まっ白い部屋の中。青や赤の薔薇に囲まれた夢のような場所。良く手入れされた室内庭園。白亜の美しい小さな屋根の下に、黄金とガラスの棺の中に眠る、美しい女性。

けぶるような長く青く、どこまでも澄み切った色の髪。もう随分と長い時間が経っているのに、それでも一切の色を失わぬ美貌。ゆるやかに上下する白い胸は400年の眠りを、世の腐りを吸いこみ身の内で深い毒となっているのだろう。それこそ全てが“完璧な女”だとティーチは満足そうに目を細め、金のプレートに描かれた文字をそっとなぞる。

“Dies ist eine Tochter des Königs”

柔らかな髪に指を通し、確認するように梳いてから、黒ひげティーチ、そっと、その薔薇のように真っ赤な唇に口付けた。







 


ユダ・イスカリオテ







 

砂糖菓子のような甘さ。春に最初に咲く花の蜜とてこれほどの甘さはないと思うような、甘い口付け。ティーチはぺろり、と、己の唇をなめて、その女を見下ろす。

「さぁ、おれと来い。パンドラ・

名を呼んだ。その瞬間に、あたりに闇が落ちる。ティーチの能力、ではない。何もかもが光を遮断し、色をなくす。暗闇の中でティーチはじっと身を止めた。何の音も聞こえない。なんの感触もしない場所。光のない場所はどこまでもどこまでもさびしい。それを誰よりも承知の、“黒ひげ”ティーチ。脳裏に夜を恐れたが浮かんだ。だが、ティーチからすれば、夜など恐るに足らぬ。ただ暗いだけの夜など、何もかもを無にする闇に比べれば、なんと言う事もない。

闇に向かって、ティーチは叫んだ。

「おれはお前の伴侶になってやろう!!おまえの苦しみ、お前の悲しみの一切を共有してやろう!」

ブゥン、と、闇の中でさらに、ティーチの体から闇が立ちあがった。悪意の闇とはまた異質。彼女のこれは、混沌である。だが、ティーチの闇は重力そのもの。互いの闇が互いを吸収し合い、どちらが上で、どちらが下かを競い合う。黒ひげティーチ、過信などはしていない。たかだか悪魔の実によって手に入れたにすぎぬこの能力が、この闇が、この世の始まりの闇に勝てるなどという心はない。だが、負けるとはとうてい考えていなかった。

「お前が望むなら、お前を救い、お前が望むものの全てをやろう!!!」

ティーチの叫びに、ぴたり、と、混沌の闇の勢いがそがれた。たたみかけるようにティーチは声を上げる。勝利を確信した、その日を何度も何度も夢に見た、男の言葉。

「さぁ!時よ流れろ!お前はいかにも美しい!」

瞬間、閃光。瞬いた刹那、ティーチの毛むくじゃらの手をそっと握る、白魚の手。

棺に敷き詰められた花弁をはらはらと落としながら、ゆっくりゆっくりと、眠る美貌の女が体を起こした。どこまでも白い肌。血のように赤い唇。黒いまつげは肌に影を落とすほどに長く、ぼんやりと眠気を帯びた目が、けれどもはっきりとした意識を持ってティーチを見つめる。

「わたしの望みを知っているのですか」

この世に他にありえぬほどに真っ赤な目。この世に最初に流れた咎人の血をそのまま映したという赤。煌々と闇を背負い、根の国への門を容易く開く声がティーチの体にしみこむ。女が一言声を発した瞬間、部屋中が真昼のように明るくなった。輝きだす全てのきらきらとしたこと!だがそれはほんのわずか。再びあたりは闇に包まれる。ティーチはもう能力をひそめさせていた。今、辺りに充満する闇はこの女のもの。

「あぁ、知っている。おれは何もかもを知っている。お前のことも、お前の妹のことも」

お前が殺した男の名も、すべて知っていると、そう続けると、女の赤い目が一瞬、見開かれた。そしてぽつり、と浮かぶ小さな明かり。ろうそくの火のように乏しく。光輝くというよりは、赤い蝶のよう。闇をまといながらひらひらとティーチのまわりを飛び、その度に足下から真っ赤な彼岸花が咲く。ぽつりぽつり、と、それは次第に増えていき、足下を埋め尽くした。

それに躊躇することなく、足を一歩前に薦め、女の体を抱き上げた。

「さぁ、おれと来い。パンドラ・。おれがお前を救ってやろう」

ふわり、と、雪でできた花が散るような微笑を浮かべ、世界の敵、最古の魔女。冬の庭の番人、井戸の中で悪魔と契約を交わした姉姫、再度、闇の悪魔の手を取った。

「わかりました。わたしはあなたの妻になりましょう。あなたを想い、あなたに従い、あなたの敵を葬りましょう」

マリージョアの一室。毛むくじゃらの腕、粗野で乱雑な、その腕を、淑女というにふさわしい容貌の、目も覚めるような美貌の少女、当然のようにそっと、その、手を重ねた。夜会にでも行くかのような、エスコートを受けて当然の頬笑み。真赤な瞳に、海の様に深い色の髪。美女と野獣のような組み合わせ、しかし、は楽しそうに目を細め、そして小さく歌さえ口ずさむその、真赤な唇は血のように赤い。

「不満はねぇのか?迎えにきたのが白馬の王子さまじゃなくて」

とん、との体を下し、からかうような言葉を口にする。ティーチ、別に今の己に何の不満もないが、それでも世の“色男”の枠から大いに外れていることの自覚くらいはある。というか、黒ひげ海賊団、そういう面ではちょっと、ものたりないメンツばかり。まぁそれはいいとして。

「わたしはこの世で一番美しい。この世で誰よりもあの子に愛されている。美しさに驕る女は、結局、獣の手に落ちるのですよ」

は鈴を転がすような笑い声を立てて、おかしそうに目を細める。その赤い目はティーチを見ているようで見ていない。どこか焦点の定まらぬ、狂女のもの。ぞくり、と常人であれば寒気を覚えるしぐさを、それでもティーチは眺めた。

ゆっくりとが振り返る。ティーチに向かって小首をかしげ、花も恥じらう笑み。

「それで、まずは何所へ?」
「仲間にしてぇ男がいる。行くぞ、インペルダウンに、だ」

 

Fin


 

Lang war ein kleines Mädchen vor langer Zeit in einer bestimmten Stelle dort