傲慢尊大、をそのままひとの形にしたような薄ら笑いを浮かべた少女、毒の枢機卿と名高い男、インペルダウンの主どの、マゼランを見上げてゆっくり口を開いた。
「この僕が、己で所業を悔いて改めてやるのだから、昔の僕の部屋の鍵をよこしなよ、マゼラン」
堂々とした様子、先ほどまでのぼんやりとした、覚醒間際の子供のようなまなざしは欠片も消えている。マゼランは何かを違和感、覚えたのだけれど、しかし、ただ、深いため息を吐いた。
「もはや毒など、貴様には効かんのだろうな」
「それがわかっているのならなおのこと、僕を閉じ込めておくべきだと思うよね」
息も絶え絶えに
この地獄に就任して間もないころのことを思い出す。まだあのころは、毒の身ではあれど、今のように開き直りはしなかったマゼラン。己がただそこに存在するだけで周囲を害する存在であることが耐えられなかった。閉ざされた空間にひっそり閉じこもるのも、狭苦しい場所を好むのも、ただ、己の存在を密閉空間に閉じ込めてしまって、できる限り、この、毒を撒き散らさぬようにと、それだけに気を配っていたころである。
海の魔女、嘆きの魔女、悪意の魔女と、そう、世に呼ばれる少女を前にしたのは、その頃のことであった。
随分と幼い顔をしていると、その時はただ驚いた。罪人を処すいる権限を持つためにこれまで歩いてきた人生で、海の魔女のことはある程度知らされてきた。だからこそ、当初出会ったただの小さな、目の青い人形のような少女が、これが世を脅かす現況となりうる可能性をはらんでいるとは早々には信じられず、だが、絶対的な正義のための身代わりヤギであるというのであれば、納得もできていた。
幼い目を、ただ体の大きなマゼランに向けてあの時にのつぶやいた言葉をマゼランは今でも覚えている。その時にどれほどの思いがしたのか、どんな罪悪感を覚えたのか、それは世の、誰にも知られることのない、そんな必要のないこと、ではある。だがしかし、インペルダウンの「日常」をそれからマゼランが死守するようになったというのはサディちゃんあたりならば気づいたかもしれない。
「報告します!麦わらのルフィは現在レベル3の吹き抜け塔の内側を入り込んでいます」
「映像は確認できないそうで……」
このインペルダウンへの侵入者。前代未聞のことである。先ほど、とトカゲ中佐が現れたこととて異例の中ではあるが、このインペルダウンは400年前はその上空に一つの島を持っていた。で、あればその跡地ともいえる地獄に、魔女の井戸がないわけがない。であれば、たちの登場はそれほど驚くべきことでもなく、また、がこのインペルダウンに弓引くことはないとわかっているマゼラン、それは現在、とくに取り合うことでもなかった。ただひとつ懸念するといえば、の中から悪魔に呼びかける声が消えうせたということ。マゼランとて、それがあの、世界の敵の目覚めにつながるとはわかっている。だからこそ、今をこのインペルダウンから出すわけにはいかなかった。深い、海底に沈むこの牢獄であれば、まだ、パンドラ・との間に隔たりができる。
だから、今現在、マゼランがどうにかせねばならないのは、ただ、インペルダウンに日常を取り戻すことである。侵入者は処罰する。必ず捕えて、そして、何もなかったようにする。
「何ならそのままこのフロアへ落下してくれれば手間が省ける。あの下は煮える血の池、あいつらは全員能力者だ。落ちれば命はない」
部下からの報告を椅子の小窓で聞きながら興味のさしてないように呟いた。てっとり早く、すべてが片付くとそういうつもり、すると相次いで、そのルフィがすでにこのフロアへの侵入を果たしたことを告げてきた。
「それが、その、吹き抜けから落ちてきた模様で……」
「穴の真下は血の池のはずだ。なぜ助かった?」
映像がないのでなんとも判断のつかぬこと、いや、しかし、と改めて考える。巨大な瓦礫が落下したという報告も同時に受ける。では、巨大な瓦礫のお陰で回避できたと、そういうことか。なんと運のいい連中だと舌打ちしていると、さらに、と続ける声。
