「お前ぇは俺のモンになれるんだろうなぁ。悪意の魔女よ」
「久しく呼ばれていない名前だね。海の魔女、の方がまだマシかな。何の用だい、ゲッコー・モリアー」
顔を上げて些か警戒するように眦を上げる。その男、王下七武海の一角ゲッコー・モリアー。両腕にはその悪魔の能力を封じる枷がされてはいるけれど、それでも、魔法を抜きにしたとどちらが強いかと、それは考えるまでもないこと。センゴク曰くの海の屑、海賊は好ましいと目を細めて手を叩く存在だが、己の身の自覚もある。何もされぬ、と無条件の信頼など置かぬ。
「キシシシシ、何もしやしねぇよ」
独特の笑い声を響かせて、大きな図体どっかりとの向かいに腰掛ける。マリージョアの、世界政府お膝元。うららかな春の日差しを受けて煌く中庭はが好んで過ごす場所。マリージョアにはと細胞レベルから反りの合わぬ世界貴族が犇く、いっそこんな島鎮めてやろうかと何度も思いながらも実行に移さないのは、サカズキへの思いと、それにこの場所の好ましさだった。この中庭の木、それほど大きくはないが、それでもには十分大きいと感じられる大きさの、樹木。懐かしいにおいのする樹、広い世界を探し回ってもそうそうあるものではない、神木の類である。
「聞いたよ、モンキー・D・ルフィにズタズタのボコボコにやられたんだって、ね」
「キシシシシ、耳の早いことだ」
スリラーバーグ、悪夢の船が墜ちたという噂はまだ流れていない。が、知っている。
「この忙しい時に、よくもまぁ負けやがったなこんチクショー、とか思わなくもないよ。知ってる?火拳が死ぬんだってね」
「あぁ、そりゃ聞いたな」
忙しい時、という言葉で済ませられるような騒動でもないが、からすればそうらしい。そういえば麦わら小僧に倒される前にくまがそんなことを言っていたとモリアーは思い出す。
火拳、火拳、ポートガス・D・エースとかいう、海賊。白髭の船の、優秀で有名な海賊が、先日黒髭という男に捕えられたと、そういう話を聞いていた。その黒髭の能力をモリアーはこのマリージョアで聞いた。闇を使う能力と、そういうらしい。炎と闇、太陽は闇に負けたと、そういう結果か。光は闇のない場所では役にも立たぬというが、それでは海軍大将の一人、光の悪魔は闇の海賊と戦えばどうなるのだろうかと、そういうことを考えた。
「処刑の時にはぼくも行くよ」
まぁ、七武海に入った以上海軍大将と戦う機会はあるまいと区切りをつけていると、いつの間にか少しモリアーに近付いていたが、その蒼い目を向けて見上げながら言った。
「戦うのか?」
少し、面白そうにモリアーは目を細めた。もともとあるのかないのかわからないほど小さい目、それでも歪められればそれなりに、大事に見えた。はきょとん、と目を丸くして、そして、口元を吊り上げる。
「センゴク君は、戦って欲しいみたい。ふふふ、行く、と答えたときに物凄く微妙そうな顔をしたよ」
「お前ぇのことだ、白髭の側に付く可能性だってあるんだろうなァ」
恐らく、戦争が起こるだろうということは知れるもの。戦争、戦争、大きな戦いを、この魔女は好まない。先日クロコダイルが落ちた現場にもいたそうだが、その時クロコダイルの「敵」に回ったと聞いた。はっきりと、が何かに「敵」対したことはその時居合わせた七武海の面々を多少なりとも動揺させたものだ。、国の滅亡やら、クーデターには何か、思うところがあるらしい。元々クロコダイルには懐いていたが、それでも敵に回ったほど、報告を聞いていたミホークの目が僅かに揺れたのを、モリアーは目敏く気付いた。
さて、それではこの戦いはどうなるのだろうかと、それを検討つける材料にもできる。今でこそこの少女、は世界政府に本体を拘束され、影法師である自身は海軍本部の大将にしっかり囚われている。だがしかし、一時はミホークがあからさまに嫉妬するほどに「気に入って」いたクロコダイルをあっさりと見捨てた事実のある生き物。たとえば赤髪やカイドウが白髭に味方するように動けば、どうなるか。
