朦朧とする意識の中、たっぷりどっぷり身に毒を浴びたトカゲ中佐、あ、元中佐か、と己で思いつつ、トカゲ、運ばれるタンカの揺れでガクガクとその度、身が苛まれるような痛みを感じた。ふらりと瞼を開けることもままならない。音も聞こえない、喉が焼けただれるように熱い。毒を飲むのだけは避けようとしていたのだが、いやはや、やっぱり無理?というわけである。
(ふ、ふふふ……まぁ、このままだとおれの死因が毒になるな)
どこぞの狂言装いの王子殿ではあるまいに。冗談めかして思う心がある分、トカゲはほっとした。何もただの無謀無策ゆえにマゼランに突っ込んだわけでもない。そういう遊び心は持ち合わせないようにしている。全く関係のないことだが、ぼんやりと、トカゲは「なぜ無茶をせぬ己がいるのか」を思い出して、おかしくなった。
こちらの世界に来た時に、に「どうしてキミは受け身がとれるの?」とあどけなく聞かれたことを思い出す。と同じ定義によってトカゲの(いや、元の世界では同じくパンドラ・という生き物だったトカゲ)不老不死があったわけではないにせよ、と同じく、不老不死であったトカゲは、傷を負っても何の意味もなく回復し、修復されてきた。だからは「受け身を取る必要があるのか」と、そう聞いてきたのだ。トカゲとて、少し前までは「治るから良くね?」なんてふざけたことを当たり前のように扱って来たものだ。だがしかし、そうはできなくなった。そうは、なれなくなった。
(当然だ。このおれが怪我をしたら、赤旗が泣く)
治るのに、死なぬのに、それをちゃんと知っているのに。トカゲの世界、トカゲの赤旗ディエス・ドレークは、トカゲが(あの世界ではと呼ばれていたこの己が)傷つくととても、辛そうな顔をした。赤旗の苦しそうな顔を見るのは好きだ。厭がる顔なんて大好きだ。だが、そういう理由で歪むのは、トカゲは(は)全く持って、好みではなかった。赤旗にそういう顔をさせるのはベッドの中か平時蹴り飛ばして振り向かせたときだけと決めている。それ以外でそんな顔をさせるのは、認めていない。
だから無茶はしない。無謀なこともしない。だから、今毒なんぞで死ぬつもりは毛頭なかった。
自分の死因は赤旗に焦がれ死にと決めている。
テクマクマヤコン
ガチガチと凍えるよう。体中の体温というものが失われていくよう。トカゲ、寒いのはとても嫌いだった。例の冬島、桜の国をが訪れた時にぼそりと「くれはが住んでなきゃ隕石落としてでも気候変えたのに」と言うのに賛同できるほど、寒いのは大の苦手である。
毒に苛まれても寒さは感じるのかと頭の隅で思い、トカゲは隣にどさり、と置かれたルフィを横目で見た。視力が若干回復してきている。
インペルダウンレベル5は極寒地獄。レベル4が灼熱フロアだった。ではの独房があるというレベル6は、どんな地獄なのだろうか。トカゲはまだ死んだことがないので、地獄というものがどんなものなのか見たことはない。だが、インペルダウンとどちらがつらい場所なのだろうかと、ここへきてから時々、ふらっと考えるようになった。
地獄、地獄、魔女の釜の底。仄暗い地底。冥王殿の領地。そんな場所で、は、意識を沈めて、そして先ほど戻ってきた。トカゲの耳にそっと「お願い」を託した時の声、青い瞳、赤い唇を鮮明に思い出す。
今頃きっとマリージョアにて堂々と非道の言葉をあっさり「本当だよ?」なんてあどけない目で告げているのだろう。それでドフラミンゴ、あの男が苦しもうと傷つこうと、それはやはりトカゲの知ったことでもないのだが、しかし、ルフィ、今となりで、トカゲと同じ死因を迎えようとしている子供を眺めて、思う。
(遠い遠い、森の中。井戸の底で、仄暗い契約。魔女の産声、降りた破滅の悪意。何もかもを、思い出してしまった、それでもまだ、ルフィといれば、は救われたのではないか)
ずきりとトカゲの腹が疼いた。眉をよせ、息を吐く。ずぶり、ずぶりと異物が身に忍び込んでくる。血を吐くような激痛、ただでさえ毒の身で苦しいというのに、とんだ拷問オプション、せせら笑い、はっと力なくはあるけれど、声も出てきた。それでトカゲ、もう己も後戻りはできぬのだと突き付けられる。
