堂々と脱走☆なんてそんな根性はどうしてももてぬ。海軍に対しての後ろめたさはこれっぽっちもないのだけれど、何も感じないわけでもなかった。だからこっそり、本当にこっそりと、閉じ込められていた己の部屋の、屋根裏をつたい、てろてろそっとの脱出。ミホークのマントに隠れてという提案もあったが、なんだか二番煎じな気がして嫌だった。それに、もうミホークに頼ってはならぬと、そう気付いている。渡された三日月剣のみ腰に携えてそっと、辺りをうかがう。人の気配など悟れるほど上等な生き物ではないはずなのに、剣を持ては多少なりとも剣士の心構えでも出来るのか、普段は分かれぬ人の気配が、多少はわかった。

マリージョアの、海の魔女を隔離している部屋はそれなりの監視、警戒が敷かれている。まぁそれも当然、だが、サカズキの指示の含まれていない警備など、にはそれほど害でないのが、事実だった。

ルフィたちと旅をしていた頃、やたら追われ逃げ回ることが多かった所為かの成果、逃げ回る腕が妙に上がった。空の島からの帰還後偶然落下した第八支部、通称ナバロン、G8では一応丸一日逃げ回った実績がある。いや、あの時は本当真剣に逃げ回った。何しろナバロンの指令のジョナサン中将ときたらサカズキが最も信頼している部下の一人である。性格は正反対だし、酌量の余地を承知しているジョナサンだけれど、それでもその時の、アラバスタでのクロコダイルの一件に関わったことを咎められぬよう必死だったのだ。いやぁ、本当、必死でした。と、今ではよい思い出。それに引き換え今は、発覚して恐れる心、実はあまりない。どうせ部屋に連れ戻される、それだけだ。サカズキの耳に今の己の状況が知らされることなどない。それを知っている、、恐れる理由がなかった。
よし、あとはこの長い廊下を突っ切ればそのまま屋上へ出られる。船で移動するわけでもない身分、ご丁寧に港に行って目撃される必要もない。
「行かせるかよ」
スタートダッシュ、と構えかけた足、耳元で聞こえた低音、咄嗟に身を引こうとしたが、背後から抱きすくめられた。そのままくるりと体を回され、顎を押さえられる。見上げた先にある顔に、は顔を顰めた。
「……ドフラミンゴ」
遭遇せぬままここから離れられればいいと思っていた。だが、それは叶わぬのだとも、わかっていた。
「部屋に戻れ、。それが嫌なら俺のとこにいろ。ここから離れるな」
真剣な声、真剣な表情。サングラスに隠れた瞳は窺えぬが、それでも、真っ直ぐに見詰められているのだとわかる。普段の茶化すような、ふざけるような響きの一切ない様子に、も表情を強張らせた。だがまだ余裕もある心。口をついで出る言葉も、普段のものと意識した。
「ぼくに命令しないでよね、ハデ鳥」
「行くな」
ぴたりと、の体の動きが止まる。普段どおりにしてくれぬドフラミンゴ。を強引に抱きすくめるその手の、指先が小さく震えていることに、気付きたくはなかった。
「あんな場所に行くんじゃねぇよ。お前、泣くじゃねぇか。おっかねぇ、しようのねぇところだろう。ここにいろ、ここにいりゃ、俺がお前を守れる」
「そんなの、ぼくは望んでない」
「知るか。そんなこと、どうでもいい。お前、死ぬだろうが」
「ドフラミンゴ」
「黙れ。黙れよ、何も言うな。聞きたくもねぇ」
言ってぎゅっと、強く抱きしめられる。窒息しそうなほど強い力にくらくらと眩暈さえしてきて、、それでもなんとか腕を伸ばした。
どうしようもないことだ。もう、どうすることもできないまでになるだろう。それでもは、自分は、インペルダウンに向かうのだ。この男が悲しもうと嘆こうと、そんなこと知ったことではない。そんなことをされても、困る。だからどうだというのか。ドフラミンゴは、この戦いを止めてくれない。止める気もない。楽しんですらいる。が悲しむとわかっていて、そうするのだ。その男に何を言われたって、それはの知るところではない。それが道理だろう。
(なのに、なんでこんなに苦しいのか)
はドフラミンゴが嫌いだ。大嫌いだ。死ねばいいと心の底から思っている。激しい憎悪というよりは単純な嫌悪だ。嫌い、嫌い、大嫌い。だからドフラミンゴが泣こうがなんだろうが、そんなこと気にする要素はない。寧ろザマァミロと手を叩いてさえやりたいはずなのに。今、ドフラミンゴの悲痛な声に、自分は胸を締め付けられている。何故、こんな生き物、数多くいただろうに。
は腕を伸ばし、そっと、本当にそっと、ドフラミンゴの頬に触れる。顔は胸に押し付けられていたけれど、その、接触でドフラミンゴの力が緩んだ。は顔をしかめる男を見上げ、一度小さく首を振る。眉を寄せ、ゆっくりと一音一音、言葉を吐き出した。
「ごめん」






