「へぇー、これが毒の枢機卿どのか。あれか、やっぱり洗濯物リストは重要なのか?」
「自分にしかわからん言葉で勝手に納得するのは構わんが、口に出すな。混乱する」
ふんふん、と、蛇姫に見下されるマゼランを眺めながらトカゲがうなづくと、その隣のモモンガが疲れたように溜息を吐いた。いやもう本当、早く終わらないかとそればかりを思って始終。その心底苦労人じみた横顔に、トカゲはとても気の毒そうに眉をよせて「お前は本当にそういう顔が似合うよな」と、ぽんと、肩を叩いてきた。
誰かこの女をひっぱたいてくれ。
ヒドラ
やけにしーんとクロコダイルの檻の中が静かになったのはいいとして、ハァハァと息を切らせた、ぐいっといささか乱暴に目を袖で拭い、立ち上がる。
「あんまり、長居できないんだよね、ぼく」
「さ、さっさと帰れ……」
ひゅん、と、は無言でまた石を牢の中に投げ込み、今の動作などなかったようにしおらしく頬に手を当てる。
「何か起きるんじゃないかって、ここで、そう思ったけど。なぁに、明日にはもう火拳は処刑されるのに、まだ誰もたどりついてないじゃないか」
エースの処刑。世界の激動。白鬚の激昂で、ひどいことが起こるとそうは予想した。これからマリンフォードで、処刑場で、大変な騒動になる。その前に、なんとかするには、どうこうするには、政府の面目丸つぶれでしようがないとしても、その前に、エースをここで逃がすのが、最後の手段なのではないかとそう、は単純には考えたのだ。どうせ、ここでエースを逃がしたくらいで、もう止まるわけではないと、複雑に物事を考えればわかるものだが、しかし、まず、エースをここで助けだすこともまた、ひとつの、手ではあるのだ。確かに。
それを、が行ってはならない。がエースをここから出しても、何も変わらないだろう。それはわかっているのだ。ここで、この場で、エースを助けられる者は、以外の人間に限られていること。だからこそ、はこの場に、こうしている。何事か起こるのなら。世界が、崩れていこうとしているのなら、その転機に己はそこにいなければならない。いて、もしも、どうにかすることができるのなら、そう、と、それは、あまりにも、可能性の低い、ことではあったが。
「結局、お前は何しにきたんだ。」
だらだらと額やらあちこちから、拷問の所為ではなく負った傷、血をだらだら流し、クロコダイルが問う。さんざん石を投げつけられはしたが、それでも、やっぱり自然系の能力者である。魔女の言動は、気になるもの。それだけだ。
はパンパン、とスカートとコートについたほこりを払い、くるくると腕を振る。デッキブラシを取り出して、こつん、と、柄で床を叩いた。
「この間ね、モリアーくんに泣かされたんだよ」
「そうか、ヤツは死んだか」
「生憎まだ生きてるんだ」
物騒な会話である。クロコダイルは「ほう?」と意外そうに眉をあげて見せた。が泣かされた、という。最近の話であればおそらくマリージョアかどこぞでのことだろうから、必ずこの魔女のそばには海兵、あるいはほかの七武海がいたはずだ。の目に涙を浮かべさせてそのまま生かされているわけがないと素直に驚いていると、の真赤に染まった目が、面白そうに細められる。
「その時にね、モリアーくんに言われたんだ。ぼくは、パンドラの影なんじゃないかって、そうだろうって、言われたんだよ」
それが事実であれば、ゆゆしき事態であるとクロコダイルも頷いた。は、パンドラ・であるからこそに、尊く、全てが許されている。これがもしも、モリアーの言う「影」の入っただけのゾンビだというのなら、それは、とても問題だ。
そう責められては泣いたしいと容易にわかり、クロコダイルは眉をあげる。ではなぜ、いまこの女は笑んでいるのだろうか。そういう疑問を空気で察したらしい、がすいっと、クロコダイルの檻に近づいた。
「それで、ね、それで、そのあと、ドフラミンゴに、連れて行ってもらったんだ。マリージョアにある僕の体、パンドラのところまで連れて行ってもらったんだよ」
