魔弾の射手





「なるほどね、魔女に残された時間はあと僅か。それでヴァナタがここにいる、と、そういうこと?」

ソファにどっかりと座り込み、ゆうゆうビール瓶を傾けるオカマの女王イワンコフ。

向いのソファに腰かけたトカゲは長い脚を組み替えながら、ボロボロになった己の衣服をぺろりと確認しつつ肩を竦めた。

「いずれは消滅するからな。蜥蜴のウンケも一緒に消すのはどうかということで、ならその本体はこのおれに移植された。今のを動かしているのは、ウンケの切れた尾の部分だ。あと持って48時間程度だろうがな」

それで十分だと、は言っていた。トカゲがこのインペルダウンで動きまわるには、ただの人間の身のままではとうてい駄目だと、あの子は知っていたのだ。 トカゲはぼんやりと、あの時のとの会話を思い出す。あの、何もかもの覚悟を決めた目。もう""というだけではなくなってしまったのに、それでもあの子は、ルフィの身を案じていた。

(当然か。短い間だったとはいえ、はルフィの船に乗り、様々なことを経験した。あのが、情を抱かないわけがない)

「マゼランの重複した毒からルフィを救えるのは卿だけだからな。ホルモン操作のエンジニア。あの子はお前やドラゴンのことは嫌っているが、それでも、お前があの子を見捨てて傍観するわけがないと、そう言っていたよ」
「ン〜フッフフフフ、悪意の魔女にそう褒められるのは、悪くなッシブルね。安心おし、もうすでに麦わらボーイの治療は始めてる」
「同行者は?」
「もちろん。フッフフフフフッフ、ヴァナタ、どうしてヴァターシがミスター・3の治療までしていると思う?」

ルフィを治療するのは、通信などでルフィのしでかしたこと、兄を助けるために動いているというその心意気ゆえだろう。
いや、ほかにも、ボン・クレーを助けるために狼たちに挑んだことか。それを言うのならボン・クレーも同じこと。問われてトカゲは首を傾げた。

「しない方がおかしい。あれは良い男だ」

いや、オカマだが、性別でという意味でのほめ言葉ではない。

トカゲからすればジュエリー・ボニーとて「良い男」の部類である。

「ン〜フッフフッフフフ、麦わらボーイが瀕死の状態でヴァタシに頼んだのよ。友達だから、ってね」
「楽しそうだな」
「これが喜ばずにいられる!?監獄という、他人を利用してでも自分の命だけを守ることが日常のこの場所で咲いた友情という名の花!!」

どがん、と、テーブルに瓶を叩きつけて盛大に腕を広げる。それをトカゲは鬱陶しげに眺めて、ドン、と、逆にテーブルに足を置いた。

行儀が悪い動作は己の好むところではないのだが、しかし、こればかりは仕方ない。

「まぁ、ならあとはあの二人にかけるだけ。それより、ここの存在がおれには勘に障るんだがな」

インペルダウン、下層部。レベル5とレベル6の間にある空洞。囚人たちの楽園という、この夢の国。その場所はまぁ、地獄にある唯一の救いだとかそういう意味なのだろうけれど、正直な話、トカゲは気に入らなかった。

「卿らは罪人だ。まぁその罪悪の基準が気に入らぬから逆らった連中、もいるだろうがな。凶悪犯罪者、少なくとも、ただの一般人の平和を、日常を害してきた、害するおそれのある連中。それが、何の捌きも罰も受けずにのうのうとこんなところで酒をかっくらっているというこの事実。おれには気にいらん」

イワンコフやイナズマは確かに"革命家"であるから捕まっているのだが、しかし、それでも罪は罪。この世に逆らい、そして捕えられたのなら、それは道理によって罰を受けなければならないのではないか。

しょせん、正義・悪の二極など追いかけっこのようなもの。

悪を貫く、この世のいまの正義に逆らうというのなら、それは、正義を倒す、あるいは逃げ続けなければならない。それが捕まってしまったのなら、その時点で負けを見止め、これまでも一切の己を所業を償うべきだ。

それだなければ、帳尻が合わない。

トカゲの脳裏に浮かぶ。"世界の敵"のその姿。万の敵意に、憎悪にさらされ、その身は常に億の剣が付きたてられる、"悪意"を受ける"魔女"のこと。

ぎゅっと手のひらを握りしめてから、トカゲはイワンコフを見上げた。

「捕まった時点で卿らは敗北者だ。卿らの仲間が卿らを救い出すためにここへきて、ここを破壊するのならともかく。それまで卿らは、勝者の道理に従わなければならないのではないか」

