欲しい、と言えばあっさり渡された書類。どうすることもないと、それは信用されているのか、それとも捕えているという傲慢さゆえのものか、は一瞬判断に迷い、しかし、答えがどうであれ今の状況、己の行動に変化などないと割り切る。白い紙。文字の羅列。上記に押されたインペルダウンの印。ここ最近捉えられた囚人のリスト、だ。正確なものか、その信憑性はわからない。
(赤旗の名前は、ここにはない、か)
マリージョアの一室。七武海はまだ二人揃わぬが、それでも「戦闘態勢」を取るように、との沙汰。危ないからと、そういう優しさだか、牽制だかでは一人部屋に閉じ込められた。外側にはしっかり海兵らの見張りに、部屋の作りは海の石、と、まぁ、よく手の込んだこと。しかしながら、サカズキあたりの指示、にしては優しい。サカズキなら、あのおっかなくて容赦のない生き物なら、まずの四肢を切って落としておいて首に槍を刺しぬけぬようにしてから、鎖と冬の茨で壁にでも繋いでおく。それで「優しい」程度だ。今の状況など、には「壁」ほどの意味もない。
サカズキが今どこにいるのか、は知らなかった。シャボンディから海軍本部に帰ってきて、会おうと思ったのに会えなかった。ガープには会えた、クザンやボルサリーノはいなかったが、いずれ来るのだろうとは聞いていた。サカズキには、まだ会っていない。会いたい、とは思う。これから、何か起きる。嫌なことが起きる。は怖ろしくて堪らない。今すぐに逃げ出して、どこかに閉じ込めておいて欲しかった。サカズキになら、構わない。鎖で繋いで逃げぬようにして、それで、全部終わったら、「こうだった」と、まるで遠い物語りを聞くように、起こった事実を話して欲しい。関わりたくない。嫌、だ。何か、嫌なことが起きる。
「これで全部?」
今にも恐れでどうにかなってしまいそうな自身の心に蓋をして、はリストを持ってきた海兵を見上げる。名前は知らない。けれどこうして自分と口を聞くことができるのだから、准将以上なのだろう。准将、准将、准将はいい。は准将が好きだ。彼女、あの、きらきら眩しい女性も最後は准将だったから好きだ。まぁ、それはどうでもいいのだけれど、その、准将以上だろう海兵、っは、と、短く言って背筋を伸ばした。
「確かに以上がこの二週間インペルダウンに連行された囚人達の全リストであります」
嘘をつけ、とは胸中で詰った。完璧なリスト。先日シャボンディにてボルサリーノが腹いせに捕えた大量の海賊・犯罪者たちの名前までしっかり入っている。インペルダウンの正式な書類、と、そういう形をしてはいる。だが、しかし、の知る海賊の名前が一つも入っていなかった。そんなはずがないだろうと、、些か不快に思う。
確かに、つい先日まで、自分は麦わら海賊団と行動をともにし、一時本部に戻ったものの、また直ぐにドレーク海賊団の船に乗った。それは、隠すことでもないので素直にセンゴクに報告しているし(そんな義務はなかったにしても)戻ってきた時、なぜ戻ってきたのか、を包み隠さず話した。
それは他意のないことを証明するためであり、結局は自分は赤犬が全てなのだと、それを理解させるため。その為に態々自分にはしてはまともな会話をしたと思っていたのだが、しっかり信用されなかったらしい。
(別に、リストに赤旗の名前が入っていたって、どうすることもないのに)
不快、不愉快、嫌になる。確かに自分、あの男、あの可愛らしくて仕方のない男を気に入ってはいる。でもそれは、けして「特別」にはならぬ気に入り程度のものだ。何かあったとして、どうこうするほどのものではない。それがセンゴクには分からぬ、伝わらなかったのだ。あれだけ自分が「説明」したにも関わらず。
このリスト、先ほど頂いた囚人リスト。ここまで完璧にの「知人」が抜けていれば、馬鹿でも嘘のものと知れる。仮にも海軍本部大将と、平和主義者の組み合わせ、いくら新星ルーキーたちといえど、全員が無事出航しました、なんて妄信、にはない。
(ぼくが何かするって、なんで、そんなこと)