「獄卒獣ミノタウロスも動かぬ姿で落ちてまいりました……!!!」
「!まさか、やられたというの!!!?」
その報告にいち早く反応したのは、傍らのボンテージ服の、サディちゃん。珍しく焦った顔をして声を上げる。彼女の可愛がっている獄卒獣、人をいたぶるのは好きだが、おのれの可愛がっている獣らに危害が加えられると、ずいぶん幼い顔をする。まぁ、それはどうでもいいのだが。
「落ち着け。警備兵の認証なしで使える階段は2つだけだ」
マゼランは脳内にインペルダウンの構造を浮かべつつ、今後の指示を出す。それではこれから、3隊にわかれての行動が良いだろう。今いるこのレベル3への階段はハンニャバルに任せ、サディちゃんたちはレベル5への階段を守る、そういう指示を出した。
いろいろ二人が文句のある顔(サディちゃんはあからさまに反論してきたが)をしてきたので、ため息ひとつ。良い具合の絶叫が響く。
「とらえたあとは貴様の好きにするがいい」
「最高…!それたまんない!」
サディちゃんはミノタウロスのやられた恨みもあるだろう。それを考慮しての追加を出せば、うっとりと赤い唇に笑みが漏れる。こうしていれば妖艶な女性に見えなくもないのだが、そういう色香を感じさせぬのがこの女性のよいところ、と、そんなことをぼんやり思いながら、マゼランは獄卒達を振り返った。
「残る獄卒度どもは全員でやつらを追え、殺してもかまわん」
血の池付近の橋の上、ぎゃあぎゃあ騒がしく行き通る四人組。一人は麦わら帽子を首にかけ、三人は囚人服を纏う様子。そのうちの一人がやけに妙な動きをするものだから、トカゲはなんだかおかしくなって、ふふ、と、このしばらくはなかった笑いが漏れてくる。
(あぁ、あれが、アラバスタで麦わらたちをヒナ嬢から救ったという。オカマ)
ぼんやり思って頬杖をつき、ひょいっと、そのあとを追う。熱い、熱い、灼熱のフロア。この下は確か氷のところだとか、なんだとか。あ、いや、それはもう一つ下だったかと、それはトカゲの記憶するところではない。
「あっつうううぅううう!!!アツツウゥウゥアア!!!」
なんだかギャアギャと騒がしい連中。オカマ、のフルメイク。たしかインペルダウンに移送される前に取られた写真ではそこそこの顔をしている男に見えたが、まさかこの牢獄でメイク道具でも手に入れたのだろうかとトカゲには少々の疑問。それはそれで、己を貫こうという姿勢が面白い。オカマ、オカマ、まぁ、オカマ、ねぇ。トカゲにはこれまで縁のない人種。どっちかといえば、「え、なにそれ」と顔を引きつらせたい偏見もあった。まぁ、それはいいのだけれど。
「なんだ、麦わらたち。レベル5に行かんのか?」
おや、と眺めていると麦わらのルフィ、血の池のすぐ脇にあるレベル5への階段ではなくて、その反対側へ向かっていく。確かさっきに見せられた簡単な地図では、あの位置にあるのは調理場とか、食糧庫とかそういうところだった気がするのだが。
まさかこの状況で食に走るのか。
「あちしもお腹ペコペコー!!!」
いや、まさかそんな阿呆なとトカゲが己の思考を否定していると、そこにオカマの盛大な声。さすがにずるっと、頬杖ついた手が滑った。
それで何か口ぐちにわめいて、オカマとルフィはそのまま調理場の方へ向かったのだけれど、しかし、赤い鼻と、変な頭のおっさんはそこでふいっと、姿を消した。おや、と、トカケは首をかしげ、一度ルフィたちの方を見てから暫し沈黙。
「まぁ、からバギーへ伝言、あったしな」
そのままひょいっと、体を動かし、バギーたちの方を追う。毒の枢機卿殿の動く気配がしたが、まだ、多少なれば時間もあるだろうとそう算段をつけてはおいた。
◆
げ、と、バギーの顔が見事に引き攣った。
相棒、ミスター3に調理場への道を阻まれて、姿を隠せる場所まで二人で避難して、はよかった。それで何だと詰め寄ろうとした刹那に、目の前に現れた暖色の髪の女。
