腹部に受けた衝撃に、マゼラン、随分と久方ぶりに膝をついた。がっくりとインペルダウンの床に膝があたり振動、痛みにより体じゅうから制御しきれぬ毒があふれ出た。どくどくの実を口にしたマゼラン、平時からどうしようもなく毒のあふれ出す凶器である。意識をはっきりと保たねば、ただの殺人兵器と化す。強靭な理性と精神を持ってして、能力を御し、インペルダウンの長という身分を当然としてきた。
それが、追い詰められたたった一匹のネズミにより崩される。驚愕、はあった。だがそれを顔に出すようならば役人などできぬという己の矜持、ひしりと守り、ぐっと、モンキー・D・ルフィを見つめる。

「この俺に膝をつかせようとは、大したものだ。だが、その手についた毒は十分にお前の身体機能を奪ってゆく」

毒の身のこの自分を、素手で殴り飛ばした麦わらの海賊。付着した毒に呻きを上げて、唇を噛み締める。どろり、と、皮膚や肉が焼けただれていく音がマゼランの方にまでよく聞こえた。

(激痛だろうに、気の毒な)

ぼんやりと、マゼランは思う。この世で最も苦しい死に方、というのは拷問の名所インペルダウン、いくつか候補があるのだけれど、マゼランは己の毒で死ぬことが最も苦しいのではないかと、最近そんなことを考えるようになった。

インペルダウンの長、この世の罪人の全てを処する権限を持っているこの己。これまで数々の罪人の命を奪って来た。毒の能力を手に入れたころなど、これでどんな強力な犯罪者たちにも引けを取らぬと、轟々と罰と称して毒を浴びせたこともある。だが、いつの頃からか(あぁ、そうだ。あの、魔女。幼い顔をして、どこまでも世に悔いた影をしている、暖色の髪に青い目の咎人が己に笑いかけた瞬間だ)マゼラン、裁きとは何か、そして、なぜ罪人に罰がなければならぬのかと、それを考えるようになった。そして、いつからか己は、やみくもに拷問・罰則のたぐいを行うことを疎んじるようになった。シリュウとの確執が芽生え始めたのは、おそらくその頃からなのだろう。

そしてその、罪を償うために罰がある、と、当然ではあるが、世の極悪とされる犯罪者たちを前にするとすっかり忘れ去られてしまいがちになる道理を取り戻した目で見れば、己は、どうも、己のこの毒で死ぬことが最も苦しい死に方なのではないかと、そんな風に思えるのだ。

殴られ、切られる痛みは一瞬で済む。水責めも、火炙りも、終わりがよく見えるものだ。だがしかし、毒は、そうはいかない。最初から最後までの激痛。じわりじわりと、だんだんと、己の身が苛まれ、奪われ、えぐり取られていく。マゼランは、己の意思で毒の重度を変えることができる。ひと思いに殺してやることもできるが、しかし、罪人を殺すのは世界の意思であり、マゼランの意思であってはならぬ。でなければ、罪人はその途端に受難者となってしまう。加害者であった者を被害者にすることは、マゼランの中の正義が許せなかった。だから、できる限りマゼランは罪人の命を奪うようなことはしなかった。それでも奪わなければならない時は、己の罪をよくよく噛み締められるように長時間の地獄を与えた。

どこか矛盾していると、時折トイレの中でマゼランは考える。揺らいでいるつもりはない。だが、どうしようもなく、そう思ってしまう己が、昨今いた。

「もう諦めろ。お前に出来ることなど何もない」

息を弾ませ、鼻息を荒くし、全身を震わせながら、それでもマゼランに向かってくる麦わらの少年を見下ろし、マゼランは呟く。火拳のエースは、この海賊の兄なのだという。兄を救うために、この子供は(マゼランから見れば、彼はまだ、どこまでも幼い子供だ)こんなところに一人で来て、そして、ただの超人系でしかない身で、毒の竜に挑もうと、そういうのだ。

