「それで、説明してもらおうか。なぜがここにいる」
ゴゴオゴゴオオオと、普段よりもシリアス雰囲気背負ってモモンガ、地を這うような低い声で唸って問うた。いやぁ、ただでさえ我儘姫&爆弾(蛇姫・トカゲ)のコンビの自己中っぷりに振り回されていたとい
うのに、ここにきてその上にまでの登場。いや、それはまぁ、別にいい。百歩譲って、それは良いとしよう。だがしかし、この現在の状況で、が海軍本部、あるいはマリージョアを離れるなどあってはならないことだった。
「……」
ちょこん、と椅子に腰かけたはぼんやりとした青い目をこちらに向けてくるばかりで何も言わない。黙秘するつもりかとモモンガが眉を寄せると、そのの襟首をハンコックが掴んで持ち上げた。
「ハンコック!何を、」
「そちは黙っておれ。わらわはこの者と話がしたい」
ただ会話をするだけなら随分と物騒なこと。七武海が海の魔女に手を出すなど前代未聞。このインペルダウンで行われる事象はすべて闇に葬られるとはいえ、さすがに焦った。その焦りようを、普段ならニヤニヤ眺めているだけのトカゲ、しかし今はひょいっと、ハンコックの横に進んで、を掴みあげている白魚のようなハンコックの手に触れた。
「止めてあげてくれ。姫君」
「……トカゲと申したか。そち、気づいておるのだろう」
「ふふ、おれは能力者ではないがね」
トカゲの含み笑い、普段の不気味さがまるでなかった。どこか力なく笑うよう、である。モモンガは完全に会話に取り残され、説明を求めようとしたがその前に、背後からぬっと大きな男、マゼランが口を挟んできた。
「それの身は暫しインペルダウンが“預かる”が、よろしいですかな」
「をインペルダウンに引き渡すわけにはいかん。常の規定が、」
「状況は変わりました。モモンガ中将どの、ことは貴方の権力の上になっている」
渋い顔をしてためらうモモンガをマゼランが諭した。能力者であるマゼラン、先ほどハンコックが感じたらしい「変化」を同じように悟っている。毒、ドクドクの実の能力者。超人系の中でも例外的に“悪魔の序列”に食い込んだ身である。
「中将殿はハンコック殿の護送という任務を既に本部よりいただいておられます。ポートガス・D・エースの処刑まであと30時間を切った、迅速に、お願いしたい」
「しかし、」
確かに七武海を戦力として本部へ招集させることが現在モモンガに課せられている一番の使命である。だがインペルダウンにがいて、それを確認しておきながらおめおめおいてきたなどと、大将赤犬に知れたら、それこそ大変なことになる。
「やはり、」
そういうわけにはいかないだろう、反論にしようとしたモモンガの口を、がぼっ、と、トカゲがふさいだ。
それもしっかり、口で。
世界中の全てが
ぶちゅぅうううううう、と、これはギャグなんですかというような音があたりに響く。蛇姫はこれまでそういうシーンをみたことなかったのか「きゃぁ」と頬を赤らめて、ハンニャバルは「げ」と顔を引きつらせ、ドミノは相変わらず表情をサングラスの奥に閉じ込め、それぞれの反応。
ふはっ、と、しっかり舌まで入れてさんざん翻弄し、トカゲは唖然と、そしてどこか顔の赤くなっているモモンガを放した。
「な、な、な、なななな、な!!!!?」
「なんだ上官どの、お堅そうな顔の割にはうまいな、ふ、ふっふふふふ」
「な、何をする貴様ぁああああ!!!」
さすがに今度は本気でキレたらしい。ヒュンっと刀を抜いて斬りつけてくる。いやはやからかい甲斐のあること、ではなくて、まぁ、物騒なと白々非難の言動堂々吐き捨てる。真赤になった頭、ゆでた蛸のようとケラケラ笑いながら、トカゲ、長い髪をかき上げた。
「ガタガタ言うな。生娘か何かじゃああるまいし、接吻の一つや二つ」
「この状況で、この場で、しかも貴様にそんなことをされる覚えはない!!!」
