魔弾の射手

 

 

 

暫くのにらみ合い、そっと顔をそらしたのはトカゲだった。ふん、と鼻を鳴らして息を吐き、一度目を伏せる。そのままゆっくりとテーブルの上に無作法に置いていた足を下し、組み替える。パチン、と何かのはじける音、そしてトカゲの青い目が開かれた。まっすぐに真っ青な、ただただどこまでもどこまでも青い目。何もかもを承知していて、だから何だとあっさり言える、魔女の目。

 

「ふ、ふふ、ふふふふ、ルフィと一緒に毒を食らっている最中、ちょっと考えていたんだがな」

「?」

 

切り出すトカゲ、よくよく思い出したこととこの世界に来てから、最初のうちはこの体はとても軽かった。セフィラに魔女の素養をすべて食われたから、だろうとは思う。これまでトカゲを縛っていた何もかもから解き放たれたのだ。とても身が軽くなり、何もかもから自由になった開放感。

 

だがしかし、それも長くは続かなかった。この世界の己に会って、あの子の為にあれこれと策を弄して、海軍本部の中佐にまでなった、その過程で、体がどんどん重くなった。

 

「このおれとしたことが、世に縛られてしまっていたらしい。ふふふ、つまらんことにな」

 

を守るために、のことを知るために必要なものをそろえるたびに、何かがずっしりと、トカゲの身にまとわりついた。この世界の生き物に、なってきたということなのだろうとは思う。軽薄だった存在が確されて定まっていく。はっきりとした生き物になってしまって、束縛されていったのだ。

 

「あれこれぐちぐち悩むのはおれの性に合わんだろう。だから決めたんだ」

「決めたって、何を?」

 

不思議そうに、大きな目をこちらに向けるイワンコフに、トカゲは、もうこれ以上ないというくらいに、面白そうな笑みを浮かべた。

 

「傲慢・尊大・自由奔放。それに少々のSっ気があってこそのこのおれだぞ?女々しく悩んで困って翻弄される姿など、みっともなくておれの赤旗を嫁には迎えられない」

 

ぱちん、と、トカゲは腰に差していた銃を抜き取り、中に込められていた弾丸を五つ抜き取ってから、回した。そして銃口をこめかみに当てる。

 

銀色の冷たい感触、かちゃり、と安全装置を持ち上げて、そのまま薄く目を細める。

 

「あちらが傲慢なら、こちらも負けずに傲慢だ。互い合う二つの悪意がぶつかれば、どうにでもなるだろうよ」

 

そして躊躇うことなくタンタンタンタン、と、連続して引き金を引く。あまりの素早い動きにイワンコフは反応できず、だが、唖然と、その、トカゲの仕草に見入った。

 

なんと言う、子なのだろうか。引き金をそのまま、やはりなんでもないように気安く引く。

ガッシャン、と、外れた音。

 

「どこの世界にいようと、素養があろうとなかろうと。おれは悪意の魔女じゃあないか」

 

トカゲ中佐の話は聞いていた。海軍本部特別監査部においても異質な存在。悪意の弾丸、とも呼ばれ、海軍の中の「ゴミ処理」役を請け負っているという。その仕事は海軍内の汚点、たとえば汚職や造反した海兵たちを闇に葬り処分すること。生易しい心を持っては勤められぬ場所にいて堂々としていたという。だからある程度の強さは予想していた。

 

しかし、いまイワンコフの目の当たりにする生き物は、そういった、予想をはるかに超える「決意」を秘めているようだった。

 

トカゲはけろっとした顔で銃をテーブルの上に置き、そのまま上目づかいにイワンコフを見る。

 

「ルフィが目覚めれば、あの子はエースを救いに行くという。おれはあの子についていくよ」

「無理よ。麦わらボーイはあと2,3日は毒と戦う……!ポートガス・D・エースの公開処刑は明日の午後三時…とうてい間に合わなッシブル」

 

じっと、イワンコフはトカゲを見つめた。青い目。の目とよく似ている色だ。そしてこのトカゲの配色、そして顔立ちがかつてイワンコフが遠目で見、写真で見たとそっくりだったことに改めて気付かされる。

 

(彼女はいったい……?)

