「き、貴様は邪魔をしに着たのか……!?」
フルフルと、怒りに震えるモモンガ中将が声を絞り出すように呟いたのは、トガゲとハンコックの妙な言葉の押収が続いた五分後のことである。何の五分くらいと思うだろうが、現在の非常事態、正直なところは一分だって惜しいのである。いつ白髭が動き出すかもわからない状況で、政府の戦力たる蛇姫を一刻も早くマリージョアへ連れて行くことがモモンガに任された使命。
だというのに、「応援だ」などと白々しくのたまってやってきた女にしてはやけに背の高い、ピンヒールの似合いすぎて怖ろしいトカゲ中佐、どう考えてもモモンガの邪魔をしているようにしか思えない。
「子女の愛らしい会話くらい待て、井戸端会議も知らんのか?中将殿。だから独身なんだ。さっさと嫁さんを貰え」
心の底から余計な世話である。全く持って上官を敬う態度の欠片もないトカゲに怒りを通り越して虚脱感が沸き起こるが、ここでへこたれていては世界の平和は守れない。ぐっと腹に力を込めて言い返そうとすると、「あ」と、トカゲが手を打った。
「だが、あぁそうだな。早く用事をすませないと夕餉に間に合わないなァ。今日のメニューはカレーか?」
「……待て、なんだそのあたかも俺の船に乗るのが当然のような言葉は」
「泳いで本部に帰れというのか?ふぅ、やれやれ酷い男だな。ハンコック、どうするよ?こんなんだから嫁さんがいないんだぞ、この男は」
「わらわに振るな。そんな男はどうでもよい」
「ふ、ふふふ、そういうな。これで中々可愛げのある男でな、先日もがコーヒーの中にちょっとした薬品を混入させるという可愛い悪戯をしたんだが、ものの見事に引っかかって頭から兎の耳を生やしたんだぞ」
「ただの愚か者ではないのか?」
可愛らしいだろう?と心底本気で聞いてくるトカゲにハンコックは普通に眉を顰めた。その前ではモモンガが顔を真っ赤にして口をパクパクさせているが、もういろんな感情が極まって声も出なくなったらしい。さすがにこれ以上いぢめてやっても気の毒、とは思わないトカゲだが、いつまでもここでぶらぶらしているわけにもいかない、さて、と己のテンポで物事を進める。
「まぁこのウサギ男は放って置いて、さっさと行くぞインペルダウン」
いざ地獄へ!
「え?おれもボディチェック受けるのか?」
面白いハンニャバルの登場にけらけらと完全物見遊山気分丸出しのトカゲが、きょとん、と首を傾げた。「念の為だ」とモモンガは直ぐに答えたのだが、実際のところは中々、疑ってはいる。
この女、トカゲ中将は世界の敵と何か関わりがあるらしいと、それとなく教えられている。いつのまにかひょっこり海軍本部に現れて、きちんと正規の手続きをとって今の地位にいる女。海軍本部監査部という特殊な所属ゆえに中佐でありながら准将と同じ程度の権限を持ってはいるものの、間違っても「正義の海兵」の類ではない。
完全な愉快犯の、快楽主義。簡単に言えば、煮ても焼いても食えぬ生き物である。このタイミングでインペルダウンに現れた、ということ、その背後に海の魔女が関わっているのではないかと疑うのは道理である。
、海軍本部の大将赤犬の保護を受けている、世界の敵の影法師。現在はマリージョアで身柄を拘束されているようだが、今回の一件、海の魔女がどう動くかということも海軍本部の中では危険視されている。裏切るのではないか、などとおおっぴらなことは大将赤犬の手前だれも口に出せないが、誰もが危ぶんでいた。何しろ22年間大人しくしていたはずのは昨今、クロコダイル失脚、エニエス壊滅と言った、政府にとって大打撃となる事件にしっかり関わっているのだ。