「それで、確かめたのか」
「うん、そう。そうだよ。僕はドフラミンゴと確かめた。光を当ててもみたし、口に塩も入れてみた。ぼくのいまのこの体にも同じことをしてみた」
その結果、結論は「影ではない」とそういうことだったのだろう。パンドラには影もあり、は塩を口にしても影が抜け出ることもなく、何も、あっさりするほどに何も問題がなかった。
「ぼくはね、それで、気づいたんだよ。うぅん、思い出したんだ」
さらり、と、の長い前髪が揺れる。クロコダイルは、その時一緒にいたというドフラミンゴのことを考えた。あの男と、自分は、そういえばソリが合うようで全く合わなかった。根本的なものが違いすぎるのだ。たとえば、己は、認めたくはないけれどしかし、確かに、誰もが「夢」だとせせら笑う、海賊王を胸に描いていた。いや、今でさえ、そうでありたいと、そう思う。そんな思いにはしばらく蓋をしていたけれど。これはもう認めようとクロコダイルはあきらめている。夢を、見ないとうそぶくことを諦めた。夢をあきらめる自分を諦めた。ミスGWの所為だなんて情けのないことは言わぬ。認めた、のだ。それがいま、クロコダイルをどうしようもなく、愉快にさせているのだが、それはだれにもわからぬこと。それはまぁ、どうでもいいのだ。
ドフラミンゴは、あの、この魔女にはとことん甘く、気合いのはいったヘタレっぷりを出す、ハデな色彩のバカ鳥は、他人の描く夢を上から塗りつぶし、そのキャンバスの幅を勝手に利用し、ねじ伏せるのだ。のことはさておき、あの男がかなわぬ夢を見ることなどないと、そうクロコダイルは評している。ドフラミンゴの何もかもは気に入らないが、しかし、あそこまで割り切って生きられれば確かに、あの男のいう「スマイル」で世を生きられるのではないかと、そう、思うこともある。
(そんなものは、おれぁ御免こうむるが)
漆喰の陽炎が揺らめく。銀色の焔はどこにあるのか。遠く、遠くどこからかこだまする声、クロコダイルの身の内より出でる、悲鳴にもにた産声。どうにもならぬこと、なぜこの魔女を取り巻く連中はどうにしかしようとしてやろうとし、しかし結局は何も出来ぬのだろう。
の目がまっすぐにクロコダイルを見つめた。
「ぼくはこれまでね、世の中がどうなろうと、誰が死のうと、そんなことはどうでもよかったんだよ。本の中とおんなじだ。何があっても、ぼくは変わらないのだから、何があったって、何も、意味はないんだって、そう、知っていたんだ」
「だが今のお前は違う。今のお前は恐れているな。泣きだしそうになるほどに、おびえている。この世が、今の、お前を知る生き物が、もののみごとに死に絶えることを、お前は脅え、覚えているな」
間髪入れずに言って、クロコダイルは目を見開いた。インペルダウンの下層部、ここは薄暗い。真っ暗な闇の中、というほどではないが、明かりの乏しい場所。そうだ、だというのにこの女、魔女の目は先ほどから、煌々と赤かった。そして、髪が、あのハデな鳥が「世界で一番きれいな色だ」と自慢していた暖色の髪が、今は、老婆のように真っ白になっている。
「お前、」
「サー・クロコダイル。砂の盾、を知る、数少ない悪魔の身、ひとつ答えてくれないか」
クロコダイルの言葉を遮って、、うっとりと眼を細める。幼い少女がいとしいひとへ睦言を頼み込むような甘い口調。それでいて有無を言わさぬ、生まれ持っての王の片鱗を感じさせる絶対的な声。金縛りにあったように、クロコダイルの身が硬くなった。遮ることを許さぬ目だ。逸らさなければ、己とてただではすまぬとクロコダイルは焦り、しかしどうすることもできない。ゆっくりとの唇が動いた。何事か、形を作る。その細いのどが震えて、言葉になる。
「ぼくは、」
ガンッ、と、瞬間、建物が大きく揺れた。は目を見開いて体制を崩し、そのままペタン、と床に尻もちを付いた。
「いたい」
小さく呟いて、不機嫌そうに眉を寄せる、。その時、その目の色はもう青くなっている。髪の色は相変わらず白かったが、しかし、瞳は青くなっていた。クロコダイル、なぜだかほっとして、未だ微かに揺れるあたりをうかがう。は不思議そうな顔をした。
