真面目という型にぴっちりと嵌めて抜けばこういう生き物ができるんじゃないかと常々思うほどに、気真面目でお堅い性格をしていると思っていた。どう頑張ったところであのドSに勝てる道理はないが、それでもあのサカズキと渡り合っていたその正義に対する姿勢、けして、は嫌いではなかった。世界政府ではなく、海軍であったからかもしれない。初めてクザンに「X・ドレーク少将だよ」と紹介された時も、彼が誤まってパンドラに触れてしまった時も、ゆえの餓え苦しんでいた時も、は一度もドレークを煩わしいとは思わなかった。
「そのキミが海賊だなんて、どういう冗談かと思ってしまったよ」
ぎちり、と、腕を動かせば縛られた個所が軋んだ。一応それなりに柔らかな結び目にはなっているのだけれど、少女の柔肌に縄は酷なものだ。すとんと座り込んだ、というよりも座らせられた甲板の上、ぐるりと取り囲む武器を持った海賊たち。突きつけられた剣・銃・なんかの武器は少しでも妙なまねをすれば容易く前進してくれるらしい。完全不審者、襲撃者扱い、いてもうたれ、なんていう下品なやからは残念なことにこの船にはいなかった。
とりあえず、の向かいに腕を組んでじっとこちらを見下ろす、黒尽くめ。なにやら考え込むように黙って先ほどから一言も口を開かない。まぁ確かに、色々と悩むこともあるだろうなぁと、知ったように頷いても同意はしてくれないだろうつれなさ。ハハハと軽く笑って、はじっと男を見詰め返した。最後に会った時と姿格好こそ変わったけれど、それ以外は何も、本当に何も変わっていないように思える、その男。確か、名前は、確か。
「ドレーク船長、この子供……これが、本当に海の魔女なんですか?」
硬直状態いつまで続くか、痺れを切らしたわけではない。しかし不審に、いや、純粋な疑問をいつまでも放っては置けなかったらしい、船員の一人が恐る恐る、といったように声を上げた。彼らの象徴、彼らの船長、その男。
「……あぁ、間違いない」
黒い帽子を目深に被った、黒尽くめのマントの男、若干声を堅くしながら、頷いた。相変わらず低い声は、の耳に心地よい。そしてその声が、容赦なく鋭さをもってに向けられた。
「何をしにきた。海軍本部にいるはずのお前が、わざわざこの船に降り立った理由はなんだ」
「答えるのは構わないんだけど、まずはこれほどいてくれない?」
やっとこちらに言葉を向けてくれたと思ったら、そんな内容。うんざりとしながら、が言えばドレークは無情に首を振った。
「駄目だ。その気になればその程度、お前にはなんともないだろうがな、一瞬でも、時間が稼げるように手は打たせてもらう」
「戦闘の意志なんてないよ。ぼくはただ、」
「お前の言葉を正直に信用するほど、俺はお前を知らないわけではない」
人の言葉を遮って何か非情なことを言う男ではなかったはずだが、と、は目を細める。自分とて、彼を知っていると思っていたが、違ったか。肩を竦めるように動いて、はまた痛んだ腕に軽く顔を顰めた。痛みは、それだけだったと思う。
「ぼくは、あなたに会いに来ただけだってば」
「では目的は果たしたな。一秒でも早くこの船から離れろ」
言って、突きつけられた剣。今も回りを囲む多くの剣先よりも、この男のものが嫌だなんて思う心に呆れながら、はにっこりと、ドレークに笑いかけた。
「あんまり酷いことを言うと、この船沈めるよ」
「そういうことを平然と言うお前を信用することはできん」
怯むどころか僅かな殺意さえ加わった、ドレークの声と剣先。
(おや、まぁ、容赦ない)