この世界に来た時に、トカゲは、が、暖色の髪に青い目の幼い子供。赤犬のそばにいて、薔薇を刻まれている、あの子供がこの世界での己だと思っていた。王国の生き残り、空白の歴史を生きた、アマトリアを兄弟子とし、宮廷魔術師の×××どのを師と仰ぎ、××陛下を己の“我が君”と誓った、この自分と同じ生き物なのだと、そう、思っていた。
だがしかし、赤犬の行動、トカゲの世界ではありえなかった“実体のあるパンドラ”の存在。強すぎる悪魔の実の能力者たちの“飢餓”など、トカゲの世界との違い。
どういうことなのかと赤犬を問い詰めたこともある。だが、あの男は答えなかった。あの男は黙秘し、ただ一人で全てを、何もかもをしょい込み、それで何とかするつもりだったのだ。
だからトカゲは、己の手段で真理を探った。
は扱えぬそうだが、トカゲは歴史の本文くらい、読める。いけるいける、っていうかおれ最強だし?なんて世の規則やら道理やら常識をあっさりせせら笑って、海軍本部の海兵である身分をフル活用して読んで、探った、のこと。
パンドラ・について、歴史の本文は何も語っていなかった。結局あれからわかったのはそれだけ。ふぅん、とそれだけ解って、トカゲが次に調べたものは、やはり己の世界にはなかった“リリスの日記”という存在。
全13巻からなる古びた本。様々な力が潜んでいるらしいが、そんなことはトカゲの興味のあるところではない。魔女の素養を地平線越えの対価にごっそり奪われたトカゲであるから、そういうものはもう必要のないもの。用のあるのはその内容だった。
そこに記された内容、トカゲはまず笑った。そしてかつて黄猿の縁者でありながら、リリスの日記を一冊盗んで逃亡し、あげく賞金首となった詩人“文士”を思い出す。何もかものピースが、トカゲの中でつながった。
400年前に、の魂の受入先として、殺されたノアという魚人と天竜人の混血児。歴史の闇に葬られた魔術師の弟子。何も語らぬポーネグリフ。リリスの日記、と呼ばれる書。眠り続ける“世界の敵”たるパンドラ・の外見と、の髪の色、目の色の一致せぬ理由。
(何重にも、何重にも隠された「真実」どこまでもどこまでも、裏を作り、作り、欺く。周到さ)
一度ゆっくりと、トカゲは紙にでも書いてまとめてみたかった。
世に、世界の正義の証明としての“罪人”として存在しなければならぬとされた“パンドラ・”がまずあった。彼女は誰からにも憎まれる義務を持ち、しかし、誰からも傷つけられることのない権利を持っていた。そして、が苛まれ続けることを良しとしなかった400年前の水の民が、の魂をノアという少女の死体に入れて、自由に動き回れる体を作った。それが“”である。の体は政府に囚われたまま罪人として扱われ、は自由に海をさまよえるようにと、水の民の謀。しかし政府はそんな姦計を見抜き、“”を罪人として追い続けた。
それが、誰にもわかりやすい、海軍本部で信じられているの“真実”である。だからこそ、海軍海兵らはを守るのだ。己らの正義を持続するために、を守る。七武海たちもそうと信じているのだろう。だから、パンドラ・=という数式を持っている。
しかしもう少し深く入った、次の偽装された“真実”は、これはトカゲも暫くそうだと思い込まされていたのだが、がパンドラ・の一部であるということ。
400年の長い孤独で、パンドラが精神を病み、それを哀れに思った水の民が、ノアという少女を殺して贄にした。パンドラの、まだ汚れない心を取り出して、ノアの体に入れることでパンドラの最後の心を守った。世に憎まれなければならない存在は、なければならぬという道理に基づいてのことである。そしてパンドラの身は封印され、狂気は強制的にとどめられた。
その封印は、幼い少女の心を持つ“”の純粋さが続くことによって持続される。誰かをが愛して女になってしまえば、その封印は解かれるのだと、そう気づく者、いや、そう思わされる者が、その“真実”を持っている。おそらくミホークあたりはここまで気づいているのだろう。
だが、上記の二つの“真実”を踏まえてトカゲには疑問があった。矛盾点が、感じられた。
魔術師の道理を承知していた己だからこそに、思う疑問。
どれほど「ありえないだろ!!?」と突っ込み始終あるような所業ばかりの魔術でも、無から有を作り出すことなどできはしない。魔術師の数字は1である。1は始まり、創世ではあるが、しかし、1を司るものは、その前の0は持ち合わせていない。そして、1は、始めることはできても、分けることはできない。