「嫌だ……!!!諦めるくらいなら……!!!腕なんかいらねぇ!!!足も、耳も、目も、いらねぇ……!!!」

血を吐くような声、必死に必死に、前に立ちはだかる己に向けて吠える声。どれほどにマゼランの身に打撃を打ちこもうと、その度に触れた箇所から毒が付着し、動くたびに回る。麦わらのルフィの能力、ゴムゴムの身は、文字通り体を伸縮自在に操ってのこと。では、腕を伸ばし、それを縮めるたびに、体中に毒の巡りが早くなるだけであろう。合性の良し悪しも能力者の対決にはあるもの。毒とゴムは、毒に分があった。

マゼランは毒竜、毒雲、を連続で行った。毒の竜に、霧のような毒。ごしごしと少年が眼を擦るたびに、視覚が失われていく。

「……毒はやがて、お前から全てを奪う」

目が霞み、聴覚も失われ、すでに毒をたっぷりしみ込ませた両手はただれ落ちる寸前である。それでも、麦わらの目に絶望もあきらめも見えない。

どさり、とついに崩れ落ちた体をマゼランは見つめて、片膝をついた。その途端、麦わらの足が伸び、マゼランの左脇を通り過ぎる。見えぬ目では、どうしても当たらない。それでも、見えぬ目、神経の麻痺した体で必死に、マゼランに攻撃を続けるその姿。

(痛々しい、だけだな)

フロアの火がこちらにまで伸びてきた。ゴムの腕が火を掴み、毒に引火する。炎に身を包まれて転げながら、しかし、戦闘の意思は、やはり消えぬ。なぜ、そこまでするものか。その精神力、これまでどの囚人たち、あのクロコダイルの精神力とも違うもの、ただただ驚き、そして関心さえした。

炎にのたうちまわるその姿を見下ろして、マゼラン、そっと息を吐く。

「もう、いいだろう……?」

呟き、どっぷりと、マゼランの身から毒の竜、猛々しい塊があふれ出る。竜の口から食われるように、全身に、その竜の毒を浴びせ、あっけなく、海賊の動きが止まった。床に仰向けに倒れ、どこまでが皮膚でどこまでが毒の液体かもわからぬほど混ぜ合いになって、時折ピクリ、と動く。

「……これが貴様への刑罰だ。侵入者」

24時間、苦しみ続けるだろう。これだけ重複した毒に解毒のすべなどない。現代の医学で、どうこうできるレベルではない。

「本物の地獄へ、堕ちろ」
「どっちかっていうと、この子は天国行きじゃあないか?」

炎と毒の霧の中に、傲慢な女の含み笑い声が響いた。

はっとして振り向けば、背後から容赦のない銃弾、一発。毒の盾は鉄をも溶かすと、そのはずであるのに、どっぷりマゼランの前に現れた毒の壁を打ち破り、弾丸がマゼランの左肩を打ち抜いた。

さっと、肩を押えて、マゼランは目を細める。振り向いた先、インペルダウンの壁、片手に銀色の小銃を構えた、暖色の髪の女海兵、正義のコートを颯爽と靡かせて立っていた。右目は黒の眼帯、傲慢そうな笑みを唇に引き、悠々とマゼランを見下ろしている。

「呼ばれなくても飛びでてじゃじゃじゃじゃーん。御機嫌麗しゅう、毒の枢機卿どの。トイレで懺悔してる暇があったら教会行けよ」

と共にこのインペルダウンに残ったはずの、トカゲ中佐である。この女海兵の扱いは本部でも「爆弾」とされているらしいが、マゼランは、そんなことは知ったことではない。見た限り、がトカゲを信用していた。それだけで十分である。マゼランの脳裏に、インペルダウン、レベル6の独房に送り込んだの姿が過ぎった。悪魔の声から解放されてまだほんのわずかだが、危険性は良く分かっている。だから、がこの場に閉じ込められていることを強く望んでいるのだが、しかし、頭のどこかで、おそらくもうあの独房にはいないだろうということも分かっていた。

そして、今、が残したトカゲ中佐が、こうして己に銃を向けている。その事実で、もう十分だ。

「海軍を辞したお前が、この場、この状況でこの俺に銃を向けることは、どういう意味になるか理解はしているのか」
「海軍海兵だろうが政府のお役人だろうが、おれは今、この場、この状況ならこうしているだろうよ」

言い放ち、チャキリ、とリボルバーの音。マゼランは飛び、トカゲの立つ壁を打ち破った。素早くトカゲの身が踊り、空中で態勢を整えてマゼランに向かって射撃する。最初の一撃こそ背後から不意をつかれたものの、今こうして相対した状態で避けられぬことはない。