「長い人生、大衆の面前で犯されることだってあるだろう。それに比べれば軽い軽い」
ふっふふふふふ、と、どこまでも物騒なことを物騒な笑い声、響かせながら平然という。そしてモモンガは「っは、このままではこのバカのペースになる!」と気を取り直した。さすがは中将殿、どこぞの翻弄されてばかりの元少将とはわけが違う。ぐっと腹に力を込めて、トカゲを怒鳴りつけた。
「貴様も海兵ならこの状態に緊張感を持って行動せんか!」
「ふふふ、ふふ。おれがまじめに仕事したら世界がそれこそひっくり返る」
「確かに……って、そういうことではない!!!大体キサマ、がここにいると知っていただろう!!!!」
「それがなんだ。赤犬どのにはバレてないからヘーキヘーキ、無問題」
ぺらぺら手を振って、トカゲ中佐殿、どっかりとの向かいの椅子に腰かける。まぁしかし、実際に赤犬どのにバレていないなどとは欠片も思っていない。の身に冬薔薇が刻まれている限り、それ自体が発信機のような役割を持ち、赤犬どのにはの行動が筒抜けになっているはずだ。そして先ほどの、悪魔たちの声の“消失”は当然サカズキとて感じ取っていること。それでもこのインペルダウンに電話の一本もないのだから、トカゲはさめざめ、あの男なんぞ死んでしまえばいいと思う。
「の傍にはおれがいる。それで問題、ないな?」
「……しかし…」
確かにこの状況、モモンガは一刻も早くハンコックをマリンホードへ連れていかなければならない。だがを置いて行けぬ、そこでトカゲがここに留まるのであれば、現在とれる良策のような気もしなくはない。が、ここでトカゲがただの信頼のおける部下であればよいのだが、この女はどこまでも、トカゲなのである。果てしなく不安要素が増すばかり。
だがあまりここで悩んでもいられない。何だこの、デッドオアライブ、と胃の痛い思いをしていると、バタンッ、と乱暴に扉が開いた。
「トカゲ中佐!!!!本部より通達が!!!」
駆け込んできた、インペルダウンの職員。通信兵らしい人間が、ノックの礼儀も忘れてバタバタとトカゲのもとへ走ってくる。あまりにあわてた様子にトカゲも「おや?」と眼を開いて、そして通信兵が何か耳打ちした。
「……丁度いい」
「どうした?」
伝えおえて、またバタバタと通信兵は去っていった。その背中を見送ったトカゲは長い脚を組み替えて、目を細める。
「賢しい老人どものご指名だ。このおれに、新世界へ行けと。今すぐに」
「何?この状況で、か?」
一応、トカゲとて海軍本部の戦力の一つとして数えられている程度の腕はある。白ヒゲの主戦力には及ばぬだろうが、しかし並の海兵よりは確かに強いのだ。今はわずかでも力の必要だという状況でその命令の意図を探ろうと問えば、あっさりトカゲは答えた。
「新世界にて、赤髪が少々小競り合いを起こしたそうだ」
「赤髪が!!!?待て、何かの間違いでは……」
せっかく先ほどの通信兵が耳打ちしたことをこうも堂々と語ってよいものかとそういう配慮はないのか、この女。いろいろ突っ込みどころはあるが、しかし、赤髪、四皇のその騒ぎには驚くところ。赤髪のシャンクスといえば、四皇の一人に数えられてはいるものの、その気性は極めて「穏やか」(あくまで海賊として、のではあるが)とされている。巨大な力を持ちながら、それでいて自分から世界をどうこうしようという男ではない。そういう男がなぜ今このタイミングで小競り合いを起こすのか、素直に目を見開けば、トカゲ、さして面白くもなさそうな顔をする。
「相手はカイドウどの、ふん、どうせこの機にエドワードの首でも狙ったのだろうよ。どうせやるならもっと楽しいこと、エドワードに加勢でもすればいいものを」
「物騒なことを言うな。―――なるほど、それで赤髪がそれを止めたのか」