ユダはどこだ





縄で縛られて連行、罪人じゃああるまいしと非難しかけてはたたりと「あ、そっか、ぼく罪人じゃん」とけたけた笑う。通された部屋、ドレークの私室。質素でも簡素でもないが、かといって豪華さもないぎこちない作りの部屋だ。ただ大きな机と大きな地図がには懐かしいと思えた。
「この状況がわかって、いるのか」
笑うに、部屋の鍵をしっかりとしめていたドレークが振り返る。不機嫌そうに眉を顰めて、溜息を吐いてきた。呆れたような、疲れたような溜息には顔を上げて目を細める。この、状況。何か問題があるようには、これっぽっちも、には思えない。この男は昔から、気真面目に過ぎるのだ。今もきっと、にはどうだっていいことでぐだぐだ悩んで、結局こういう、馬鹿なことをしているんだろう。その、馬鹿なこと、はただ純粋にを今「敵」としているということだけで、他意はない。だからこそ、は単純極まりない物事を複雑にしてしまう堂々巡りの思考の、ドレークが馬鹿だと思う。
「俺は海賊で、お前は海軍大将の、」
ドレークの言葉は続かなかった。なんと表現すべきか迷ったよう、そして何も見付からなかったか、再び息を吐いて目を伏せる。
言いたいことはにも伝わった。自身の身分の詳細は、特にない。別段海兵というわけでもなく、しかし一般人などと大手を触れる身分ではとうていない。しかし、海賊を尋ねられるような生き物では、なかった。だが、それがなんだというのか。取り合わぬという気配の濃厚なに気付いたか、ドレークは溜息を吐いて、そして、一歩に近付いた。
「この状況が、わかっているのか?」
先ほどと同じ問い。ぐるりと反転した世界。両腕は頭の上に上げられ、押し倒された。立っていた姿勢からの落下、衝撃など感じて痛むほど優しい生き物はいない。どちらも呼吸の一切すら乱さず、見出せず、見下ろされる瞳と、見上げる瞳。小さなの身体はあっさりと組み敷かれ、押さえつけられ簡単にドレークの下に納まる。の両足の間にドレークの膝が入る形になっていて、は抜け目がないと、ぼんやり思った。
「この状況って?」
思い当たらぬことはなかったが、複数浮かび今現在か、それとも情勢、事情、さまざまなこと。考え選択するもの億劫だ。そんなことに、意味などない。なぜ分からないのか、むしろそのことを追及してやりたい。ドレークの眉間に皺が寄る。
「……俺は最早海軍ではない」
「うん、そうだね」
ばっちり手配書見たよ。
「悪魔の実の能力者は皆、お前に対して強い“欲”を持つ。一度でも触れれば何度も求めずにはいられないほど、自然系、肉食の動物系はお前にこがれる」
最初に出会ったとき、ドレークはまだ能力者ではなかった。だからは平然としていたし、次に会った時、ドレークが誤まって、よりにもよってパンドラに触れてしまった時も、慌てなかった。しかし、その時は既に能力者で、以来、ドレークがを求めて苦しんでいる姿を、哀れだと、思っていた。だから、こっそりと、はドレークを誘ってきた。そのたびにドレークが後悔してきたのを、知っている。そういう、男なのだ。
「今、お前を組み敷いているのは法の外にいる、問答無用の犯罪者だ」
「心底思うよ、似合わない」
笑い出したかったが、笑えば肺に酸素が入って身体、胸が揺れる。しかし抵抗する気は僅かも起きなかったし、誤解されるのも面倒では笑いを押し殺した。なので生真面目に言ったように見えたのだろう(結局誤解されたよ!)ドレークが瞳を揺らした。何か、罪悪感、のような、しかし、それに似てはいるが、違うものが宿ったのを見て、はうんざりとした。
「似合わないんだよ、X・ドレーク、くん。キミはどう頑張ったって、自分の腰までもない小さな女の子を無理矢理犯してしまえるような男にはなれないんだから。この状況、ぼくはキミが震えて泣きださないのが不思議なくらいだ」
くいっと、僅かに力を入れればあっさりと左手は自由になって、は手を伸ばしドレークの左耳に触れた。口の中で小さくコトバを使い、その顔の半分を覆っていた黒い仮面、マスク、まぁ、呼び方は何でもいい、邪魔くさいものを取り払う。ドレークは何も言わなかった。ただびくりともせず、黙っている。は目を細め、海賊と成り下がったという、生き物を眺める。
「“どうして”だなんて、馬鹿な質問、ぼくはしないから待っていても無駄だよ」
聞いてやれば、きっとドレークは安心するだろうという、問いがには分かっていた。むしろ、それを問うのが道理という、もの。多くの疑問。彼を、X・ドレーク少将殿を慕っていた海兵、多くの者たちが日夜手配書、彼の名を聞くたびに叫びだしたくなっただろう、その言葉。
はドレークがこの船での姿を確認した時に「安心」したのを見逃さなかった。その瞬間こみ上げた吐き気と同じだけの思いをこの男に味合わせてやれればとは、さすがに思わないが。
(彼は確かに強い生き物だろう。その一切、容赦のない正義を貫いてきた過去もある。今の道を選ぶ覚悟も、あっる。強い生き物である)