赤旗、でなくてもいい、誰か、シャボンディにいた海賊でが「気に入っていた」あるいは「接触」した誰かがリストに入っていれば、何かしでかすのではないかと、そういう危惧。なるほど現在、海軍本部に世界政府、とってもまずい状況だ。白髭との決戦、ここで、よりにもよって海の魔女にまで引っ掻き回されたくはないと、その、危ぶむ気持ちは、まぁ、分かる。
「手間をかけてしまったね、こんなものを見たいだなんて、だめだったんでしょう?」
まぁ、が「囚人のリストが見たい」なんて駄々をこねたのがまずかったのだろう、とは思う。何に使う、何が知りたい、と、勘ぐられてもおかしくないこと。それがわかっていたけれど、それでも、知りたかったのだから、しょうがない。
はすまなさそうに眉を寄せて笑うと、海兵が恐縮した。
「い、いえ!センゴク元帥から貴女の望みは出来るだけかなえるように、と命じられてますので!!」
「そう、ありがとう。とても助かったよセンゴクくんにもお礼を言っておいてね」
「承知いたしました」
びしっ、びしっと、きっちりとした動き。准将、だろうか。これがいずれは少将になって、中将になるのだろうか。ぼんやりそんなことを考えながら、はソファに寝転がる。海軍本部の、赤犬の執務室にある真っ赤なソファとよく似ている。きっとセンゴクが用意させたのだろう、とは思う。けれど寝心地は悪い。ごろん、ごろん、と寝返りを打って、リストを一枚手に取った。
赤旗がどうなったのか、それが知りたかったばかりじゃない。これから暫く、何か起きるとすればインペルダウンだろうと、そういう予感。こういうことは歴史の中で何度かある。大きな波、うねり、その、源は些細なもので、それが今回のティーチが人を殺した、という事実なら、その波紋、広がって、並になる前に、どんな岩場にぶつかるのか。止められるようなもの、ではないことなど承知だ。どうしようもない、事態。そういうことは何度もあった。何度も、何度も、止めようと、何とか、守ろうとして、結局ダメだったのだ。今度も、そうだろうと、知っている。
昔、昔、まだ、かつて自分の目が赤かった頃、自分などよりもよほど優れた師匠やの“我が君”がどれほど手を尽くしたとて、うねりは止められなかったのだ。自分程度に、何ができるというのか。
ぎゅっと、は脣を噛み締める。
シャボンディに集まっていた次世代の海賊たち。彼らならば、この事態をどうにか、できるのだろうか。いや、違う、彼らは、このうねりの舞台の登場人物だ。彼らが何かしでかすことが、うねりの中心となる。その、彼らの動向をは知っておきたかったのだ。何か、できる、かもしれないなんて、そんな、夢。赤旗がどうなったか、それは、正直どうでもいい。死ぬ時は死ぬだろうし、生きるときは生きるだろう。(その時、彼の傍らにしっかり、白い花が咲き誇っているか、それが問題ではあるが)
「海の魔女殿!」
思考に沈んでいたを、先ほどの海兵が呼ぶ。はて、と、顔を上げて、僅かに目を開く。
困ったような海兵の顔。その隣に立つ、長身の男。巨大な黒刀を背負った、鷹のように鋭い目。
「ミホーク?」
「こ、困ります!鷹の目殿!ここは、この部屋は、七武海といえど、部外者の立ち入りを禁じて……」
「俺は話をしにきただけだ。暇だろう?」
きょとん、とはソファから顔を出して、首をかしげる。事態に困窮するものの、ミホークに睨まれてどうすることもできぬ海兵。助け舟、を出す意味ではないが、はにへら、と、ミホークに笑った。
「ありがとう、ミホーク。退屈してたんだ。お茶でもどう?」
「魔女殿……!」
「へいきだよ、ミホークはぼくに酷いことしないし、一番やさしい」
「しかし、相手は海賊です!!」
焦ったようにを呼ぶ海兵を一瞥し、はトン、と、ソファから降りる。壁際の棚に備え付けてあるティーセットと水差しをおぼんに乗せてくるり、と振り返れば、ミホークが当然のように赤いソファに腰掛けていた。海兵、ますます焦って、あたふたとしているのが面白い。
このままからかってもいいのだけれど、ミホークと少し話しもしたい、うーん、と、考えるようにうなって、小首をかしげる。