 

トカゲが別の世界から来た、など想像もつかぬゆえ、戸惑いながら、不審に思う。これほどに酷似していて、しかし別人という。魔女の資格も持っているようで、ウンケの屋敷蛇だって身に宿した。だが、この世に魔女はたった一人のハズ。こうして考えればますます、このトカゲの存在が解せなかった。

 

それで、何か問おうとしたイワンコフを、トカゲは立ちあがって背を向けることで制する。そして背中越しに振り返って、一言。

 

「十時間ほどおれは寝る。ふ、ふふふ、このおれの寝顔を見ようなんて命知らずがいたら撃ち殺してやるから遠慮なく来るがいい」

 

何か吹っ切れたらしい。ノリノリドS発言をかまして、その姿が颯爽と去っていく。というか、部屋とか案内しなくてわかるのだろうかと、そういう疑問がイワンコフ、およびなぜか見送ってしまった面々にふとよぎるのだが、その直後、バギッ、と無理やり扉の開かれる音。それに囚人(キャンディ)の悲鳴。

 

どうやら適当な部屋を見つけて、中の住人を蹴り飛ばして追い出し場所の確保をしたらしい。半泣きになった元部屋の主がこちらに駆け込んできたが、それはそれ。

 

イワンコフはむしゃり、と肉を口に入れながらもぐもぐと、トカゲのことを考えた。

 

改めて考えれば彼女は、己らの敵になるのか、それとも味方になるのか。

 

今わかることはただ、400年間誰にも滅することのできなかったの消滅にともない、あの女が“”になるのだと、そういうこと。常で考えればそんなことはできるはずがない。だが、できるのだという彼女。しかし“世界の敵”は世に悪意を撒き散らし、何もかもに禍をなす生き物である。

 

イワンコフたち“革命家”たちはは“”を守る義務があるが、しかし、は赤犬のところへ身を寄せてからは自分たち革命家を嫌うようになっていた。「間違いの修正なんて、しなくていい。ずっと、このままで」数年前、ドラゴンの前に現れたの「決別」の言葉はイワンコフの耳にもまだよく残っている。あの魔女は、彷徨い、たった一人真実を身に秘めたまま歴史の闇に埋もれながらも誰かが政府を、空白の歴史においては謀反者とされる20人の王たちの作った“正義”を打ち壊すとき、その場所にいなければならない。あの魔女が何かを望むことなどあってはならない。

 

それなのに、赤犬サカズキとの出会いが、あの魔女を変えた。

 

先ほどこのインペルダウン5,5の囚人たちを見てのトカゲの感想を聞く限りトカゲも(本人が意識しているのかはさておき)正義・悪についてどこか赤犬の思想に似たものを持っているようだ。

 

たらり、と、イワンコフの背に汗が流れた。

 

(ヴァタシはここで彼女を殺しておいた方がいいのかもしれない)

 

ゆっくり立ち上がりイワンコフ、能力を発動させて指を伸ばす。使命感に駆られてのこと、ではない。そうしなければ、後々、厄介なことになるというただの予想の範囲での、強行とさえ呼ばれてもしようのない理不尽なものかもしれない。だが、イワンコフの足、ゆっくりとトカゲの眠る部屋に向かった。

 

カチャリと扉をわずかに開け、部屋の中を覗く。

 

ふわりと、薔薇の香りがした。そのまま、イワンコフの後頭部に突き付けられる、冷たい鉄の感触。

 

「ふ、ふふふ、おれの嫁以外がこのおれの愛らしい寝顔を覗こうなど、百億年早いと言っているだろうが」

 

いつのまにか背後に回った、長身の女。眠るところを邪魔された、と言う程度の怒気しかないイワンコフ、いくら普段ふざけた言動余裕の人とて、さすがにこの規格外すぎる生き物には戸惑うばかりである。

 

しかし、今現在、これだけははっきりした。

                                                             

(ン〜フッフフフフ!!この女、外道でドSで、完全におれ様主義!ヒーハー!)