手を握り返してくれませんか








どうも地獄というものは人工的に過ぎてそして幻想的じゃあないかと常々思うもの。こうして何度か訪れるその場所はにとっては居心地のよい所ではなかったが、しかし、本当の地獄とやらと比べれば中々可愛げがあるのだ。
海底の牢獄へと繋がる井戸を覗き込みながらは目を細めた。ひとの通える道ではないが、しかし、己は扱える。そういう場所がこの世界にはいくつかあった。己で作った道ではない。誰の手によるものなのか、生憎記憶にないのだけれど、しかし、トリアイナのSiiもこの道は知らなかった。サカズキも知っているそぶりは見せていない。己も誰に告げたこともなく、なぜ知っているのかすら見当も付いていない。
インペルダウン。海底にある犯罪者達の行き着く先。絶対的な場所。脱出不可能、外部からの侵入者を許さぬ、地獄とひとはそう呼ぶ場所。だが、しかしそこはかつてのの住処である。ひとに知られておらぬだけで、抜け道などいくつかあるもの。その抜け道が、常の人間では使えぬだけで。
古びた井戸、囲い詰まれた石には苔が蔓延り柔らかな緑。マリージョアの先ほどまでいた場所から跳んで半刻もかからぬ場所。ひっそり、茨に覆われた森の中を進めば辿り着ける。茨は眠りの証。何もかもを拒絶する魔女の悪意。掻き分けても掻き分けても棘のある茨が前から後から、ひとの腕のように閉ざされる。力で強引に突き進んだところで茨は蛇のようにひとうねりして、それで終い。あとは荊から赤黒い液体が地面まで滴り落ちる。荊はこうして肥えていく。こんなものは即行焼き払うべきだと主張した天に嘶く竜と称する馬鹿者どもはが片っ端から蹴り飛ばしてその矛先を変えさせた。それはもう随分と昔のことだ。今ではどれくらい前なのか、本当にあったことなのかもは覚えていない。
井戸の淵に腰をかけ足を投げ出して、ふとは考える。己のしていること、その真意がどこにあれ、これはよくないことだとそういう自覚はある。誰も望んでおらぬこと。それを無理に進めようとしている己は随分と性根が捻くれているのではないだろうか。悲しませるとわかっていて、恨まれるとわかっていて、それでもそうしたい。他人のことなどお構いなし。傲慢、尊大、自分中心。いや、それこそが己である。そういう生き物だ。堂々と他人を理不尽なことに巻き込む空気どころか星の動きも読まぬ無体な生き物。だが、しかしここでふと、躊躇った。ここへ来る前に抱きしめられたあのハデな男のためではない。己の代わりにと大切な剣を託してくれた男のためでもない。
ではこの迷いは誰への憐憫なのだろう。思い、想えることなどない。なぜインペルダウンに向かうのか。それはわかっている。止めたいのだ。己、この、矮小で、どうしようもないことを、それでもどうにかしたいと願ってしまう、無力で無知で、あぁそれでも、必死な己がここにいる。これから時代が大きくうねるだろう。誰も彼もが必死に声をからして叫ぶ。そういう時がやってくる。最初から何も出来ぬ、己はもとより、どれほど権力・武力・財力のある生き物でも、もうどうしようもない、これはかけられたアカシックレコードの決まりごと、だなんて大層なことは言わぬが、しかし、避けられぬ歴史の揺らぎ。こういう大津波があってこそ、歴史は、世界はその記憶を刻んでいくのだ。魔道を扱うものとしてその理、真理、道理を、委細承知している。だからこそ、己はなにもできるわけがない、そういう生き物に成り果ててしまっている。
だからこそ、その矛盾はわかるのだ。この争いがどうしようもないものとわかっていて、それでも何とかしたいと阿呆のように思い、己はこれからインペルダウンへと向かう。何もできぬだろう。出来たところで、それが何だというのか。しかし、行く、その事実はには理解できる。いじらしいではないかと己で己を憂う。だが、何故今、この井戸の淵に触れて己は躊躇っているのだろう。