どっぷりと身より毒の竜をあふれださせ、赤い髪の女へ送り流す。トカゲの身体能力で回避できる速度ではない。それでもトカゲ、銃の発射の振動を利用してわずかに速度を早め、何とか避けた。しかしその避けた場所へマゼランの毒玉が待ち受ける。

ちっと、小さくトカゲが舌打ちした。回避できぬと悟る、戦人の潔さ、などではない。

「ふ、ふふふ、まぁ、そうだろうな。おれ、か弱いし?」

その突如に、マゼランにはトカゲが笑ったような気がした。何を、と疑問に思う前に、トカゲの身が毒に飲み込まれる。








シュウシュウと岩をも焼く毒の塊が二つ出来上がり、それを交互に眺めてマゼランは眉を寄せた。トカゲはいったいどういうつもりで現れたのだろうか。彼女の身体能力、自覚しておらぬ阿呆でもなさそうである。だというのに、今この場でこの己に挑んだ理由がわからない。麦わらのルフィの助け、であればあえてこの場で挑まずに、マゼランの目を盗みこっそりと身をどこかへ移動させる、という方がいいだろう。マゼランの毒を浴びて、解毒不可になった状態ではあるが、こうしてトカゲ自身まで瀕死の状態になる、その心がわからない。

しかし、わからずとも、24時間後に、この女は死ぬだろう。たっぷりと浴びせた毒はどうしようもない。

「マゼラン署長!御苦労さまです。倒れた麦わらのルフィはいかように?」

戦闘終了を悟って獄卒たちが駆け寄ってくる。それらをよけながら、マゼランはカツカツと階段をあがって行った。

この二人は、このまま放っておいても死ぬだろう。だが、毒の塊と化したものをこの灼熱のフロアに置いていけば毒霧の発生源となる。このフロアは灼熱の業火に焼かれることが罰であり、常の時であれば毒など必要ない場所だ。

「女ともども、レベル5の中央塔へブチ込んでおけ」

ちらりと一度トカゲを見下ろす。不老不死を誇るとて毒はどうしようもないのだ。この、ただの生き物にどうすることができるのだろう。だが、一瞬、ほんのわずかにマゼランの脳裏に浮かんだ「違和感」ただの人間が、あの魔女の信頼を勝ち得るだろうか?

は、誰の事も信用しない。誰の事も顧みない。ただ一人の例外は、水の都に住む船大工らしいが、その男との絆にしても、それはまだ十年も経たぬ前、このインペルダウンで処された魚人への負い目から来るもの。そこにあるものはと対等の絆ではない。しかし、今、マゼランの目には、あの魔女は、トカゲという海兵を心から信用し、何かを託す、それだけの対等でしかるべき道理を感じているように、そんな、バカなと、これまでのマゼランの経験から否定したくなるような、ある種の奇跡のような状態があるような、そんな違和感がほんの一瞬、した。

「待て、その女…」

上がった階段をもう一度降りて、マゼランはタンカで運ばれようとしている麦わら、その隣のトカゲを運ぶ獄卒を呼びとめた。

「はい?なんでしょう……?」

マゼランは腕を伸ばし、毒にまみれた女の首を掴む。ぐいっと、喉を絞めると、毒の苦しみで喘いでいた息が詰まった。毒の身のマゼランにはよくわかる。十分に毒を浴び、そして、その毒が身の内を苛んでいる。この女に、毒をどうこうする術はない。

(だが、なんだ?この違和感は)

奇行ゆえに、何かあるのではないかと勘ぐってしまうのだ。どう考えても、あの場で麦わらのルフィを助けに入る意味がない。これがもしであれば、悪意の魔女の介入であれば、どんな奇跡をもあったかもしれない。だが、マゼランの見る限りトカゲ中佐(元ではあるが)というこの女は、ただの人間の身だ。悪魔の能力者、でもない。

「……いや、なんでもない。連れて行け」

ぬぐえぬ違和感、だがしかし、これで邪魔なものは排除された。いつものインペルダウンに戻る。

さっと身をひるがえして、マゼランは階段を上った。




Fin






 

私は署長をどうしたいんだ……!?