 

こういうタイプの人間の言動「なぜ・どうして・何が」などと考えるだけ無駄である。さすがは革命軍幹部、どこぞの振り回されるだけのヘタレとは経験値が違うらしい。あっさり見極めて、降参とばかりに両手を上げた。

 



 

 

 

 

夢を見た。遠く遠くで、女が一人泣いている。見知った、本当によく見た覚えのある顔、己の母親である。両親、兄弟のいる身で、出身はどこぞの平和な島。争いもなく、農家の平穏な場所だった。幼いころはズボンにシャツという軽装で野山を駆け回り、兄弟たちと変わりなく遊んでいた。

 

しかし、いつの頃からだろうか。いや、その兆しは徐々に表れていた、わけではない。ただ、ある日、なんとなしに、母の口紅を手にとって鏡の前でそっと己の唇に塗って見た。何が興味のあったわけでもないのに、しかしその真っ赤な色に引きつけられたように、それが男の身には「ふさわしくない」ことだと当然に分かっていたのに、そっと、赤を重ねた己がいた。

 

それっきり、ミスター・2、ボンクレーの身。世の道理を外れたらしい。

 

(どうして貴方は、と、あの人は泣いてた。俺が島を出るまで毎朝毎晩部屋の中に閉じこもって、泣いていた)

 

最初のうちは母が泣くので彼は己を誘惑する赤の一切から逃れようと心掛けた。初めのうちは「冗談だよ」と笑い、それをネタに兄弟たちと遊んだこともあった。だが、しかし、駄目だったのだ。一度赤を身につけて、その時、鏡の前に映った己を見て以来、どうしてももう、駄目だった。

 

祖父だけが、彼を咎めなかった。白い鬚に、皺くちゃの顔。ささくれだった指はとても醜いものだったのに、(そのころそう言ったものを拒絶してしまう美意識の傾向のあった彼なのに)祖父をとてもきれいな生き物だと、どこかで感じ取っていた。

 

祖父は、ボン・クレーを「長靴を履いた猫のようだ」と言っていた。

 

誰が悪いわけではない。お前は男として生まれて、男として育った。猫が猫として生まれ、猫として育ち、そして猫として鼠を捕る生活を当然としてきたように、お前も男としての生活の枠の中にいた。

 

けれどボン・クレーは口紅をつけてしまった。道理の中に定められた男がけしてせぬであろう行いをした瞬間、いや、生き物が、定められた己の枠の外にそれるような行いをした瞬間、ありとあらゆる生き物は、それまで己を形作っていた、あるいは護っていた、そして縛り付けていた「名前」から解き放たれるもの。

 

祖父はこうも続けた。

 

あの猫もそうだった。長靴を履いてみるまで、まさかネズミを捕るしか能のなかった己が二足歩行できるだなんて思いもよらなかったらしい。しかし、長靴を履いてみると猫も、やはりただの猫ではなくなるもの。物の見え方が違ってきて、それで、己をつぶして手袋にでもしようかと、わびしそうにつぶやいていた三男坊に王様の王女と、御領地と御館をそろえてみることができたのだ。

 

「だからお前も、きっとわしや、わしの息子たち、娘たちとは違った世界を見ることができるのだろう」

 

だから、旅に出るといいと、ぽん、と、幼いボン・クレーの頭に手を乗せて、そう言ってくれた。その島では、生まれ育ったものが海へ出るなど誰も考えもしない。皆その土地で生まれて、その土地で生き、そして死ぬもの。祖父は、そういう枠からもお前は外れることができると、そう言った。

 

村中に彼はバカにされ、誹られ、彼のせいで兄妹たちは随分と肩身の狭い思いをした。いつまでたっても嫁をもらえず、婿に行けず。母の嘆きは強くなるばかりだった。

 

これはもう、己は海に出るしかないと、そう決めたのは12の時だ。まだまだ幼かった。父は「お前のような半端ものが海に出てどうするんだ!」と怒鳴った。今思えば、父は、たとえ理解できぬ奇行をする息子であっても、それでも、己を案じてくれていたのだと、そう思う。