「出て行って欲しいんだけど、海兵さん」
「な、何をおっしゃられるのですか!いけません、なりません、絶対にダメですよ!貴女を海賊と二人っきりにするな、」
パチン、と、の指がなる。海兵の動きがぴたりと止まった。
「ハンコックの技か?」
「まさか。あれは彼女だけのもの。時間を止めただけだよ」
興味なさそうに一瞥したミホークの問いにあっさり答えて、はミホークの隣に腰掛ける。テーブルの上に置いたポットに水を注ぎ、ふらり、と、指を振った。こほこほと湯気が立ち上る。
「珍しいな」
「光栄だと思ってね、ぼくがお茶を入れるのはアイスバーグくんの他に二人しかいないんだから」
「茶もそうだが、こうして力を振るうことが、だ。まるで準備運動でもする兎のようだな」
ぴたり、と、の顔から表情が消える。すぅっと目を細めて、鷹のようなミホークの目を見上げた。
「ミホークは賢しいね」
「愚鈍なままでは斬れぬゆえのこと」
ミホークのそういうところが、すきなのだ。はころん、と体を右に倒してミホークの膝に頭を乗せる。室内だというのにいつもの帽子、普段いかめしそうにされている顔も、下から見上げればただの顎。髭でも引っかいてやろうかと手を伸ばせば、逆に頬に手を添えられた。優しい、手。ミホークは、には優しい。とても、とても、優しくて、いつも、助けてくれる。甘やかされている、という、その自覚はある。何故か、それは知らない。分からない。であったときから、そうだった。ミホークは優しかった。だからも、ミホークはすきだ。
「逃げぬのか」
「何から?」
「全てから」
恐怖、絶望、喪失、愛情、思慕、その、全てから、と、そう言う、その優しいひと、生き物。ミホークはいつもとても正しいことを言う。真っ直ぐに過ぎるのだけれど、それは、を傷つける鋭さ、真っ直ぐさをもってはいないのだ。
「迷ってるんだよ。今ここ、この、マリージョアから離れて、しまえる。これまでの全てをなかったことにして、どこか、そうだなぁ、東の海のミカンのある村で暮らすのもいいかもね。彼女の娘のひとりがいるから、きっと、楽しい」
それか、灯台の岬でもいい。昔の自分をしるあの老人と、鯨と、一緒に過ごすのも悪くない。サクラ王国という名前になったあの場所で、もう百年以上の付き合いになる魔女と一緒に少しだけ生きてみるのも、いいかもしれない。水の都も落ち着いてきた頃だろうから、アイスバーグと一緒に、歩いてみるのもいいかもしれない。そういう、その、選択肢は、多くある。
「でもぼくは、逃げられない」
「あの男は、お前を追いはせんだろう」
「だろうね。ミホーク、会った?」
「いや」
「今、どこにいるんだろうね。会いたい、な」
「会えば、告げられるぞ」
「だろ、ね」
目を伏せる。ミホークの手のひらがの目を隠した。サカズキ、に会いたい。もう随分長い時間会っていないような、そんな気がする。けれど、知っている。気付いて、いる。サカズキに会えば、あの男、あの、生き物、言うのだろう。とても、酷いことをに言うのだ。
は先日センゴクに呼び出された。これから起こる戦争のこと、これから戦う生き物たちのこと、一度に全て話された。部分的には知っていたことだが、センゴク“元帥”より話されたとなれば、その重みも違う。そして、言われたのだ。
『我々を裏切るな』
そう、言われた。仲間である、と誓ったことなどないのに、裏切るな、とはどういうことかと、笑えるような、笑えぬような、そんな、奇妙なことを思いながら、はにへら、と、ただ、笑った。
『サカズキが、戦えって言ったら戦うよ』
センゴクは言わぬ。言えぬ。元帥であろうがなんだろうが、センゴクに、言う権利はない。だから、そんな妙なことを言うしかなかった。それが分かるだから、そう、答えた。センゴクの顔が苦虫を潰したように歪んだのを、は見た。しかし、それ以上は何も言わず、こうしてはマリージョアに移されたのだ。まぁ、それは別にどうでもいいのだけれど。
「ひどいよね、サカズキは」
「あの男は、そういう生き物だろう」
「ミホークなら、どうする?」
「同じ言葉を吐くだろうな」