躊躇う理由など見当たらない。己の本心、この戦いを止めたい。なぜか、それは容易い。誰が彼が死のうと世界の均衡が崩れようと、悲しみが深く出でようと、そんなことはどうでもいい。大きな戦争は確かに嫌いだ。よくない、あぁいうものは、あまり好きではないのだけれど、しかし、それがどうした。こういう大事は何度か経験していること。其の都度傍観者だった。嘘だと思うのならSiiに聞いてみればいい。いや、あの娘は全てを承知なわけでもない。知っていることと、知らぬことがある。いや、だが、しかし、知っているのか。それはの興味のあるところではなかったから追求したことはなかった。だが、彼女の父なら、とSiiの間でひっそり「いしのひと」だなんて呼ばれていたあの男なら知っていただろうか。今となりては確認することも出来ぬ。いや、あの男、本当に死んだのか。死んだと、殺されたといわれている。興味はないが、だが、本当に死んだのか。ふとした疑問だが、それは今考えることではない。
頭を振って、その途端、瞼の裏にかちりかちりと浮かんでくる、きらきら光る蜂蜜色の髪。誰のことかと思い浮かべるまでもない。あぁそうだ。このままマリージョアにいれば政府の、海軍への義理が立つ。義理などないが、だが、取引材料にはなるのではないかと思う。打算と言うなら言えばいい。しかし、そう、あのリスト、しがない海兵に無理を言って寄越させたインペルダウンの囚人リスト、ボルサリーノの腹いせの所為でどうしようもない膨大な量になったらしいが、そのリストに、の知る海賊の名はなかった。いや、正確にはがシャボンディにいた時にいた海賊の名はなかった。そのことが事実かどうか未だ疑っている。もし、万が一、あのひとが、あの、鬱陶しい黄色い猿の魔の手から逃れられていなければ。賞金かかった海賊ではあるけれど、それでもの「わがまま」の延長線で、どうにかできないだろうか。そんな打算。そんな妄想。実際そんなことをしてもあのひとは疎むだろう。のわがままが通じる範囲くらい自覚している。彼女の傍らに常にあるべきだろうその人、赤旗とかいうその生き物はさすがに、どうしてやることもできない。捕えられていたら、であるが。もし二人仲良くセットでとッ捕まりました☆なんて展開なら、サリューを助けたところで望まれぬこと。素直に牢の中で挙式でもあげさせてやることくらいしかは出来ない。いや、それこそ余計な世話か。だろうから、ここに留まってあのひとを助けられるカードを持つ必要などない。あのひとが望まぬ。望まれれば、どうにかしようとは思う。けれど、あのひと、サリューはに何一つ望んでくれない。それでいい、それがいい。
ぐるぐると考えていて、イヤイヤそういうことではなくて、と、苦笑する。そうじゃ、ない。躊躇う理由を探していた。それが分からねば、井戸へ潜れぬ。潜ったところで迷いがあれば、放り出される。ここはそういうところだ。だから常のひとでは利用できない。迷いのない生き物など、それは魔女くらいだからだ。あぁ、でもあの子供なら。あの眩しい、海賊王になるのだと豪語するあの少年なら、迷いなどないだろうか。ふと、思う。そしては、ぱちり、と、目を瞬かせた。
そうか、迷い、躊躇う理由、気付いた。わかった、悟れてしまった。他愛ない。己、そんな人間らしい感情、持ち合わせていたのかところころ声を上げて笑い出したくなる。
そうか今更だがこれから己が行く先にいる、この度の一件のきっかけ、火種、火拳のエースはあの子、ルフィの実の兄である。これからがインペルダウンに向かい、何かしらを己はするだろう。何をするかまだわかっていない。だがあの場所に行かなければならないのだ。どうにかできないのに、するつもりがあるから、あの場所へ向かう。そこにいるエース、あの男を助ければこの戦いは止まるとか、そういう妄信はない。もういっそが直々に殺してやったところで、どうにもならないのだ。だからはエースに会う気もなかった。バギーには会いたい。ついでに言えば、クロコダイルにも会いたかった。アラバスタでは、中々酷い別れ方をしてしまったから、ちゃんと言いたい言葉があった。それを考えればインペルダウンに行く理由がよくある。なのに躊躇った己のその心。あぁそうだ。ルフィ、あの子供、きっとエースを助けに来る。