センゴクも、その可能性を危惧している。だからを実際にその場所に置くかどうかを、迷っているのだろう。協力しさえすればこれ以上内戦力になる。白髭と直接対決することはないだろうが、それ以外の「敵」と判断した者に容赦のない生き物だ。
「で、どうなんだ?」
「まだはっきりとは決めてないけど、決めたこともあるよ」
「裏切るのか?」
どっちを、とはは聞き返さなかった。モリアーがのんびりと欠伸をすると、面白そうに笑った。
「どうするかの基準はたった一つだけだよ」
「何だ?」
決めていること、それが彼女の全てになるのだろう。クロコダイルのときは何だったのだろうかと浮かんだが、今聞いて答えは返ってこないだろう。は大きな樹に背を凭れさせ、気持ち良さそうに風を肌に受けてから、ゆっくりと口を開く。
「サカズキが「戦え」って言ったら、誰も彼もを皆殺しにしたっていいよ」
その時を想像して嬉しそうに笑う、魔女の目。人が禍事を繰り返すのを黙って見ている、それが魔女の悪意というもの。何か恐ろしいことを考えていると、モリアーでさえ一瞬ぞっと寒気がした。うららかな、春の日差し。
「……まぁ、言わねぇだろうなぁ」
「言わないだろうね。だから、言ってくれればいいのにって、センゴク君には言ったよ。たぶん今頃説得されてるんじゃないかな」
うふふふふ、と、含み笑いを溢す。普段赤犬に脅え覚えてどうしようもないが、時々、彼女の一面はあの男以上の恐ろしさがあったりも、する。モリアーはそこには恐れず、寧ろ呆れて溜息を吐いた。
「知らねぇぞ、赤犬にまた蹴られるんじゃねぇのか?」
元帥に頼まれようと命令されようと、あの男は、海軍本部の大将赤犬は、きっと、おそらく、いや、絶対に、今回の事件にを関わらせようとはしないだろう。
「バカなサカズキ。炎の悪魔が孵化するかもしれないなら、ぼくが行くのは道理なのにねぇ。『行くのは構わんが、安全な場所から離れるな』って、安全な場所ってどこよ?」
傍観するだけ、ただ過ぎるのを見ているだけでいればいいと、そういう男。いろんなものから守ってくれているのだろうということは、さすがに最近気付いている。だからと言って、何がかわるわけでもないが。
「大将の傍か?」
「先頭きって戦うんでしょう?あんな人間ギリギリ悪魔一歩手前の連中の戦い、巻き込まれて死ねるね。モリアー君はどうするの?」
ころり、とかわる話題。いや、完全に離れてはいないが。向けられてモリアーは手を軽く上げる。重く冷たい手錠の鎖。
「さぁ、どうなるかな。あぁ、そうだ。俺はお前の影を奪いに来たんだ」
「奪えるだろうね、超人系ならぼくに害も及ぼせるし」
些か和んだからか、は警戒を強めなかった。それでも片手にはデッキブラシがあるあたり、マリージョアで魔法の類が使えぬ、という「公言」は嘘かとモリアーは気付く。
「最初に言っただろ?お前ぇは俺のモンになれる、ってな」
「身体は政府、魂はサカズキのもの。他に何か切り離して配れるもの、あったっけ?」
「影が残ってるだろう、と言いてぇが。それを確かめに来たんだ」
ぴくり、と、初めての瞳に本心からの警戒が浮かんだ。一歩、モリアーと距離を取る。座ったままのモリアー、たって構えた、それでもモリアーの方に分がある。しかしここは海軍本部・世界政府のお膝元。世界の敵たるパンドラの影法師に手を出して命がある道理はない。
「こりゃあ俺サマの仮説だがな。まぁ、聞けよ悪意の魔女よ。俺はカゲカゲの実を食った影の支配者だ。生きてる人間の影を抜き取り手ごろな死体に詰めて手駒としてる」
まぁ、大抵が強化したゾンビだが、と付け足してキシシと独特の笑い。似たような、骨が軋む音が少しした気がした。
「お前の本体、エニエスで見たことがある。冗談みてぇに上等の女だ。あんな女はこの世に存在できねぇだろうよ、あの外見だけで十分世界を破壊できる、そういう生き物を、俺様は観た。お前の本体、パンドラを見た」
「七武海なら誰でも一度は見れるもの。それが、なぁに」