そういう理由ならばわかる。だがしかし、四肯同市の小競り合いなど、常の状況であったとしても大変なことだ。それがいま、このタイミングで起こる。
(なんという不安定な海なのだろう)
「ただならぬ事件だ……!!なら一刻も早く海軍本部へ戻らねば!!」
「それで、おれに新世界へ行き、赤髪に協力してこいとさ」
「……なんだと?」
「賢しい老人どもの考えそうなことだ。おれの容姿、配色はに似ているからな。に罪悪感を覚えてしょうのない赤髪なら、まぁ、無碍にはせんだろう」
海軍本部、世界政府がそのまま、四皇に協力するなどできぬこと。だが現状、政府は白ヒゲとことを構えるために全勢力をマリンフォードに終結させなければならない。そこで新世界での「海賊の抑え」としてそのまま、四皇を利用しようというのである。シャンクスのこと、それは気づくかもしれないが、しかし、世をどうにかしようとは思っておらぬ男、むしろ平和を好むところがあるのなら、たとえ政府がそういう意思であろうと、かまわぬかもしれない。
その監視、あるいは操縦者としてトカゲの派遣。トカゲなら馬鹿正直に「ちょっと力を貸せ」と言ったところで違和感のない人間。果てしなくふざけた人格、ふざけた言動しかしない女ではあるが、確かに、適任者。
あの老人どもとトカゲが言うのは、不敬にも五老星を指しているのだろう。
「そうか……頼んだぞ、トカゲ」
「あ、おれ海兵辞めるから」
己の教え子でもあるトカゲがそのような重大任務、いろいろ突っ込みどころのある部下だったが、しかし感慨深くなるもの、世界の、海の平和を託してそういえば、トカゲ、あっさりとのたまった。
「まぁそろそろ潮時だろう。おれがもともと海兵になったのはのそばに都合よくいるためだ。このタイミングでの傍を離れろと命令があるなら、てっとり早く辞める」
「ちょっと待て!!貴様……!!今ここで優先するべきは……!」
「以上に大事なものなどおれにはない。あ、おれの嫁は別だがな」
「か、軽口を……」
フルフルと怒りばかりが増してくる、しかし、あまりここで漫才もしておれぬ現実。モモンガはバッと踵を返し、悔しそうに顔をしかめながら怒鳴った。
「身勝手な都合での辞職は軍法会議にかけるぞ!」
「是非ともそうしてくれ。それまでインペルダウンで謹慎してるから」
◆
「行っちゃったね。いいの?」
バタンと乱暴にモモンガが出て行った扉を眺めながら、ぼんやりと口を開く。眠気眼のような心持、ふわり、ふわりと何度かあくびをして、目をこする。
「ふ、ふふふ、インペルダウンで謹慎、大義名分をいただけた。だからおれはあの上官どのが好きなんだよ。おやさしいおかたじゃあないか」
まぁモモンガとしてはそんなつもりはないのだが、結果としてはこうなった、ということだろう。それにの身を一人きりにはできぬとそういう心もあったに違いない。
「キミがいうと悪意があるよね。僕としてはシャンクスのところに行って欲しいんだけど」
「冗談だろう?おれとて元の世界ではシャンクスにさんざんトラウマ作ったんだ」
堂々言い放ち、トカゲの脳裏に浮かぶ懐かしい赤い髪の少年の姿。こちらの世界のあの子とはまだ接触をしていないが、しかし、普段のの言動、それに時折の鷹の目の言葉から推測するに、こちらのも己と変わらぬことをシャンクスにしたのだろう。いや、正確にはされた、というほうが正しいか。どちらでも構わないといえば構わない。そして寧ろ、そんなことを十何年も悔いているんじゃあないとばんばん背でも叩いてやりたかったが、まぁ、それはそれ。
まっすぐにを見、トカゲは目を細める。
「それで、卿、どうしてそんな気配になった?」