ぐるりと見渡すこの、夢の国のなんと自由奔放なこと。酒もあり、食糧もあり、好きな衣服も思いのまま。

ただこの場所から出られない、という点だけを除けば、粗野な無法地帯と同じように過ごせる。

金の必要もない。殺人、争いもない場所。楽園、とさえいえるだろう。笑い声が絶えぬ場所。だからこそ、トカゲには気に入らなかった。

ざわり、とトカゲの身からあふれる敵意に、イワンコフの隣のイナズマが警戒するように手を構えた。しかしイワンコフがそれを手で制する。

「それで?何が言いたいの?」

ふざけた格好、言動はしているが、革命軍の幹部である。イワンコフ、トカゲの威嚇もあっさりかわして、それどころかなみなみワインを注いだグラスを向けてくる。トカゲの方も、それを当然と受け取って口につけた。こくり、と喉を上下させてから、唇をなめる。

「別に。ただそう思っているだけだ。だが卿らがここでこうしていなければ今ルフィは救えなかった。そうだろう?」
「ン〜フッフフフフ、そうね。それと、まだ麦わらボーイは救えてないわ。ヴァナタも魔女ならわかっているんでしょう。ヴァターシの能力は、」
「あぁ、知っている」

説明を受けるまでもない、とトカゲはグラスを上げて言葉を制した。

ホルホルの実を食べた能力者ができることは、ただその人間の潜在能力、あるいは気力を引き出すことだけ。ルフィの毒の身を中和することなどは当然できない。

トカゲは耳を澄ませて、どこかから微かに聞こえるルフィのうめき声を聞いた。

イワンコフはルフィの中に存在する免疫力を極度に高めたのだろう。毒が容赦なく細胞を破壊するのなら、それに戦い、再生する力が必要になる。だが、いくら理屈はそれでどうにかなるとはいっても、異常な速度での破壊・再生の繰り返しは常人の身に激痛を走らせる。

「卿ら能力者は神ではない。どちらかといえば悪魔だろう。悪魔はいつも人に力を貸すが、どうこうするのは人の意思」
「ン〜フッフフフフ、そういう言い方は悪意があるわね」
「別に。ただ、道理に逆らおうとしているのだ、それだけの対価の支払いは当然」
「それじゃあ、マゼランの毒をも無効化する"ウンケの屋敷蛇"を手に入れたヴァナタは、どんな対価を支払うのかしら?」

ぴたり、と、トカゲの小指が動いた。それに気づかぬイワンコフではない。相変わらず大きな口をあけて笑いながらじっとトカゲを見つめる。

「ナメんじゃないわよ、お嬢さん」









伸びた髪を払いながら、は己を見下ろす男に微笑みかけた。

「だから、言っているでしょう。僕は、僕だよ」
「……はどこへ消えた」

鷹の目、ミホーク。この戦いでどんな働きをするのか、それはもうの知ったところではない。だが、どこぞのハデ鳥や、黒いオッサンと違ってこの男は、酷いことはしないだろう。

だからにはあまり興味がない、というのが本当だ。

小首を傾げて、薄く口を開く。

「そんなの、最初からいなかったんだよ。 は夢みたいなものだ。ただ純粋、無垢で、何もかもから許された、そんな存在。けれど、本当にそんなものはあり得ない。彼女は、君や、彼女を見るひとたちの夢だったんだ」
「では問う、貴様は・・・何者だ」

びりびりと、敵意があからさまにぶつけられる。

ドフラミンゴや、赤犬は、それでもまだこの己を「」とそう扱う。

しかし、この男にとってはもう、そうではないのだ。この男にとって、とはリリスの記憶も、自覚もない、ただの小さな魔女のこと。

パンドラ・という魔術師の魂の片割れとして目覚めた、純粋無垢な魂。ミホークの腕の中で小さく震え、それでも微笑む、あどけない少女のことを言うのだ。

だから、今こうしてリリスの記憶を取り戻してしまったこの己は、たとえ以前はと呼ばれていた生き物であっても、もう、違う。何もかもが、ミホークの知る、ではなくなっているのだろう。 剣を突きつけられて、はそれでもひるまない。ミホークは、鷹の目は、 の前で剣を抜いたことがこれまでなかった。