今回のこの騒動に、縁はないはずだけれど、だが、どうなるのかわからない。世界が揺れるだろうこの大事件、海の魔女が大人しくしてくれる保証はどこにもないのだ。
だからこそに現在は赤犬の元から引き離されてマリージョアに移されたはず。それで監禁すれば何とかなるだろうと、そういう、単純であるが確実な処置が齎されたのだ。
しかし、そこに問題となってくるのがこの女、トカゲ中佐である。
と何かしら縁が、かかわりがあるらしい生き物。の指示を受け何事かするかもしれぬ。そういう予感だ。だからこそ、ハンコックと共に身体検査を受けろと、そう言った。
二人同時におこなう事は時間の短縮にもなるが、ボア・ハンコックがトカゲと見張り、トカゲがハンコックを見張るという二重の役割もあった。先ほどの二人の言動を見る限り、良い仲にはならぬだろうから、間違っても協力し合うこともないだろう。そう判じてのことである。
「ふ、ふふふ、蛇姫様と密室で二人っきり……ふ、ふふ、ふ。燃えるな」
「気色の悪いことを言うな。看守がつくに決まっているだろうが」
反対する気はないらしい、トカゲは素直に承諾して妙に楽しそうに笑う。しかもその内容があまりにも、あんまりだったので思わずモモンガが突っ込むと「冗談だ」と、そのわりには少々残念そうなトカゲが言う。いろいろ疲れてきた。もう本当、いろいろ終わったら暫く休暇でも取ってゆっくり休みたい。温泉に、などと贅沢なことは願わないが、せめて誰にも邪魔されず将棋をさせるくらいの短い休みでいいから欲しい。
「正義の海兵が休息なんて求めるんじゃあないよ」
その切実な、しかしささやかな願いでさえ、トカゲ中佐は見事に一蹴する。というか、人の心を読むんじゃないと突っ込みを入れたい。
「心なんて読めるわけないだろ。ついでに空気も読めんぞ?」
「自慢せんでくれ、頼むから」
堂々と言い放つその女に何度目かの溜息を吐き、随分前に造反してしまったドレーク少将を思い出す。造反理由、様々な憶測がひっそりと海軍本部では今も語られているのだが、もしやこの女を筆頭にやSiiの悪質な悪戯が一番の原因だったり、そんなことはないのだろうかと、思ってしまった。いや、そうではないだろうが、もしもそうだと言われたら、モモンガ「それは…仕方ないな」としみじみ同感してしまうかもしれない。
そんなモモンガ中将、ハンコックとトカゲが消えた扉を眺めてどっと疲れが襲ってきた。
しかし、このままトカゲが大人しくしてくれていれば本当に助かるのだ。トカゲ中佐、海軍本部ではモモンガが自ら剣の手ほどきをした、自信を持って「戦力」といえる教え子だ。初めてトカゲ中佐がモモンガの元へ引き合わされた時は「敵を見たら全力で逃げるに決まっているだろう」と堂々と言っていたトカゲだったが、強化訓練のプログラムを終えた頃には立派な、銃剣の使い手となっていた。
このインペルダウンを無事過ぎてもまだ油断は出来ない。トカゲ中佐が完全にこちらの「手助け」をするという保証ができれば、正直これほど心強い援軍はないのだ。
(……大人しく…!大人しくしていればだがな……!!!)