しかし、にならば許されたのだ。海の魔女なら、世界の敵なら、パンドラ・になら、X・ドレークは「どうして!」と責められ、戸惑うことが許されているのだ。が理不尽に喚きちらし、X・ドレークの所業の全てを暴きたがり、それを彼が隠して覆ってしまえた。それがどうなるというわけではない。しかし、それは一つの裁きであった。には、この男が「海賊」になることなどできるはずがないと、知っている。海賊、は、どう美化したところで犯罪者である。いや、その犯罪者の名程度ならば背負えぬ男ではないだろう。人殺しも、構わぬだろう。しかし、ドレークには、X・ドレークには、恥じを背負うことはできぬ。周囲の罵倒、失望、嘲笑、憐憫、一切は意味がない。が、しかし、この男には、正義を背負い、おそらく今の捨てることのできないこの、男には、恥を背負う覚悟はない。
の脳裏には浮かぶようだ。堂々とした海賊旗を掲げながらも、略奪行為など一切できぬ、路頭に迷うような眼をした猟犬の姿が。
「船は単純だよね。カモメを掲げれば海軍船、五星は政府の船、髑髏は海賊船。では、ヒトは?X・ドレーク、くん」
この男の賞金は二億を越えたのだという。しかしその金額の大半の理由は元海兵であるということだ。元少将である、ということだ。他の大型ルーキーたちのように、民間人を虐殺したり、政府に喧嘩を売ったり(まぁ、裏切り事態は喧嘩を売っているが)しての結果、ではない。新聞を読まないので知らないが、おそらくこの男は挑まれぬ限りは戦わぬのだろう。追っ手の海軍を沈めて、沈めて、ここまで来たか。その結果の、この額か。それは、一種の正当(といえるだけの信念が、果たしたいものがあると仮定して)防衛でさえある。では、この男は今、何者なのだろう。
「赤旗、X・ドレーク。ねぇ、キミ、酒場で理由もなく隣の客の足を切ったかい?裏路地に女を引きずりこんで集団で犯した?そんな程度ではなくても、海賊の名に恥じぬだけの、無法を何か犯せたかい?」
あれほど強い正義を持っていた男が、周囲の評価はさておき、己の心にそむくことはできぬのだろう。きっと、とても大きな理由(少なくとも、ドレークにとっては)があって、今の身分。しかし、海賊、をドレークは好んではいない。その身に己があるということを、恥じ入る心が、どんなに、覚悟を決めたとして消えるわけではないのだ。
これを海賊と、呼ぶことがにはおかしくてたまらなかった。ただ黒いだけで海賊ならコウモリなんて立派じゃあないか。
「似合わない、んだよ」
ドレークがに求めたのは、一つの許しである。懺悔。聖母の眼。パンドラ・にはそういう、ものがあるらしい。自身はわからぬし、そういうものを、思ったこともない。それを求めているとドレークが意識しているかどうかだって、にはどうだってよかった。
「ぼくはきみが何を考えているかとか、どうして裏切ったかとか、そういうこと、どうでもいいんだよ」
ぐいっと、ドレークの襟を引っつかんで自分に寄せて、は囁く。
「物事はもっと単純なんだ。ぼくはただ、キミに会いに来たんだよ」
真っ直ぐに己の道を貫く姿でありながら、苦悩をするだろうこの男が、には手を叩きたいほどに愉快でならない。いずれ何か、この生き物は起こすだろう。運の良い時代に生まれてきたものだ。恐らく、ドレークただ一人だけであったら、何も起こさずただ、「そういう生き物がいた」と、歴史に名を残すだけの器。しかし、昨今見るなりのこの状況。何十年かに一度確かに起こる、時代のうねり。それはドレークを中心にはしないけれど、一つの波にはなれる。
(いずれ恥じ入って、耐えられなくなって、首でも括ってくれるだけの仕舞いを見せてくれるのか。それともサカズキに直々に殺されるのか)
ゆっくりと脣を重ねて舌を差し入れれば、強い力で抱きしめられた。全身に圧し掛かる体重。押しつぶされそうなほどの感覚は、くらくらと眩暈さえした。は、ドレークになら殺されてもいいと思う。心中してくれといわれたら、きっとするだろう。愛している、などという特殊な感情は生憎とこの男に向けられるほど持ち合わせてはいないが、心中はしてもいいと思った。頭の隅で黒髪の少年が泣きそうな気がしたが、あの子供ももう大人になった。泣いても、いずれ老いて死ぬ頃には忘れる。
「きみがすきだよ、ドレークくん」
世界で十番目くらいに、とは言わず頬を撫でた。もうこの生き物が、平然と寿命を追えて死ぬわけがないことくらい、道理となってしまっただろう。そのことが、を感慨深いものにさせているのかもしれない。これまで数多くの人の死を、人生の終わりを見てきた。ドレークが海兵のまま、平然と戦死でもする人生であったら、ここまでの興味はなかっただろうに。
口付けを交わし、喉に噛み付きながらはぼんやりとドレークのにおいをかいだ。いつだって、誘うのはからだ。きっと今は荒々しい様子であっても、終わり、が次に目覚める頃には、いつものように罪悪感で一杯の背中をしているのだろうと、そういうことが、容易く思われる。
それでもドレークは、を拒めない。求める強い欲は、いずれ悪魔になる。は悪魔になど会いたくなかった。そんなくらいなら、ドレークと心中してやったっていい。

(臆病者は、どっちだ)


見上げた天井、釣り下がったランプはゆらゆらと揺れていた。


Fin


 

(君のために死ぬから、僕のために死んでくれ)