たとえパンドラ・の魔力を総動員させたとしても、魂を分離させることなど、できるわけがないのだ。
狂気に染まった心から、純粋無垢な魂を隔離させるなど、まず不可能である。
そして生きている体から魂を抜き取って別の体に移動させることも不可能だ。
だからトカゲは=、という点に疑問を感じていた。そしてもう一つ、なぜ「誰かを愛したら女になり、封印が解ける」というのか。=、ではないのなら、の心が誰を愛したところで、に影響を与えられるわけがない。
しかし、インペルダウンでこうしての事実、がサカズキを「すき」だと自覚し飲み込んだ瞬間、マリージョアのパンドラ・を求める悪魔たちの声がぴたり、と止んだ。
そこもトカゲにはわからない。己の世界で、己を求める悪魔の声は、まぁ、かつての同胞たちの憎しみゆえに、理解もできる。だが、悪魔たちが本当にこの世界のパンドラ・を愛しているのなら、その眠りを続けることを、望むのではないだろうか。
トカゲの世界で、悪魔の飢餓の結局のところの原因は、救済を求めてのことだった。王国で死に絶えた騎士たち、志半ばで終わった無念。そして、あっさり生き残った魔術師の生き残りを恨んでのことだった。
この世界の悪魔たちも同じように、生き残ったパンドラ・を憎んで発生する飢餓であるのなら、がと同一人物にせよ、違うにせよ、を復活させようなどと、するのだろうか。
そして、ノアは、の体となった400年前の孤高の少女、帝の剣は、なぜ死んだのだろう。誰に、殺されたのだろう。
誰よりも早く泳げ、誰よりも強い剣士であったという少女が、容易く殺されただろうか?そして、精神の狂ったとはいえ、その時にはパンドラ・もいたはずだ。罪人と意識のあったが、苦しみから逃れるために、罪もない少女の死を望むだろうか。
それらの疑問点を考え、導き出される答えは決まり切っていた。そして、リリスの日記を目にして、その推測が肯定されトカゲはただただ、笑うしかなかったのである。
(簡単な話だ。=ということがあり得ないのなら、は、と同一人物ではなく、しかし魔女の素質を持ち、王国の記憶を持つ魔術師であったということ。ノアの死因が他殺ではありえないのなら、それは自殺しかない。誰か男を愛して力が弱まるというのなら、それは、男には敗北してしまう、弱者になり下がったと認めること、すなわち、か弱い姫君になってしまうということだ)
古い魔法の一つだ。とてもシンプルだが、誰もが知っている。
女性を眠りにつかせ、その時間を止めてしまう魔法。
古い古い、魔法の一つ。いとつむの先で指を傷つけ、それっきり100年以上の眠り。決まり切っている。茨で城をぐるりと囲まずとも、定められた王子さまの口づけでもない限りは、目覚めぬ決まりごと。
もともとパンドラ・という生き物は、その素養を備えていた。別に仙女たちに与えられたわけではないにせよ、まるで酒に酔って上機嫌の仙女たちの無謀さを受けたように、やれ美徳だの美貌だの富だの才気だの、世にありとあらゆる幸いを持っていた。そんなものは幸福の結晶とは言わぬ。なぜと言って、幸いがそこまで揃ってしまえば、それはどう考えても全体として禍にしか転じない。それが道理。この世のありとあらゆる叡智が終結したところでどうしようもない、それが決まりごと。
だから、彼女が眠りにつくことにそれほどの魔力は必要なかった。おそらくはノア一人きりでもなんとかできただろう。
だが、ノア一人ではダメだった。眠り姫の魔法には、必ず王子さまを定める必要がある。任意、ではない。彼こそが彼女の白馬の王子さま!だなんて勝手に魔法をかけるこちら側が決めてしまえばそれでしまい。あとは彼がひょこひょことお姫さまの唇に口づけを、それで100年の眠りがあっさりと解ける。
それはちょっと、まずかった。いや、とても、まずかったのだろう。
ノア一人きりでその魔法を使えば、ノアが王子さまになるほか、パンドラ・の眠りを持続させることはできない。ルッチが一目ぼれしたように、パンドラ・は目を閉じて眠りについていても美しい、人の心をよくつかむ。適当な人間の男を王子さまに仕立て、万が一、パンドラ・を目にするようなことがあればあっさり封印が解かれてしまう。