全ての問題はそこである。海の魔女、が関わっていないにしてもただ「ノリで?」と一言、白髭に味方するくらいは堂々とやってのける、爆弾女だ。
ただでさえハンコックという気難しい女帝殿の連行を任されているのに、この上海軍本部の影の爆弾、トカゲにまで注意を向けなければならない、その現実。もういっそ盲目的に「トカゲは味方だ」と百回呟いて自分に暗示でもかけようかと、中々切羽詰ったことをぼんやり考えた。
海軍本部中将モモンガ、剥げる前に潔くいろいろそり落としたが、もう坊主になる日も近いかもしれない。
■
「ふ、ふふふ、なんだ。麦わらの、ここに来ていたのか?ふふ、ふ、いや、まぁそうだろうなァとは思っていたがな。ふ、ふふふ」
「そなた、石にならぬのか…」
「あ?おめぇか…?」
看守のドミノ嬢と電伝虫がハンコックの能力により石化した中、いっそ優雅とさえいえる仕草で床に座り込み、ハンコックを見上げる赤毛に長身の女海兵。ボア・ハンコックは警戒の色を浮かべはしたものの、に酷似した顔立ちと、配色になにやら感じるものがあったのか、ばさり、と、野暮ったいとトカゲの思っていたマントを落とす。
そこからひょっこり現れた黒髪の少年に、トカゲがした反応と言えば「おや?」と僅かに眉を跳ねさせただけだ。
「おれはに見えるか?」
「んー?似てるけどなァ、おれの知ってるあいつはもっとガキだぞ」
現れた少年、モンキー・D・ルフィは不思議そうに首をかしげる。いや、しかしあのチビだったコビーもあっという間にあんなに大きくなっていたのだし、ちょっと見ないうちにが大きくなる事もあるのだろうか、と、そういう顔。トカゲは面白そうに笑ってから、ハンコックとルフィを交互に眺める。
「なるほどな。不動の女帝がどういう心かと疑問には思っていたが。ふ、ふふふ。なるほど、なァ」
「そなたは海兵であろう?騒がぬのか。わらわはルフィに手を貸しているのだぞ」
トカゲの軽口など知らぬ、ハンコックは目を細めて問う。直ぐにでもトカゲの息の根を止められるよう、さすがは女帝殿、とわかる警戒の仕方がある。いかにトカゲが銃剣の使い手といえど、正直なところ七武海をどうこうできるという慢心はない。
だが頭のよい蛇姫殿だ。ここでもしトカゲを殺してしまえば、まずルフィの潜入が発覚する。それはせぬだろうとトカゲには確信があった。
「いや、麦わらがここにいるのなら、を一人で行かせるんじゃあなかったな、と、今思うのはそのくらいだ」
「?あの者が、ここに来ているのか?」
「あぁ、そうだよ、蛇姫様。が来ている」
「馬鹿な……あの者はマリージョアを離れられぬはずじゃ。この、戦争の起きる間際でそのような……あってはならぬ」
七武海は皆、パンドラ・に会っている。そしてを知っているのだ。何がどう、ということは知らぬだろうが、しかし、いろんな彼女の鎖を知っている。であるからこそのハンコックの驚愕。
「だが事実だ。は今たった一人でインペルダウンを降下している」
「も来てんのか?おい、お前……!」
話を聞いていて、自分にもわかる内容だったからか、麦わらの子供がトカゲに詰め寄った。それをぼんやり眺めながら、ふむ、と、トカゲは一度思案する。
「パン子さんだ」
「へ?」
「パン子さんと、そう呼べ。それ以外は聴かん」
この子供、モンキー・D・ルフィ。トカゲの世界にもいたのだ。可愛らしい子だった。一生懸命で、太陽のようにキラキラしていた。懐かしい、と思いながら、つかまれた手をぱしん、と払い、トカゲはゆっくり立ち上がる。
「あの子がどうするのか、それは知らないがな。麦わらの。お前がどうにもならないことを、どうにかしようとする、その、これからの事象があの子を酷く脅えさせているんだよ」
「?エースはおれの兄ちゃんなんだ…!助けてぇんだよ!」
「ルフィ、あまり大声を出したら…」
忍んできている、という自覚のないのかこの子供。慌てる蛇姫、女帝殿が妙に可愛らしく見えてトカゲはころころと喉の奥で笑う。必死、必死な、その姿。良い見物ではある。
この子供、モンキー・D・ルフィが、この牢獄へやってきた。あのエニエスを落としてしまったほどの流れの持ち主だ。このインペルダウンもどうこうしてしまうのだろうか。そうしたら、この戦争はどうなるのだろう。ふとトカゲは考えた。
止まる、のだろうか?白髭も、政府も、海軍も、綺麗サッパリ、ブレーキ踏んで止まってくれる、のだろうか?