そして、初めてこうして目にする抜刀、その切っ先はこちらに突き付けられている。

「もう元には戻れないんだよ、鷹の目」
「……」
「君が必死に、今の僕を否定してくれても、それでももう、僕は元には戻れない。僕は思い出してしまったから、もう、何も覚えていないころには戻れない。何も知らないふりが、できないんだ」

の言葉に、スッと、鷹の目が剣を下した。

「……何を望む。最後の魔女よ」

短い言葉。感情を消し去った顔。人はあまりにも絶望に叩きこまれてしまうと、もうどんな顔をすればいいのかわからなくなるのだと、そう聞いたことがある。、リリスは、これまで絶望を感じたことなど、一度しかない。しかしあの時は、絶望する心が肥大して、国をひとつ滅ぼした。この男のように、己もあの時、力任せにする術を持っていなければ、こんな顔をしたのだろうか。

「君には、何も望まない。共犯者はドフラミンゴ一人でいい」

はそっと、ミホークの頬に手を伸ばした。以前は小さかったこの背も、時の崩壊とともに伸びてきている。

肩口までしかなかった髪はもう腰まで伸び、身長も、手を伸ばせばミホークの頬に触れるほど。 ひたりと、ミホークの頬に触れて、目を細める。

 「愛してくれて、ありがとう」











「出航準備は?」
「整いましたよ、船長」

ひっそりとした声。交わされる言葉。ドスドスと足音を立てて歩くこともできるが、こうして何の音もさせぬ歩行もお手の物。ラフィットの答えに頷いて、ティーチは部屋に待機した仲間たちを眺める。

「先に乗ってろ。おれは寄る場所がある」

七武海入りした男。白ヒゲ海賊団にいたころの簡素な服装ではなくて、こちとら立派な大海賊というにふさわしいお姿。威厳もあるが、やはりどこか、小汚さがあるのはご愛嬌。ぐるり、と仲間を一瞥し、扉に手をかけた。

これから始まる大喜劇。どんな悲劇が世界に降り立つのか、それはもう黒ひげの頭の中に描いた想像を超えることになるのだろう。

それだけの力のぶつかり合いだ。引き金を引いたのは確かにティーチ自身かもしれない。だが、焦準を合わせたのも、弾を込めたのも、それはもう、世界である。

と言って、完全にティーチの手を離れたわけではなかった。転がった以上、ティーチのもはや動かせるところではないにしても、しかしまだ、すべてはティーチの手の中にある。ころころと動き回り、ティーチにも手がつけられなくなっているものの、しかし、まだ全てがティーチの"都合の良い"展開である。

パタンと扉を閉めてそのままひっそり、ある場所へ向かう。どこにその部屋があるのかなど、誰に聞かずともこの悪魔の身にはわかるらしい。

ラフィットたちは何も聞かずに船長を送りだした。これから起こる何もかもを、正確に把握しているからこそ、彼らの堂々としたこと。己らがどんなことをしでかすのか、わかっていて、それがどんなことになるのか分かっていて、だからなんだと、堂々と言える連中。

ティーチの足は進む。音を立てずに、颯爽と、何者にも会わずに、向う。

もしもただひとつ、ティーチの足を止めることができるもの。これから彼が何かをするだろうということを推測出来ているものがいるとすれば、それは、今頃嘆きの声を深くしている魔女だけである。

(だがあの女は死ぬ)

浮かぶ、ティーチの天敵である、という小さな少女。オーガの情報によればインペルダウンに単身向かったという。それを追いかけた女海兵が一人あったというが、ただの海兵が魔女を追ってどうにかなるものか。

悪魔が魔女を求める声が止んだのは少し前だ。ということは、は昔の記憶を取り戻したのだろう。ならばあとほんのわずかしか、残された時間がない。その中で、 が自分などを止めるためにその基調な時間を使うかどうかと判じれば、魔女の天秤、そうはならない。

ティーチがこれからすることを予想していても、それでも、放っておく。 そう分かっていたから、ティーチの足は堂々と、その一室の前で止まった。 マリージョアの、隠された一室。世界の敵、その人の眠る場所。