「特に厳重な警備がされてるってわけもねぇ。CP9は控えてやがったが、仮に、もし、パンドラが、お前が目覚めた時には容易く逃げられるだろう警備だ。お前の意志がどこにあろうと、信用する海軍でも政府でもあるめぇのに、お前の身体は容易い場所にあっさりあった」
先の麦わら海賊団のエニエスロビー壊滅の一件でそのパンドラの身体は別の場所に移されているが、それでも400年近く同じ場所、エニエスに置かれていた。その、理由。
エニエスは不夜城、夜のない場所。
「お前はパンドラの影だろう?悪意の魔女」
パキン、と、手錠を外す。とうに外れている。それでもつけたままにしたのは、この子供を油断させるため。騙し、からかいはモリアーの得意とするところ。が気付いて身を引くより、モリアーの影の手がの小さな身体を掴んだ。
「ッ!!!離せッ!!!!」
「だとすればパンドラが目覚めねぇのも理由が分かる。その身体、お前が入ってるのは死体だな?随分弱い死体を選んだもんだ」
低い笑い声、その間にシュルシュルとの身にまきつく影。カゲカゲの実は図鑑に載っていた。それは以前、モリアーが喰う前に存在が確認されていたという事実。それが100年前であろうと、400年前であろうと構わないが、とにかく、400年前にも確かにカゲカゲの実の能力者がいて、そしてを作り出したのだろう。
その推測、間違いでなければ影の支配者であるモリアーに「」は従うことになる。モリアーはもう一つ考えていた、「」と、そして「」の影を「パンドラ」に入れ、二対の配下を作り上げる。死なぬ部下、そして強力な配下。
「この仕掛け、政府にバレていいのか?」
抵抗して身をよじるを見下ろしてモリアーは低く笑う。
「……どうして?」
「まだとぼけるのかよ。けなげ、だねぇ。キシシ、考えても見ろ、お前はパンドラだから守られている。何もかもからな。それが、影でした、ってオチ。どうなると思う?」
尊いのはあくまで「パンドラ」「王国の魔術師」であり、「」「海の魔女」ではない。海軍本部は容赦なくを戦力とするだろう。そしてがその全ての基準にしている大将赤犬は、がパンドラでなければ、どういう態度になるのか。
可能性を提示してやると、の顔から表情が消えた。脣が噛み締められ、何かをやり過ごそうとぎゅっと目を伏せる。その姿をモリアーは笑いながら見ていた。もう少し影の縛りを強くすれば、この生き物は自分の配下になる。それまでは悪夢、絶望を味あわせてやろうという心積もりでいると、ばちり、と、モリアーの腕が乱暴に地面に叩きつけられた。
「ア?」
「フフフフッフフ、人の女に手ェ出すんじゃねぇよ、コウモリ野郎」
額に青筋浮かべたチンピラ、ではなくて、ドンキホーテ・ドフラミンゴ。七武海の一人である。どういう能力かモリアーは知らないが、それでも面倒な男が来た、とは思った。
「そのガキはパンドラじゃねぇんだぜ?守る必要があるとは思えねぇがな」
「俺がいつあの女を守ると言ったよ。この俺を、そこらのバカどもと一緒にするんじゃねぇぞ、このコウモリ野郎が」
はっきり、きっぱり言い放つド派手な風貌の男。影からを奪い、その腕に収める。ここで争ってどうなるか、知らぬモリアーでもドフラミンゴでもない。しかし、悠々と七武海であり続け海賊、海兵、政府を渡り歩き見事な社交・ビジネスのドフラミンゴ、それでもここでモリアーがの首でも絞めればそれらを一切投げ捨てて応戦してくるのだろう。
「……キシシシ、まぁ、化けの皮を剥すのは今回の一件が終わった後でも十分だ」
呟いて、モリアーはゆっくり立ち上がる。それで、しまいだ。
■
抱き上げていた小さな身体を、気に入り言う白いベンチに座らせ、外傷がないかを確かめていると、俯いたの小さな、声。
「助けて、なんて言った覚えはないよ」
にべもない。いつもどおり。しかし、覇気がない。
「フッフフフフ、そんな顔で言っても傷つかねぇぞ?」
ドフラミンゴはの前にどっかりと座り込んだ。今にも泣き出しそうな、小さな子供。大きな蒼い目には大粒の涙が浮かんでいて、あと少しでも動かしたら零れ落ちるだろう。