「……ボア・ハンコック」
「―――なんじゃ」
トカゲは女帝の名を呟いた。賢しい女、含まれた妙な響きに気付き、顔を上げる。その表情、先ほどまでの恋に胸を張り裂かれそうになるいじらしい乙女のものではない。
「おれは卿の邪魔はしない。麦わらの、卿の邪魔もせんよ。どうにもならぬことを、どうにかしてくれるのならな」
「さっきからおめぇ何言ってんだ?どうにもならねぇことなんかねぇんだ!やるって決めたら、絶対にやるんだ!」
きょとん、と、顔を幼くしたのは、ルフィではなくトカゲの方だった。おや?と、目から鱗、いや、随分久しく覚えなかった「あ、そう?」と、そういう、発見というか、何と言うのか。
「おれはエースを助けるんだ。そう決めた。だから、邪魔したって関係ねぇよ」
きっぱりさっぱり、言い切る子供。トカゲの半分も生きていない、ほんの少しの時間生きたに過ぎぬ、まだ完全に強いとは言い切れぬ未熟者。なのに、キラキラ、その言葉が太陽のように煌く。おや、と、トカゲは目を丸くした。そして、久しく感じぬ、後悔が沸き起こる。を、あの子をここに連れてきていればよかったと、そう、悔やんだ。あの子を一人きりにしてしまった。インペルダウンの最下層に、今向かっているのだろう。であれば、何の困難もなくたどり着くだろう。それはわかっている。だが、あの心のまま行ってそまったのは、よくなかったかもしれない。
どうせ信用されてない己、ボディチェックが入るだろうということはわかっていた。だからを隠して堂々とエースに会いに行く、という手段はとらなかったのだ。そうしよう、と頭を掠めたのだが、自分がここではっきり「来ました☆」としていれば、モモンガの注意をこちらにひきつけておける。そうすればはあっさり見付かることなどないのだ。あの子とて王国の魔術師の影法師、400年政府から逃げ回ったという、かくれんぼであればお手のもの、と、そのはず。
だから、二手に分かれたのだ。が好きに行動できるように、己はここで姿を現した。その、つもりだったのだ。それでいいと、それが一番良いのだと、思っていたのだが。
いまは、何をどうしようとは何も思っていない。どうにもならぬことだと、もうそれを諦めているのだ。どうにもならぬことを、どうにかしよう、とはしている。だが、既に「どうにもならぬこと」という認識があるのだ。無理を承知で、という言葉はあるが、しかし、それ以前、無理だと思わず、という、その真理があるのだ。には、そして己、マリージョアで今頃ぐだぐだしてる派手鳥も、その真理はもてなかった。
「……ふ、ふふ」
素直な、笑みが零れ落ちる。トカゲはぽん、と、ルフィの頭に手を置いた。
「よし、麦わら帽子のキャプテン。心の底から応援してやる。がんばれ、青少年」
「いや、別におめぇに応援なんかされなくてもおれぁおれの好きにするぞ?」
「この俺の心の篭った声援だ、とりあえず受けとけ」
「お?おう」
だから何がどう、ということはない。ルフィも不思議そうにしつつも頷いて、それで、トカゲ、一人でさくさくっと海軍本部のコートやらいろいろ身の回りの整理をして、先に出て行くことにした。
「あとはゆっくり話しておけ、蛇姫様。ふ、ふふ、恋はいつでもハリケーンだな」
「!?そなた、まさかルフィに……!?」
ぶわっ、と、妙な殺気が一瞬上がる。おい、とトカゲは少々焦った。外にはモモンガだっているのだ。ここで殺気やらなにやらがあると気付かれてはいろいろ、面倒なことになるだろう。慌てて首を振り、誤解は即行解く。
「おれの好みはいい年して腹筋晒した上にでかでかと己の名を胸部に刻み込んでしまうようなエロテロリストだ」
言い切れば一瞬「趣味が悪い」というような顔をされたが、しかしルフィに興味はあっても恋心などは向けないとわかったか、殺気も収まる。おいおい、とトカゲは呆れた。恋は女性を美しくするという。その恋のエネルギーが今回不動の女帝を動かして、さらに「どうにもならぬ」と誰もが思っていたことを、ひょっとすると、ひょっとするかもしれない事態に流れさせている。が、恋は怖ろしいものだと少々、危ぶまれるのだ。
(特に嫉妬をした女。蛇姫様、蛇女になんぞならんでくれよ。なんというか、面倒くさいから)
胸中で思い、とりあえずは先に部屋を出る。今頃は着実に地獄へ下っているのだろう。あの子が、そこへ行ってなにをするのか、それはやはりわからなかった。
本当に、麦わらのルフィとここで合流させていれば、もしかしたら、違う結末が迎えられたかもしれないのに。
Fin