になるつもりはなかった。嫌いだと、死ねと何だのと言われようが何だろうが、諦めない。そんなことをするつもりはない。
「剣を持った、武器を持った、自分を、他人を傷つける道理を持っちまったんだ!あいつは、死ぬぞ!!!」
叫び、それでもミホークの眼は変わらない。それすらしようのないことと、諦めている隠者の眼(まなこ)堂々としたもの。王者の貫禄すらあった。がりっと、脣を噛み千切るほどに噛み締めて、ドフラミンゴは一発、かなりの本気でミホークを殴った。避けられただろうに、受ける。ガヅンと重い音。骨すら砕くつもりだったが、さすがにそうはならなかった。
突き飛ばされ、両足を踏ん張って倒れぬ、剣豪。口元を拭い、帽子のに隠れた眼を強くドフラミンゴに向ける。
「愛しているのだ」
そしてするり、と背の黒刀を抜き取った。
「そうだ。愛している。これから夜が、夜がやってくる。の声が限りなく遠くなる、あの冷たい夜がやってくる。それでも世界は止まらぬだろう。ならばせめてその前に、悔いのないようにさせてやりたいだけだ」
世界一の剣、その名前はなんだったか。今思い出せば、何か新たな事実を見出せるような気がした。だがドフラミンゴはそれを掘り起こす前に、そんなことよりも、怒気が勝った。
本気でやりあおうとお互い構えかけ、その前に、ミホークがすっと、剣を納めた。
「おい、」
「ここで貴様と争うつもりはない」
「逃げるのか」
「が俺に望んだ。七武海として、ここにいろと。どうするかは求められなかった。ただ、開戦するのなら、それまでは七武海として欠けることなくここにいてくれと、そう、望まれたのだ」
鋭い眼が若干、変化する。少年のような、きらきらとした気配がほんの一瞬だけ確かにした。ドフラミンゴは唖然と眼を見張り、そして踵を返す。走り出すその背を、今度は何も阻まなかった。
Fin
こ、このサイトは赤犬メインですよ!!?何このドフラミンゴのナイトっぷり!!?