「お前を泣かせるのも悪くねぇがな。ベッドの中意外で泣くんじゃねぇよ、それともここで押し倒されてぇか?」
「ぼくは、ぼくだよ」
軽口、少しでも気を取り直せというつもりで言えば、がぽつり、と、本当に小さく、消え入りそうな声で呟く。
「でも、わからない。覚えて、ない。ぼくが、ぼくだったの?ぼくは、パンドラと同じこと、できない。でも、それはこの身体だからで、でも、わからない。ぼく、どうやってパンドラの身体にいたんだっけ……」
ぐるぐる、迷い子。ぽろぽろと、目から涙がこぼれた。泣き顔、心底、見たくないと嫌悪するもの。ドフラミンゴはいつも口元に浮かんでいる嫌味ったらしい笑みを消して真顔になり、じっと、の顔を覗きこんだ。
「俺は別にどうでもいいんだがな」
「ぼくは、気にする」
「赤犬が変わるから、か?」
こくん、と、小さく頷く。面倒くさいとドフラミンゴは思う。はだ。その設定やらなにやらがあの王国の生き残りだとか、影法師だとか、魔女だとか、そんなことは、ドフラミンゴからすればどうでもいい。Dの意志は確かに思うところもあるが、しかし、DがなかったらDの意思は継げないのかと、そういうことでもないだろう。(いや、ちょっと話が違うか)
「心配するなって」
出会いやら何やらは確かにがパンドラ=という王国の魔術師であったからできたものだが、ドフラミンゴはそもそも、=パンドラと見たことがない。今更≠パンドラだと聞いたところで、どうだというのか。
しかし赤犬は、あのドS大将は違うらしい。バカらしいと思う。が恐れているから、こうして一蹴にすることもですワシワシと頭を撫でながら、慰める。この自分が、冗談のようだ。
「大体考えても見ろよ?お前、これまで塩の入った料理を一切とってねぇのか?」
「……ううん、塩キャラメル、すきだよ」
ふるふる、と首を降って、やっと顔を上げる。そっか、と、そういう、はっとした顔。幼い顔。思わず笑ってしまった。
「だろう?なんだったら今からパンドラに会いにいくか?影があるか、確かめりゃ早いじゃねぇか」
「今からって、ドフラミンゴ、召集受けてるんじゃないの?」
「顔は出してきた。後はハンコックやら残りの連中がどう出るか決まるまで待機だろうさ」
言ってひょいっと、その小さな身体を抱き上げる。肩車でもしてやれば喜ぶだろうが、顔が見れなくなる。両腕に抱えた少女の身体。これが死体だろうが何だろうが、それこそどうでもいい。明日が全く違う体に入っていても、いい。男の死体に入っていても、多分自分はなんとも思わないだろうとドフラミンゴは思った。
「フッフッフフフフ、まぁ、もしお前が影でパンドラじゃなかったら、」
「なかったら?」
些か自信・自身を取り戻したらしい、ドフラミンゴの軽口に付き合い首を傾げる。その頬に触れながら、ドフラミンゴは笑う。
「俺の嫁にしてやるよ。水の都で花屋でもやって、暮らせるようにしてやる」
「お花屋さんか、いいなぁ。それ」
「だろう?鷹の目を用心棒だかバイトだかで雇ってやってもいいぜ?暇なんだろうしな」
「ふふふ、それ、面白そう。ドフラミンゴが店長するの?」
「店はお前のだ。俺が海でくたばっても安泰だぜ?」
笑って、頭を撫でる。自分は死ぬ気もないし、も影ではないだろうから、そんなことにはならないだろうが。しかし、もし、赤犬とが出遭うのが遅かったら、ドフラミンゴがを捕えられていたら、きっと、そうしただろうと言いながら思った。
ぎゅっと、がドフラミンゴに抱きついて、その顔を胸に埋めた。
「そうしたら、そうしたら、サカズキは、薔薇を買いに来てくれるかなぁ」
「フッフフフフ、さすがに今のは傷ついたぞ」
笑い声、も笑った。それで、しまいだ。
さぁて、実際どうなるのか。パンドラに影はあるのか、モリアーは白髭戦に出るのか、そもそも、はどうするのか、色々謎は残したまま、とりあえず、ドフラミンゴに抱っこされ髪と足、腕をゆらゆら揺らしながらマリージョアを進んでいく。
Fin
まさかのドフラミンゴナイト。ドフラミンゴはDの人なんですか?
なんでこんなにヒロインが好きなんだろうかこの男。