小さく、呟く。どうしようもない、目。は小さく笑って、両手を伸ばしてミホークの頭を抱きこんだ。
サカズキは、たとえ元帥に、五老星に頼まれたとて、命令されたとて、に「戦え」なんて、ことは言わないだろう。絶対に、言わない。言ってくれればいいのに、それだけで、その、たった一言で、は死んでしまえるほど、幸福になれるのに。それなのに、サカズキはそうは言わないだろう。
ただ一言、告げられるであろう言葉は、わかってる。
「ひどい、ね」
「愛している、それゆえのこと」
「ぼくが望んでいないのに?」
「是非もない」
けれど、ミホークは実際にそれを言うことはない。言う、意味がないからだ。はミホークがすきだ。だいすきだ。けれど、ミホークに「その言葉」を言われたとしても、どうということもない。聞く気も起きない。悲しくも、ない。ただ酷いことを言われたと、それだけがの中につもりだけ。だから、ミホークは言わない。
「わからないよ、ぼくには」
見上げた鷹の目。傍観者のひと。強い者に焦がれて今のような生き物になったはいいけれど、頂点に立ってしまって、何も、見上げるものがなくなってしまった生き物。それでも最近は、あの、魔獣のような青年の存在に気付いて多少は、そのつまらぬ生もマシになったと、そう話してくれていたけれど、やはり、傍観者。自分と同じ、物事に興味を持てぬ生き物。
それでも、ミホークは優しい。
「ねぇ、ミホーク」
「なんだ」
「インペルダウンに行こうと思うんだ。さっき貰った囚人リストに、随分懐かしい名前があってさ」
あんまり懐かしすぎる名前だから、あんまりにも、知られていない名前だから、リストにはじかれずにの目に留まった。赤い鼻の、面白い子供。いつもいつも喧しくて、でも、三人で遊ぶのが、はすきだった。その一人の、シャンクス。そう、そういえば、あの頃ろ、赤い鼻の子供はなぁんにも変わらないのに、赤い髪の子供のほうは、随分と変わってしまった。ぼんやり、思い出す。もう長いこと会ってない。最後に会った時に、随分酷いことをして、泣かせてしまった。いつも明るく笑ってくれていた子供だったのに、今ではもう、はあの子の泣き顔しか思い出せない。
「シャンクスは、また泣いちゃうかな」
「泣かせておけ」
「ふふふ、ミホークはシャンクスがすきだね」
珍しく、ミホークが嫌そうな顔を向けてきた。はその眉間に寄った皺に指を当てて、小さく笑う。
「あの子供がインペルダウンにいるんだって。ぼく、あそこは嫌いだけど、あの子、あの子供、バギーがいるなら、行こうかなぁって」
「火拳がいる場所にお前が行けば、勘ぐられるぞ」
「そうしたら、サカズキは迎えにきてくれるかな?」
ミホークが黙った。も自分で自覚している。きっと、今、自分の目は魔女の月のように、歪に歪んだのだろう。吐き出した声の、はしゃぐこと、これが、悪意でなくてなんなのか。
「往くのであれば、俺は止めぬ」
少しの沈黙の後、ミホークがいつもどおりの平板な声で、それだけ言う。顔を見詰め合って、は掠れた声を出した。
「ふふ、うそつき」
「あぁ、偽りごとだ」
しかし、本心を言ったところで止まるでないのだから、ミホークは何も言わない。ただ、の望むままにさせる。それを、周囲は「甘やかしている」と騒ぎたてるのだけれど、それは、違う。
これから起こる、激動に、が逃れることはどうしたって出来ない。どんなふうに嘯いたところで、傷つく、悲しむ、脅える、だろう。インペルダウンに行きたいと、言うその目的が道化のバギーうんぬんでるのか、ないのかなど、知れたこと。どうにか、したいのだと、それが分かるミホーク。そう、どうにかしようとしたところで、傷つくだけと、知れている。
それでも、ミホークが何かいったところで、聞き入れられはしないのだ。
押し黙って、ミホークはの額にかかった髪を払った。小さな子供、ミホークの腕のなかにあっさり収まって、しまう小さな少女。その目、絶望に染まって、僅かに赤くなっていた。
(何かが、軋む音がする)
FIN
ドフラミンゴでやったらいろいろ台無しな話ですね。