 

しかしボン・クレーは告げたその夜のうちに島を出た。

 

森の中にひっそり一人で暮らしていた祖父を誘った。「一緒に行こう」と、そう誘った。祖父の目にはこれまで己も冒険に行きたかったが、しかし、いつのまにか妻を得、子供を作り、家庭を持つことで、それらを守らねばならぬという責任から、それを捨てきれぬ心から、己はお前がうらやましい、と、そう言っている光が常に見てとれた。だから、ボン・クレーは誘った。

 

一緒にいこう、じいちゃん。じいちゃんだってまだまだやれる。一緒に冒険をしよう。旅をしよう。いろんなものを見てみよう。老人が冒険なんて、それこそ枠から外れたようじゃないか。

 

あの、誘いをかけたその瞬間の、きらきらした目。ボン・クレーはとても光り輝いていた。海がどれほど厳しい場所でも、寂しい場所でも、祖父とともに外に出て、様々なものを見れるのなら、そんなものは何も恐怖ではない、と。

 

だが、祖父は手を取ってはくれなかった。

 

「わしは、人でなくなることが恐ろしいと思ってしまった。だからわしは、行けない」

 

静かな声での、拒絶。ぎゅっと唇を噛み締めるボン・クレーの頭をそっと優しく、何度も何度も撫でながら、祖父の最後の言葉。

 

「様々なものを見、知り、聞きなさい。お前はどこまでも自由で、お前はどこまでも気高い。だがしかし、忘れてはいけないよ。我が孫よ。たとえどんなに道理の道を外れた“何か”になったとしても、それでも、友達を大切になさい」

 

お前とは違う生き物でも、友達は友達だ。お前をすべて理解してくれずとも、お前がすべてを理解できずとも、それでも、お前が友達と思ったものは、思った人は、お前を知ってくれるだろう。祖父の言葉。最初は、そんなものの意味がわからなかった。村人は誰も己を理解してくれず、兄弟さえ知ろうともしてくれなかった。自分一人が楽しければそれでいいのではないのか。一緒に共有するものなど、いずれ「違い」が目立って、互いの「個」を押し付け合うだけにならないのか。

 

それでは、つまらぬ生き物になってしまうのではないか。

 

そうぐるぐると疑問がわいたのだけれど、しかし、そう言った時の祖父の穏やかで、どこか、遠くを見つめる目に、その時はただ頷いて、それでボン・クレーは島を離れた。

 

それっきりもう、何年も戻っていない。

 

「……あちしは……」

 

ゆっくりと眼を開いて、こすり、ボン・クレーはあたりを見渡す。レベル5の極寒地獄で、やっと麦ちゃんを見つけ、助けようとした。自分に解毒の術はなく、けれど、諦めることができなかった。誰かなら、なんとかできるかもしれないと、その可能性だけがあり、そしてあまりにも無力な自分、ただ諦めないことを諦めないことしかできなかった。

 

何もできない己が悔しかった。ただ信じることしかできなかった。その、己。狼に襲われて、意識を失ったのだ。

 

はっとしてボン・クレー自分の体を確認する。

 

あれだけ狼たちから受けた傷が丁寧に手当されている。それに、ここは極寒地獄、ではない。寒くもなく厚くもない、適度な温度の部屋。石の壁、だ。

 

「ここは……?」

呟く声が反響する。それで、目も慣れてきたころ、目の前に一枚の扉があることに気づいた。

ルフィがいない。自分だけがなぜかここにいる。しかし、ここにいないのなら、どこかにいる。どれほど意識を失っていたのか知らないが、「まだ大丈夫」だとその心を捨てることなど、御免である。

いないのなら探せばいい。手がかりは目の前の扉一枚。それを開けるために、ボン・クレー、そっと手のひらを合わせた。

 

 

 

Fin

 

 

 


 

ねつ造は夜花の道理だと思ってます。←開き直りか。