ドアノブに手をかけようとした瞬間、ぴたり、とティーチの体が動かなくなった。

「よォ、黒ひげ。新参者のテメェがこの場所に何の用だよ?フッフフフフフ!」

ひょいひょいっと、ティーチが沈めた海兵たちの屍を踏み越えて、堂々とこちらにやってくる、派手な色彩の、金髪、サングラスのその男。歪んだ口元、額に浮かんだ青筋。

「おぉお、先輩。なんだ、これはこれは親愛なる同朋どのじゃあねぇか。なんだこれは」

ティーチはさして驚いた様子もなく、身を縛する彼の能力をさしてそういう。

ドンキホーテ・ドフラミンゴ、いつものあの笑い声をさせながら、ティーチの巨漢を眺めた。

「その扉の先にゃ、誰がいるのかしらねぇわけじゃねぇだろう」
「あぁ、知ってるさ。少なくとも、おめぇよりは"誰"がいるのか知っている」

堂々としたティーチの言葉にドフラミンゴの顔が不快そうに引き攣った。 だが、思い当たることがあるのだろう。黙ってティーチの言葉の先を促した。それでもまだ、ティーチの体の自由に動きは取れない。

「知らねぇのなら教えてやるさ。オメェや、ほかの連中は、パンドラ・、この扉の奥に眠るあの女が、の本体だと思ってやがる。だが、違う。この先にいる女は、 とは別人だ」
「……鷹の目の野郎、やっぱハズれてんじゃねぇか……」

ぼそりと呟き、ドフラミンゴがどっかりと腰をおろした。

「なんでテメェがそんなことを知ってる」
「そりゃ、決まり切ってる。このおれが……まぁ、それはいい。おれはパンドラ・を連れていきてぇだけだ」

これを解けと、これはティーチにしてはおとなしい言葉。

闇の能力をフル活動すれば、なんとかなるかもしれないが、しかし、今ここで、同じ七武海とことを荒立てるつもりはティーチにはないのだ。それで、そういえば、ドフラミンゴがサングラスの奥で目を細めた。

じっと、見つめ合う二人の七武海。双方、外道ではあるのだけれど、しかし、種類が違う。

ティーチは、どこまでもどこまでも海賊だ。欲しいものは奪う。そして手に入れる。夢を追い、宝を求め、人の、人の夢の中で生きていく。そのために多少、現実主義という美徳も持ち合わせてはいるが、しかし、ドフラミンゴと比べれば対照的だ。

ドンキホーテ・ドフラミンゴ。その配下たるハイエナのベラミーの言動を見る限り、海賊であって、海賊らしからぬものだ。欲しいものは、様々なものを利用して手に入れる。海賊はただ奪い、そして消費するだけだが、しかしドフラミンゴはそうではない。利益を、その奪ったものからさらなる利益を生み出す。現実主義者だ。夢など追わぬ。宝は作り出すものだと、そういう男。

なぜそうなったのか、それはティーチの知るところではない。あの魔女は知っていたかもしれない。

だからあれほどドフラミンゴを毛嫌いしていたのだろう。それは、しかし今はもうどうでもいいことだ。

にらみ合い、そのしばらく、ふいっと、ドフラミンゴの顔に笑みが浮かんだ。

「………フ、フッフッフ、フッフフフフフ。そうか、テメェ、そんなことを・・・・・・考えてやがるのか」
「ゼハハハハハ、そうだぜ、兄弟。おれは生まれたときから、このためだけに生きてきた。何か文句があんのか!?」

おろかな男ではない。

ティーチのほんのわずかの提出物だけで、理解した。悟った声で、顔で、どっかり、身を起こす。

ふぃっと、ティーチの呪縛も解けた。ティーチはコキコキと指を動かしてから、ドフラミンゴに視線を戻す。さっと背を向けたその、ハデな色彩の男。ひらひらと手を振った。

「なら、てめぇの好きにすりゃあいい。フ、フッフフフフフ」
「おめぇはどうする?七武海」
「フッフ、フフフフッフフフフ…!決まり切ってるじゃねぇか。おれは、政府の味方の七武海だぜ?」

どう聞いても、言葉のとおりには聞こえぬ。本心、どうかはもうティーチには関係なかった。

不気味な笑い声を響かせる、その背を見送ることもせず、とん、と扉に手をかける。重い扉が、しかし、あっさりと開いた。




Fin 


 

(さぁ、何もかもが動き出す)