ぼんやりとした眼、何もかもを忘れて眠ってしまいたい幼い子供のような、どこまでもどこまでも、虚ろ、雪洞のようなか細さ。白いのどの震えまでもがどこか儚くて吐く言葉の一つ一つすらが幻のような心持。それでいて、確かにまだ彼女はここに存在できているのだという確信があるのだから奇妙なもの。トカゲは先ほどレベル6にてに海水を浴びせた時、わずかにふわりと香った死のにおいを思い出した。
「このおれが相手だ。ネタバレくらいさっさとしろ」
「簡単だよ。僕は間もなく消える。サカズキを愛してしまったからね、パンドラ・の封印が解かれてしまったから、そうだね、僕はあとしばらくで消えてしまうんだよ」
なんでもないように言う、そしてふわりとしたあくび。誰もかれもがそれを止めようとしていたのではないかと、そういう突っ込みをトカゲはしたかった。だというに、その最悪の展開を、さしておおごとでもないようにあっさり言う。、その顔に苦しみも悲しみの一切もない。そのことがトカゲには引っかかった。そして、サカズキを愛してしまった、という言葉、に、やはり違和感を覚える。
己が赤旗を愛していると自覚した時はどうだっただろうか。引き合いに出す要素がそれしかないのでなかなか笑えるが、しかし、こんな顔は絶対にしないだろう感情の芽生えだったのではないかと、思い出す。この、長い年月を生きてきた魔女が、たった一人を愛し、焦がれてしまったと自覚した時は、喜び、悔い、罪悪感、憐憫、幸福、様々な複雑な感情が入り混じってのことだった。だというのに、今目の前のの顔、鬱陶しいことをわかってしまったのだ、というような、そんな、顔、声、である。
「本心か?」
「何にかかる問いかけか明確にしないのは確信がないから?それとも、一言で複数の回答を得よう、なんていうずぼらさから?」
「卿は赤犬が死ぬことを恐れていたはずだ。さかしいことに、己が死んでも赤犬さえ生きていればいいと、そう思って、このインペルダウンにやってきていた。それが、今は何を思っている」
「決まり切っているよ。愛しいサカズキの命を助ける、それだけだ」
トカゲは素直に、嘘だと判じた。そういう生き物ではなかったはずだ。いや、魔女とは、嘘がつけない生き物でなければならない、その道理を己も、も固く守ってきていたのだ。嘘をつくということは、道理に反することである。だから魔女が嘘を付けば、そのとたん身の内にある真理自身で否定することとなり、魔術の一切が扱えなくなる。
「卿、何者だ?」
わずかな巡回、躊躇う言葉、しかしそのままに問う。何もかもが手おくれになってしまったのではないかと、そういう予感がトカゲの中に沸いた。はとうに消えてしまったのかと、そういう、恐怖。己がと離れなければよかったのかと、そういう、悔いの念が湧きあがる。ふわり、と、がほほ笑んだ。
「僕はだよ」
「違う、卿は、違う。どこか、変わってしまった。卿の中にある、魔術師の階位が、」
「ねぇ、トカゲ」
は淡い笑みを浮かべたまま、トカゲの頬に手を伸ばす。ぴくり、と、皮膚の震え。今はもうない右目の眼球のあった場所に触れるように延ばされた指先が、虚ろな空間に入り込んだ。トカゲはまだ残っている左目を見開いて、唇を噛む。
「ここへ来る前に僕に誓ってくれたね。キミは僕の剣、僕の殺意、僕の前に立ちはだかる全てを薙ぎ払って、僕を煩わす一切を滅ぼしてくれる、そう、誓ってくれたね」
「……あぁ、誓ったよ。おれは卿の夢、卿の幻だ。卿の望みをかなえるよ」
ふわりと、花のにおいがした。薔薇のものではない。白い、まっ白い、花の香り。どこかで嗅いだ覚えがトカゲにもあった。遥か昔、遠い、遠い、昔のことだ。あれは、己が火をかけて燃やしてしまったセフィロト・ツリィーがつける、花のにおいだったか。
トカゲはの小さな体を抱きしめて、そのまま、その幼い子の赤い唇が己にささやく言葉、信じられぬと歯を噛み締めたい思いを覚えながら、患いながら、それでも、頷いた。
「それが卿の望みなら」
Fin