躊躇う理由、容易い。ルフィに会うのではないかとそういう予感ゆえのこと。あの子供には妙な魅力がある。カリスマ、ではない。そういうものを持ち合わせている連中、知り合いには事欠かぬ。そうではない、そうではないのだ。ルフィには、妙な、ひとたらしの才があるのだ。歴史の天下人の中にはそういう気質を持つ生き物がある。その気質にはいくら己といえど抗えぬ。ルフィに会えばきっと、己はあの子供に手を貸してしまう。あの子の望むことを叶えたくなってしまう。それが嫌だから水の都で船を下りたのではなかったか。己の「願い」はあの子ではなくて、サカズキであればよい。強く強く今もそう思っている。だけれどルフィに会えばその心が容易く瓦解することがわかっていた。いや、長くは続かない。根はどうしたってサカズキだ。サカズキに敵うほど強く思えるひとなどいない。だがルフィとともにいるとどうしても、その時にあの子のためになにかしてやりたいとそう、思ってしまう。
インペルダウンに行って、そしてルフィに会えば己はエースを逃がすだろう。それがサカズキにはよくないことだ。怒られるくらいならいい。だが今回の騒動、そうはならないのだ。火拳は処されなければならない。エドワードがどんなに吼えたところで、どれほど巨大な戦争が起きようと、そんなことはどうでもいい。エースは、あの男は海軍本部によって殺されなければならない。だからその邪魔を己がするわけにはならないのだ。ここで矛盾。エースを助けられればどうにかできるかもしれないが、しかし、己はそうはしない。一番容易いだろうことをせぬ。だから、己は何かをどうこうすることができないのだと、そういうことだ。つまるところただの傍観者。何か悲しいことが、嫌なことが起こるとわかっているのに、態々見に行く。マゾなのかと罵られれば素直に頷けるのに今のところ誰も突っ込んでくれない。
さぁ、そして原点に戻ろう。己、サカズキが死ぬのが怖ろしいのだ。この争い、大規模なもの。海軍本部の総戦力と七武海が白髭にぶつけられる。四皇の一人に大して随分と多い気もするが、しかし足りぬとは知っていた。そしてこちらにはティーチがいる。あのバカがいるのなら、きっとサカズキは死んでしまう。だから、インペルダウンへ向かうのだ。このままこのマリージョアにいたら、何も変えられない。己が誰かに何かをすることができなくても、しかし、海の魔女がインペルダウンに現れたことで変化があるはず。そして、この争いが始まる前にサカズキに会うわけにはいかなかった。だから、あぁ、そうだ。己は逃げるのだ。今の情勢、大将は本部を離れらぬ、が本部に近付きさえしなければ、逃げられる。
今でも忘れはしない。あの日のこと。赤旗の造反にちょっと神経苛立って、殺しに行って、クザンに連れ戻されたあの日。海兵のころはいつも一緒にいたあのひとを、赤旗は置いていきやがった。だからちょっと本気で殺しに行ったのだが、あの日、己の中に何かいしが投げ込まれた。
あの男、赤旗が言っていた。彼女を置いていったのは愛しているからだと。理解できなかった。わからなかった。けれどその言葉を彼女に伝えたら、彼女は納得していた。諦めたわけではなかったようだが、二人の間、何か通じるものがあったらしいことをぼんやり、まだ幼すぎた己は見上げて首を傾げたもの。その時に聞いた。あのひとに、聞いてみた。「愛って、ねぇ、なぁに?」そう聞いた。あのひとは己を抱きしめて、優しく微笑んでくれた。その微笑、今思い出すだけでもなぜか切ない。言われたときには理解できなかった。だが、だが、今はわかる。

(そう、だから己、インペルダウンへと向かうのだ)

迷いのなくなり、その晴れ晴れとした様子。はひょいっと、井戸の中に身を投げ込んだ。煌く、白髪それを見たのは茨に咲く薔薇のみである。




Fin