「て、て、てめぇは!!!?な、な、なんでこんなところにいやがんだ!!!」
素直に驚いてくれる、真っ青な顔の道化師の様子。トカゲはコロコロ笑ってから目を細めた。
「おれはではないよ、配色やら顔は似てるがね。おれはトカゲ、見知っておけ。道化のバギー」
「な、何者かね!!?リトル・ガーデンで出会った少女に似ているが……」
見ればミスター3もを知っているようで驚いた顔をして、トカゲと名乗った女から距離を取る。バギーはたらり、と汗を流した。いや、これ、この女はどう見てもではないのか。確かにバギーの知るはどこまでも小さく、幼かったが、しかしそれはもう随分と昔のことだ。船長の処刑の時に押さなかった、であれば、それが20年前だから、今のこの女(いや、30歳にゃ見えないが…)成長したとしてもおかしくないだろう。
だが、違うという。バギーは警戒するようにトカゲと距離を取った。
「テメェが何もンだろうと関係ねぇ、今この状況でおれ様の前に現れるやつは敵だ!!」
「そう血気盛んに騒ぐんじゃあないよ。赤い鼻のバギー」
「やっぱてめぇじゃねぇか!!!その呼び方、忘れねぇぞ!!!」
「だから違うと言っているだろう。そんなにしつこいとここから突き落とすぞ」
ぎゃあぎゃあわめいても、トカゲはふんと鼻で笑うだけである。この、落ち着きよう。確かにバギーの知るとは少々違う、とは思う。だが年月を隔ててそうなった、ともいえるのではないだろうか。解らずに黙っていると、ふむと、トカゲが首をかしげた。
「そうか、卿、知らない数少ない輩なのか。ふ、ふふ、ふふ、ふふ、が気にかけていたのもわかる」
「?何のことだ」
トカゲ、という、隻眼の女。すぅっと目を細めて、その白い指でインペルダウン、レベル4の周囲を刺した。
「ごらんよ、道化の。獄卒たちがほとんどいないだろう?兵士が良い具合に隊を成して進んでいる。そこの3は気づいていそうだが」
「……君が何者かはしらんがね。あぁ、確かに、気づいていた。我々は待ち伏せされ、このフロアに閉じ込められたのかもしれん……!!」
相棒、ミスター3の言葉。バギーは素直に聞きいれたが、信じたくはなかった。このレベル4に自分たちが来てしまったのは不幸な事故。インペルダウンの狙いは侵入者である麦わらではないのか。
「残念、卿らは見事に顔と名前がわれている。脱獄囚としてな。掴まれば拷問だぞ?ふっふふふふ」
「ぎゃああぁあああ!!!まじか!!?まぢか!!!?ど、どうするよ相棒!!!」
「私が恐れているのは……この騒動を打ち止めするため、このフロアにインペルダウンのオールスターがそろっているのではないかと、その点だ」
騒ぐバギーとは冷静さが違う。ミスター3のその言葉。おや、とトカゲは口の端を上げた。この賢しい男、この男がバギーといるのなら、の伝言もあまり意味がなかったのではないかと、そう思う。
「ふ、ふふ、よく気付いたな」
「……!やはり……!」
肯定の笑みを漏らしたトカゲに気づき、ミスター3が唇を噛む。
「の、残り三人の獄卒獣、監獄署長マゼランまでもが出て来ているのかね……!!」
「そうだよ」
「お、終わりだがね……もう、道はない……!!!」
がくっと膝をついたミスター3を見下ろして、トカゲはさてどうするかと肩を竦めた。見ればバギーは恐ろしいと言わんばかりに周囲を見渡している。いやぁこの二人の小物っぷりの楽しいこと!と、そんな悪戯心を浮かべていると、どさり、と、上から何か落ちてきた。
へどろ、のようなゼリーのような、液体?
「おや、これ。マゼランどのの毒じゃあないか」
トカゲのあっさりとした言葉と同時に、オカマの絶叫が響いた。
「マ…マゼラン!!!!!!!!」
見ればトカゲの視線の先、ルフィとオカマが二人、上からどさりと降ってきた漆黒衣服、毒の枢機卿殿とご対面。いやはや、よくもまぁ、お怒りな様子と、トカゲがさめざめ思って、小さく舌打ちをした。
Fin