「地震?」
「ここをどこだと思ってんだ」
「いや、海底でも地震はあるでしょ。なんか、上、騒がしいね」
言っては煩わしげに首を振る。クロコダイルも上を見上げたが、何がわかるわけでもない。この、難攻不落の海底の牢獄。騒動、暴動などめったに起きぬ。いや、起こそう、という気を根こそぎ奪いとることに日々熱心なのだから、クロコダイルがここへやってきてから、そして己の記憶にある限り、インペルダウンで暴動騒動が起きたなど、一度もない。それはも同じこと。であれば天災のたぐいかと首をかしげるが、しかしその可能性をクロコダイルは否定した。はむっと、ほほを膨らませる。己の予想を無碍にされるのが気に入らぬ。子供の面相。ふくれた面のまま、うーんと考え込んで手をポン、と叩いた。
「エドワードくんが来たとか?」
「わざわざ殺されにか。御苦労なこった」
軽口、である。エースやジンベエが何か言う前に、ががつん、と檻を蹴った。
「クロコダイルくん、もいっかい殴られたい?」
仕方なさそうにポケットから石を取り出す。全く持って漫才にしかならないこの状況。離れた檻のエースとジンベエも先の振動は感じ取ったようで、互いに眉を寄せている。白鬚が、来たのならそれはそれで、エースやジンベエたちは悔やむのだ。ならどうしてほしいのかとクロコダイル、嗜虐の趣味が浮かんでくるが、それはこの場合どうでもいい。
「上で暴動でも起きたか」
あり得ない、とは思うが、しかし地震や白鬚騒動よりは今起こりそうだ、と思うことを口にする。上の階には、確かクロコダイルも知る男が何人かいたはずだ。秘密結社を作った際の、部下がいた。騒ぎを己から起こすような者は一人もいなかったが、誰かが騒ぎを起こせば便乗するくらいの気概はあるだろう。
「暴動って、囚人とかが暴れてるの?」
「他にあるか?」
「サディちゃんが遊んでるとか」
「お前んとこのドS中佐並だったな。そういえば」
「え、クロコダイルくん遊んでもらったの?」
話がずれている。あいにくここに突っ込みができそうなタイプはいないのでこのままぐだぐだと会話は進みそうになったけれど、、そこできょとん、と事態に気づいた。今は、このフロアの生物の時間を停止しているとはいえ、長くは続かない。ということは、やはり己はここに長くはいれないし、それに、暴動が起きているのなら、きっとそれは、サカズキが困るだろうと思った。
この、忙しい時に、エースを収容している監獄で騒ぎが起きるのは、やっぱり、駄目なんじゃないかと、そう思った。その騒ぎ、が、世界を動かすようなものだったりすれば、は傍観するつもりだったが、ただの囚人どもの起こしている暴動は、よくない。
「……ちょっと、行ってこようかなぁ」
ぽつり、と呟く声。気安くそこの雑貨屋まで、という程度の響きで、しかしなかなか本気らしい。クロコダイルはあきれた。無力、どこまでもよわよわしい生き物が、銀メダリストのひしめき暴れる地獄で何ができるのか。しかしそれを口に出したところで、もうは聞かぬのだろう。
さらさらと流れる砂の音がした。悪魔の声を封じられた己とはいえ、その音ははっきりと聞こえる。人の言葉に直せば、それは「それでしまい」と、そういうことだ。
自然系、肉食の動物系の能力者は誰も彼もがいとしいと、彼女を思うのだ。手と手が触れ合うこともなく、目が合うこともなくとも、必ず、を「いとしい」「まもりたい」「たいせつ」だと、そう、心の底から、恋い焦がれる。その理由、その原因、結果をクロコダイルは知っていた。だからこそ、この言葉の意味も、そして、なぜ今、霞がかったすべてがきれいに晴れたような心持が己の中からするのかも、離れた場所の火拳のエースが、己の意思ではなく、その目から大粒の涙を流していることも、わかった。
「お前は死ぬのか、パンドラ・」
名を呼び、目を細めれば目の前の、まっ白い髪の少女が静かに微笑んだ。
Fin