だから、ノアが王子さまになり、そしてパンドラを見守ることにするほかはなかった。だが、人の魂は廻ることを承知していたノア。それではいずれ己が死に、己の魂が別の人間、意識も記憶も全くの別人になった時に、やはり王子さまはその魂に素質が刻まれているのだから、その人間が、パンドラ・に口づけしてしまっては意味がない。ノアは魚人と天竜人の混血。それは繁殖能力もなく、短命を宿命付けられた血である。そんなわずかの時だけパンドラ・を封印できても、全くもって、意味などないこと。
もともとノア一人でその魔法の存在に気づいたわけではない。いくら混血児といえど、ただの生き物が、古くからの魔法を、その存在を知っていても「使える」と気付くわけがない。そこには、共犯者がいた。いや、ノアが、共犯者だった、というのがきっと正しい。
パンドラの持つ箱の中に、封じられているもの、それこそが、トカゲの良く知る“”なのだ。
リリスの日記、第一章に記されていたのは森の中の井戸に打ち捨てられて死んでいった、双子のこと。いや、死んだのは片割れだった。しかし、死んだ魂を、死の国にはゆかせずに、死なずにすんだ姉の荒技。なりふり構わずの結果。
その詳細は、トカゲには興味のないこと。しかし、いろいろあって、双子の妹の魂は、パンドラ・の所持する箱の中におさめられた。そして、その箱の中からじっくり、じっと、姉の心が病んでいくのを、見ていたのだろう。
パンドラが箱を肌身離さず持っていたのなら、王国の記憶を我がもののようにが知っていたのもうなづける。魂を封じられる箱の存在などトカゲにはにわかに信じられなかったが、しかし、できぬわけではないとも分かっていた。人間、結構やればできるらしい。
は、なんとか姉を救おうとしたのだろう。ただ箱の中で眺めることしかできない己。なんとか、姉がこれ以上苦しむことのないように。
(当然だ。王国の生き残りは、死んだ王国の亡霊に、敵意に、憎悪に常に身を焼かれ、苛まれる。万の剣が身を刺し、耳には悲鳴が木霊する始終。それこそが、生き残ってしまった魔術師が本当に己を“咎人”だと感じる原罪)
(世に、己らを打ち滅ぼしたもの達になんと罵られようと、悪とされようと、そんなことは、意味はない。だが、己一人が生き残ったこと、彼らを見捨てたことを、ただ責められる)
そして、が世に現れ、の王子さまになることで“目覚めぬ眠り姫”を作り出した。が現れるには、体が必要だった。稀有な体、いびつな、条理にそぐわぬものが必要だった。
だからノアは、自らを殺してその体を差し出したのだろう。
400年前に、少女らの間に交わされた約束。共犯者を守ることは最初から考えずに、ひっそりと行われた、サクリファイス。
そして箱の中に眠っていた魂は、眠りについたの“代わりの罪人”として世に放たれた。
は死なない。お姫さまを、迎えに行かぬ王子さまとして、は誰も、愛することが許されなかった。の王子さまはだ。が、ただの女として誰か一人の人を愛してしまえば、そのとたん、は王子さまの資格を失う。
トカゲから思えば、ずいぶんと荒技をしたものだと、そう関心してしまう。
世の少女たちは、等しく、姫君であるのだ。誰か己の王子を見つけ、そして守り、守られる、姫君であることが道理だ。王子のいない娘は魔女になるしかない。は、魔女だった。王子がいない少女だった。
だから、ノアと、が彼女の王子さまになったのだ。
その代りに、ノアは、そしては、けしてお姫さまには戻ってはならない。王子さまを失えば、は再び魔女に戻るしかないのだ。
眠り姫の魔法は、ただ眠りにつくだけのものではない。こうこうと眠りにつくその長い年月、白い胸は変わらず上下する。しかし体には時が流れず、みずみずしさを保ったまま。しかし、心は止まらずわずかづつとはいえ腐敗が進み、見えぬ場所ばかりがただれ朽ちていく。か細い寝息は夢のよう、しかし、その間に流れ続ける歴史の歪みを、眠り姫は吸い取って、狂気ばかりを咲かせていく。
まともな神経を残す魔女、魔術師ならばまずは使わぬ魔法、いや、呪いである。それを容易く愛しい姉にかけ、そっと共犯者にささやきかけた箱の中は、やはり悪意の魔女なのだろう。
Fin
無駄に長い上に完全に説明。いや、最近ややこしくなってきたから……。
あと一葉はタイトルを9割方適当につけてます。